2-4. 並んだ背表紙
NAL37便墜落事故。五百人以上の乗客が犠牲となった、航空機史上に残る悲惨な事故である。機は三十分あまりの迷走ののち、山梨県北部の山中に墜落した。
調査報告によれば、〝彼ら〟が事故そのものに関与したということではなく、搭乗予定の人物で事故を免れた事例のうちの二つのケースがどうやら〝彼ら〟の手引きによるものであったと判定されたとのことだった。
著名なノンフィクション作家であった小林義勝は、機に乗り合わせていたために命を落とした。しかしそのことは山崎から引き継いだ資料に参考文献として添付されていた新聞記事などに記されているばかりであり、あらためて調査報告を隅から隅まで読み直した播木がそこに小林の名を見つけることはなかった。
四十四年前の植物状態の少年の蘇生、それを新聞記事にした記者の二十年後に訪れた航空機事故による死。そのどちらにも〝彼ら〟の関与が認められていた――だがそこにそれ以上の何かを見出すことはできそうになかった。単なる偶然と言ってしまえば、それでおしまいとなりそうな話とも思えた。
播木が最も気になったのは、小林が少年の蘇生に先立って〝彼ら〟に関心を抱き、調査をしていたらしい、という一点であった。
果たしてどこまで真相に近づいていたのだろう、我々の掴んでいない事実を手にすることがあったろうか――播木は小林に捜査の焦点を絞った。
その著作をすべて取り寄せた。十七冊の大小の本が播木の机に山積みとなった。
奥付を確認しつつ、彼はそれらを出版時期順に並べ直した。
最初の一冊を手に取った。小林の出世作である。それは日露戦争を扱ったものだった。彼がまだ毎朝新聞の記者であった頃に執筆されたものであることが解説に記されていた。出版は少年の蘇生から五年ほどが過ぎた頃だ。播木は個体名【阿修羅】のことを思い浮かべた――戦前の帝国陸軍上層部で語り継がれていたという個体。この本の内容で関係するとしたらそいつだろうと思った。そのことを念頭に置き、注釈などの記載も見落としのないよう隅々まで目を通した。
数時間後、そこに特段〝彼ら〟に関連しそうな内容をまったく見つけることができなかったことに播木は失望の色を隠せないでいた。時期的に見ても最初の作品にこそそれが書かれている可能性が高いと期待していただけに落胆は大きかった。だが最初に書かれたものが最初に出版されるとも限らないだろう、そう彼は考え直した。
次にどの著作をチェックすべきかと、机上に並ぶ背表紙に播木は視線を走らせた。なんにせよ最終的にはすべてに目を通すことにはなるが、と思いつつ。
並んだタイトルの中に、日本におけるスペイン風邪をテーマにしたものであることを示すものがあった。播木がそれに目を留めたのは、このところ国内でも新型インフルエンザの感染者が見つかっていて、それがまさにマスコミを騒がしている最中であった所為かもしれなかった。彼は新書サイズのその一冊を手に取った。
素早く目を走らせ始めた。割と前段のあたりで、第一次世界大戦に参戦した帝国陸軍におけるスペイン風邪の流行の状況が語られていた。播木はそれを注意深く読んだ。そのセクションはさほど長くなく、そこに彼が期待していた内容は見つからなかったが、途中でやめるというわけにもいかずに先へと読み進めた。そのうちに夜となり、彼は本を自宅アパートに持ち帰って読み続け、布団の上で読み終えた。そしてため息をついたのだった。
結局のところ特に得られたものはなかった。その本を読んでわかったことは、一九一八年から一九二一年の間に、日本国内でも、陸軍においても、世界全体と同じようにスペイン風邪の被害があった、ということであった。
小林の興味はどこにあったのだろう――目をつむり、播木は考えた。
歴史の変わる節目となった出来事にだろうか。それらの出来事がどのような経緯で進んだのか、それがなにに影響を与えたのか――それとも、それらの裏で手を引いていた影の存在に、なのか。
考えているうちに彼は眠りに落ちた。
翌日、並んだ背表紙を眺めつつ播木は再び思考を巡らせた。
――どうするか、他の著作を読む必要もあるだろうが、時間は有効に使いたい。多面的に物事を進めていくべきだろう。雑誌などに掲載された短い執筆物や、あるいはインタビュー記事で意外と重要なことが語られている可能性もある。資料室に依頼して収集してもらう他あるまい。しかし小林は、あくまで〝彼ら〟のことを最後まで隠し球として残しておいたのかもしれない。あるいは、発表するにはまだ決定的な何かが足りていないと考えていたのかも。
ノンフィクション作家ともなれば、膨大な資料を私蔵していたに違いなく、それに調査記録もあるだろう。彼の死後、それらはどうなったのか――。まずはそれらの存在について確認すべきだろう、そう播木は思い至った。
その方面に調査を進めた播木はすぐに、小林の妻、景子が三年ほど前にまだ六十半ばの歳で病死していたことを知った。となれば義勝の私的調査資料を受け継いだ者がいるとしたら、彼らの一人息子である省吾であろうと考えられた。義勝の葬儀の際に景子と共に学生服姿でテレビにその姿が映ったと黒崎が証言した人物である。
これもまたすぐに明らかになったことであるが、小林省吾は現在、株式会社夢雲のCEO兼代表取締役として世に知られる存在となっていた。夢雲といえば日本を代表するインターネット企業のひとつであり、この十年ばかりの間に日本経済の新たなる推進役とみなされる存在にまでのし上がった会社だ。省吾は大手コンピュータメーカでSEとして働いたのちに夢雲を創業した。当初はホームページ作成などを請け負うだけであったが、ITバブルの潮流に乗って資金を調達してM&Aを繰り返し、あっというまに大企業となったという。そういったサクセス・ストーリーを数多のWeb記事に見つけることができた。
調べを進めた播木の顔つきは険しくなった。そんな偶然があるものだろうか、という疑念。〝彼ら〟に関する資料を所有していると思しき人物が日本で屈指の成功者となった、それを「たまたま」とみなすのは無理があろう。省吾は〝彼ら〟を味方につけ、それゆえに類稀なる成功者となった――そう考えるほうがストレートな解釈だ、と。
だがそれはすなわち〝彼ら〟の存在とその力を認めることでもあった。そのことが播木を困惑させた。
なんにせよ調査すべき対象は省吾だ、そう播木は考えた。そこで問題となるのは、省吾の社会的地位の高さであろう、と思われた。そこまでの大企業のトップともなれば政財界とのパイプも太いに違いなく、迂闊に手の出せる相手でないことは明白だった。
さて、どうしたものか――。




