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2-3. トートがいなくなる

 残っていた有給休暇を消化することにして、最終出社日を六日分、前倒しさせてもらった。派遣先から戻されていた同僚らはもうみんなオフィスから去っていて、残るは社長と僕の上司くらいなものだった。


「お世話になりました」


 頭をさげた僕に、社長も上司も申し訳なさそうな顔をしていた。帰り際に、わずかな私物を整理した。机のうえにはガチャガチャでゲットしたミニフィギュアがいくつか飾られていて、僕は最初それを家に持って帰ろうかと思ったのだけど、全部ゴミ箱に捨てた。少しもったいない気はしたが、子供っぽさが鼻についてしまった。


 引き出しのなかには在職中に交換した名刺が整理もされずに突っ込まれていた。僕はそれと未使用の自分の名刺とを一緒に上司に渡そうとした――それが退職する際のルールだってどこかに書いてあったので。


 無精髭の上司は手を出しかけたが、少し躊躇したあとでこう言った。


「記念に持って帰ったら? 人脈がなんかの役に立つかもしれないよ。返してもらってもウチは捨てるだけだから」


 そして社長のほうを向いて言った。「浦田(うらた)さん、別にいいですよね?」


 社長はパソコンから顔もあげずに返事をした。


「ん~、いいんじゃない? いらないなら捨ててって」


 正直、名刺などもらったところでどうなるというものでもないだろう、としか思えなかったけど、上司のことは尊敬していたので、カバンにしまうことにした。




 翌朝、いつもの時間に僕は目を覚ましたが、体を起こしかけてから、出社しなくていいことに気づいた。いつもは僕よりも先に起きてコーヒーを淹れてくれているトートもまだ隣で寝ていた――そう、あれ以来、僕らは一緒にベッドで寝るようになっていた。あの、会社の解散の決まった日から。


 僕が起きかけたせいで、彼女も目を覚ましてしまったようだ。その白い腕がゆっくりと僕の肩に伸ばされた。彼女が引っ張るにまかせて僕は再びベッドに体重をあずけた。


 彼女は僕の首に抱きついた。柔らかい胸が僕の腕に押し当てられた。


「しばらくのあいだ、私が直斗さんを独占するの」


 耳元で彼女はそう囁いた。


 彼女を抱きしめてキスをしたいと思ったが、なぜだか体が動かなかった。疲れが溜まっていたのだろうか。僕はそのまま再び寝入ってしまった。


 二度目に目が覚めたときには、隣にトートはおらず、部屋にはコーヒーの香りが漂っていた。


 ベッドに腰掛ける格好になって両腕を上に伸ばし、あくびをした。


 脇にあるローテーブルに置いてあるスマホを取りあげ、充電ケーブルを外した。そして画面を確かめた。登録してある転職サイトからのメールが来てないかどうかが目下の最大の気がかりなのだ。だがそこには何の通知も表示されていなかった。


 そのままサイトを開いて求人を検索しようかと思ったが、テーブルのうえに一枚の名刺が置いてあるのが目に留まり、一旦スマホを置いて、その名刺を手に取った。


 それは以前に僕が仕事で関わった人の名刺だった。西岡にしおかさん。どんな人だったか、よく覚えていなかった。おそらく打ち合わせで一度か二度、会っただけの人だろう。なぜその名刺がテーブルに置かれていたのか。昨日、僕が会社から持って帰った荷物にまぎれていたのは間違いないだろうけど――。


 僕は顔をあげた。昨晩、カバンの荷物はチェストのうえに出しておいた。以前は家に帰ってもそこらに放置されるだけであったカバンは、彼女の指導により、中身をきちんと出してから定位置にしまうことになっていた。チェストに置いた荷物はすでに片付けられていた。綺麗好きの彼女が朝のうちにどこかへと仕舞ったに違いなかった。そのときにこの名刺だけが床に落ちたかして、片付けを終えた後でそれに気づいた彼女が一旦テーブルに置いた――おそらくはそんな成り行きだろうと僕は思った。


 台所から彼女がコーヒーカップを両手にひとつずつ持ってきた。そのひとつを僕の前に置いて、彼女は隣に座った。僕の手にはまだ名刺があった。


「その人に連絡して」


 いきなり彼女はそう言った。僕は困惑せざるを得なかった。


「え、なんで?」


 彼女を見返したが、その表情に特に含みのようなものを見ることはできなかった。


「だって仕事が欲しいんでしょ? その人に電話して自分の状況を伝えれば、きっと助けてくれる」


 困惑に拍車がかかった。けども、彼女の言葉には有無を言わさない雰囲気が感じられた。僕はコーヒーをひとくち飲んでから、スマホを取りあげた。時間を見ると、十時半近くだった。僕は発信ボタンを押し、名刺にある番号を打ち込んだ。




 数日後に西岡さんの会社、ナゲット・ガイア・ビットサーカス社の人事から面接の申し入れがあった。


 西岡さんから指示されたとおりに僕は履歴書と職務経歴を送付しておいた。ちょうど西岡さんの部署では人材を募集していて、その必要スキルは僕にマッチした。だがナゲット社は(名前からだとわからないけど)日本では知らない人がいないであろう超優良企業グループに属する会社であり、率直に言って僕の学歴で狙えるところとは思えなかった。


 であるから、履歴書を出したのは事実ではあるけども、ダメ元にも考えてなかった。書類で落とされなかったのは意外ではあったが、どうせ無理でしょ、という予想が覆るものとは思わなかった。


 なので依然として僕には転職サイトだけが頼りなのだが、サイトを見ようとするたびにトートにスマホを取り上げられた。


「私といるときは私のことだけ考えて」


 そう言って彼女は僕にのしかかってきた。そんなことを言われても今は二十四時間一緒にいるのだ。結果、僕は彼女が寝ている間に転職サイトを見るしかなかった。そうまでしているのにサイトで応募した求人からは良い反応が一切なかった。


 あっというまに五月が終わり、僕は無職の身分となった。


 そのころには僕はもうただひたすら彼女と二人きりの時間が続いてほしいと願うばかりだった。もちろん頭では、仕事して稼がないことにはいずれ破滅が待っていることを理解していたけれども。


 美人は三日で飽きるなどという言葉があるが、彼女にそれはあてはまらなかった。一緒にいるだけで僕は完全に満たされた。


 週が明け、僕は久々のスーツ&ネクタイ姿でナゲット社の面接に臨んだ。オフィスは五反田にあった。ホームページで事業内容を確認しておいたが、面接でその知識が役立つ機会はなかった。面接官は当の西岡さんともうひとり僕と同世代らしきエンジニアで、終始なごやかに話は進んだ。


 翌日に、面接を通過したことと次回最終面接の案内を告げるメールが届いた。


 ようやく僕は、もしかしたらこの会社に就職が決まる可能性について真剣に向き合うこととなった。同時に緊張のようなものを感じ始めたりもした。


 それにしても彼女は何故、何枚もあった名刺のなかから西岡さんを選び、連絡しろと言ったのだろう。きっと助けてくれるとか言っていたが、こうなるということがわかっていたのだろうか。当初から彼女には不思議なところがあるとは感じていたけれど、ここまでくるともはや超能力としか言いようがないのでは――?


 だとしたら、もう採用は決まったようなものじゃないか。


 大船に乗った気分で僕は翌週の最終面接に臨んだ。壁がファンシーな色に塗られたナゲット社のオフィスを再訪。面接官は高齢の役員だった。おそらく技術的なことはほとんどわからない人なのだろう。なんとなく世間話のような会話をして波乱もなく終えた。単なる顔見せ的な意味合いの面接だったと僕は解釈した。就職活動はこれにて完了だ。


 奮発してシャンパンを買い、トートの待つアパートへと帰った。


 いつものようにテーブルに並べられた弁当を前に、僕はシャンパンの栓を抜いた。泡立つ液体がグラスに注がれるのを彼女はニコニコしながら眺めていた。


 僕らは乾杯した。


 ひとくち味わったあとで彼女は満足そうにグラスを眺めた。


「シャンパンの好きな子がいてね……」


 彼女がそんなことを口にするのは僕らが出会ってから初めてのことだ。僕は言葉の続きを待った。が、彼女は何も言わなかった。グラスの泡を見つめ、何かを考えているようでもあった。


「君の友達?」


 僕は訊いた。彼女はいつものようにニコリとして、


同胞(はらから)よ」


 と答えた。


 ハラカラ? ハラカラって何だ? と僕は思ったけど、なぜだかその疑問を口に出すことができなかった。




 次の朝、トートがいなくなっていた。


 彼女が僕に黙って外出するなど、これまでになかった。


 テーブルのうえに置き手紙らしきものがあった。彼女の書いた字を見るのは初めてだ。だが読めなかった。達筆すぎるというのか、なんだか古い掛け軸なんかに書かれているような文字だ。鑑定団のヒトとかなら読めるんじゃないかと思ったけど、もちろん訊くアテなどない。


 いつも買い物代としてテーブル隅の小物入れのしたに挟んであった千円札(めったに彼女が手をつけることのなかったヤツ)が無くなっていた。


 買い物に行ったのかな、と思いつつ――そんなことも今までに一度もなかったけど――寝転んで待つ以外になかった。


 一、二時間が過ぎ、僕はだんだんと不安になってきた。気になって自分の財布の中身を確認してみたけども、金もカード類も入ったままだった。彼女の衣類が入れてあるチェストも見たが、なにかが無くなっているらしき形跡はなかった。テーブルの小物入れの彼女用の合鍵はそのままそこにあった。


 どこかへ探しに出たいところだったが、彼女が合鍵を持っていかなかった以上、部屋に鍵をかけることができない。それに探そうったって彼女が行きそうな場所はひとつたりと思い浮かばなかった。それでも僕は、僕らが出会ったあの公園の桜の樹のしたに行ってみたいと考えてしまった。そこに行けばまた彼女に会えそうな気がした。だが部屋から出ることはできない――いや、あそこに行って帰ってくるだけの間なら鍵をかけずとも大丈夫か。行ってみるか。いやいやいや、冷静になれ。あそこに行ったところで彼女がいるわけないじゃないか。きっとなにか用事があって出かけているだけなんだ。僕が望まない限りは離れないと言ってたじゃないか。なにも心配する必要などないんだ、彼女だって子供じゃないんだから――。


 ベッドのうえで僕はうだうだと考えを巡らせていた。


 結局、我慢しきれずに僕はあの公園までダッシュした。走ればほんの二、三分の距離だ。


 公園に着いた。子供たちが遊んでいた。保育園児と思しきお揃いの帽子をかぶった集団と、保母さんら。他には、赤ん坊連れのママさんたち。それから、散歩の老人。


 樹々は緑の葉を繁らせ、あの桜の樹もそれらに埋もれていた。


 僕はキョロキョロとあたりを見回した。


 少し公園のなかを歩いた。


 桜の樹のしたまで行って、僕は息を整えた。


 もちろんどこにも彼女の姿はなかった。


 さらに少し歩いた。


 ママさんのひとりが遠くから僕のことを変な目で見ていた。


 チッ、と思い、僕は再び走り出した。


 僕のいない間に彼女は部屋に帰っているかも――。


 戻れば彼女が出迎えてくれそうな気がした。




 部屋はシンとしていた。


 日が暮れても彼女は帰ってこなかった。僕は気が狂いそうだった。テレビを見て気を紛らわそうとしたけど、まったく何も頭には入ってこなかった。


 思えば僕は、彼女のことを何も知らない。トートというのは本名じゃないだろう。年齢すらわからない。誕生日も教えてもらってない。生まれ、育ちは何処? 家族は? 僕が知っているのは彼女の笑顔だけ。彼女は何も持ってない。携帯もない。もちろんメアドも。もしかして、戸籍もないのでは――?


 彼女の置き手紙を手に取り、じっと眺めてみた。もしかしたら何かを読み取れるんじゃないかと思って。だが無理だった。見つめれば見つめるほど、それは文字ですらないように思えてきた。


 僕は一計を案じた。


 置き手紙をスマホで撮影し、ネットの掲示板に投稿した。『緊急、誰か助けて! これなんて書いてあるの?』とタイトルをつけて。いつも掲示板は読むだけで書き込んだことはなく、やり方もよくわからなかったが頑張った。


 さほど待たされることなく、親切な人が教えてくれた。


「『用事があるのでしばらく出かけてきます。終わり次第帰りますので大人しく待っていてください』だそうですよ。平安時代の書き物を写したのかな?」


 ハハハ――。


 何故に平安時代? と一瞬思ったが、そんなことを気に留める余裕は僕にはなかった。


 手紙の内容がわかったおかげで多少は安心したものの、夜が更けていっても彼女は帰ってこなかった。


 何も手につかず、ベッドに横たわって天井を眺めるばかりだった。用事が終わり次第ということは、それがいつになるかは当人にもわからないということではないか。明日かもしれなければ、一年後、いや、二年後かもしれない――そんなことを考え、またしても僕は気が狂いそうになるのだった。


 真夜中になり、終電の時間が過ぎても彼女は帰ってこなかった。僕は食事も摂らず、風呂に入る気にもならず、ただ天井を眺めた。


 それでも、いつのまにか寝ていたようだ。朝の冷え込みで目が覚めた。スマホで時間を確認すると、5時45分だった。


 起きあがり、わけもなく部屋の中をウロウロした。嗚呼、現れたときと同じように彼女は前触れもなく突然に僕の前からいなくなってしまうのか――。


 再びベッドに寝転んで布団をひっ被った。涙が出てきた。それはとどまることなく枕を濡らした。


 そのまま僕は、再度の眠りに落ちた。




 どれだけ時間が過ぎた頃か。


 頭を撫でられた感触がして、僕は目を開いた。


 そこにトートがいた。


 飛び起きたかったけど、全身に力が入らなかった。


「トート……」


 彼女は僕の頬を指でなでた。乾いた涙でパリパリとしているのが感じられた。


「泣いてたの?」


 僕は力なく首を振った――まだ泣いてる、から。新たな涙がこぼれた。


「バカね」


 彼女は小さくニコリとした。


 僕は頷いた。涙は止まらなかった。

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