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2-2. 【薬師】と【サイパン】、そして小林義勝

 過去の事案を新たな視点で辿ってみることで別な解釈が浮かびあがってくることもあるだろう――そういった期待のもと、播木はこの一ヶ月余りにわたって資料の調査内容を精査し、思いつくままにさらなる検証を加えてみたりもした。しかし、すでに何人もの担当者による調査を経ている事象に新たな仮説なりを捻り出すことすらできないでいる――端的に言ってそれが彼の状況であった。


 社会的に大きな事件に関連する事案から彼は作業に着手していた。そういったもののほうが様々な媒体に記録が数多く残っているゆえ、そのぶん、多角的な見方ができるだろうと考えていた。


 しかしなかなかに成果を出すことはできなかった。


 ここにきて彼は、ものの試しに逆の方向からアプローチしてみようと考えた。情報の少ない、ごく些細な事案を取りあげてみようと。一種の気分転換として。


 そこで目をつけたのが、昭和四十年に旧大宮市で少年が植物状態から回復したという事案であった。回復不能とみなされていた少年が【薬師】と呼ばれる個体の力によって意識を取り戻したという、社会的にはごく些細な事件である。そのことは当時、毎朝新聞の地域面に小さな記事として取りあげられたのみだ。


 調査報告を細かく読んでいくと、新聞社の記録上ではその記事を執筆した記者が誰であったかは不明という記述があった。四十四年も前であるから三大紙のひとつといえど当時はまだ記事の管理に大雑把なところがあったのだろう。播木は思わず、むぅ、と声を漏らした。〝彼ら〟のことを調べていたであろうその記者から話を聞きたいと考えたことを思い出したのだ。


 播木はさいたま市にある病院へと足を運んだ。調べたところそこそこに規模のある病院であったから、当時働いていた人物が一人か二人くらいは見つかるだろうと考えた。


 つい最近まで看護師長をしていて退職したという人物を、病院のナースステーションにいた看護師から紹介された。近隣に住むその人物に会いにゆき話を聞いてみると、さすがに彼女も四十四年前の出来事については初めて耳にしたとのことであったが、もしかしたら自分が新人だったころに師長だった人物ならばそのことを知っているかもと言う。今でもその人物とは年賀状のやり取りをしているから連絡先はわかる、と。


 教わった住所を地図で確かめ、播木は大宮駅へと戻り、そこから宇都宮線に乗って数駅先の蓮田という駅で降りた。


 典型的な首都圏近郊のローカルな駅であった。改札を出て階段を降り、播木は駅前に立った。一帯が再開発の途上といった風情だった。黒崎静江(くろさきしづえ)という名の元看護師長の住む家までは車で十分ほどと見ていた。客待ちをしていたタクシーに彼は乗り込んだ。


 ベッドタウン的街並みをしばらく進んだタクシーは、やがて街道を折れ、細い路地に入った。数軒の建売住宅ふうの建物のわきを抜けると、急に畑とその向こうに見える林とが窓の外に広がった。


 畑に隣接する大きな家の広い敷地に乗り入れ、車はその玄関前に停まった。


 降りた播木がインターホンの呼び鈴を押すと、すぐに「はーい」と女性の声がし、播木は名乗った。


「あ、お電話いただいた方ですね。少々お待ちください」と声が言った。


 当然彼は事前に訪問先に連絡を入れておいた。その際に身分――本来の彼のものではなく、調査に支障のないよう組織から与えられていたニセのものだが――も明かしてあった。


 玄関の引き戸が開き、メガネをかけた小柄な中年女性が顔を出した。播木は頭をさげた。


「どうぞお上がりくださいな。母はもう膝がアレなので、あまり動けないものですから。中で待たせていただいております」


 播木は玄関で靴を脱いだ。案内されるままに居間へと進み、ソファに腰掛けた老女の人好きのする笑顔に迎えられることとなった。


「ごめんなさいね、座ったままで。こんなところまでお越しいただいて、すいません」


 播木がなにも口にする間もなく、老女はどんどんと話した。歳は八十を超えているはずだが肉付きの良さのせいで割と若く見えた。声にも張りがあった。


「はじめまして、播木と申します。こちらこそすいません、お時間を頂戴しまして」


「あらぁ、いいんですよ、もう時間なんて持て余しちゃって困っちゃうばかりですから。話し相手たってこの嫁しかおりませんし、ほんとに退屈しておりましたの。たまにはお若い方とお話ししたいわ」


 なかなかに会話の主導権を握るのが難しそうな按配だった。先ほどの中年女性――老女がいうところの嫁――が台所に引っ込んでからお茶を持ってくるまでの間、播木は老女に好きに喋らせた。


 その後にようやく本題へと入った。彼女はすぐに【薬師】のことを思い出した。


「そう、まさに私が、あの日、廊下で迷っていた女の子を杉山(すぎやま)くんの病室に案内したんですよ。ごく普通の、どこにでもいるような可愛らしい女の子でした――杉山くんのお母様がああおっしゃった気持ちはわかりますが、私にはあの子がそんな不思議なチカラを持っていただなどとは思えません。あれはやはり、たまたま、あのときに杉山くんが目を覚ましたというだけのことです。せっかくここまでいらしたあなたには悪いですけども」


 杉山少年の母親がその個体を薬師如来の化身であると主張したことは資料にも記載されていた。かつての看護師長もそのことを覚えていたようだった。


「やはりそうでしたか――いえ、悪いだなんてことはありませんよ。私はただ事実を確かめたいだけですので。しかし、あの一件は新聞にも載りましたよね、多少はなにか根拠のようなものがあったのではないでしょうか。母親の証言だけを鵜呑みにして毎朝の記者が記事を書くとは思えません」


 そう播木が言うと、黒崎はウフフと笑い出した。怪訝な顔つきになった播木に老女はこう続けた。


「それには裏の話があるんですよ――あのとき取材に来た記者さんのこと、ご存知かしら」


 播木は「いえ」と返した。表情には出さなかったが、あの資料に記載されていない事実に踏み込めそうだという予感に彼の期待は高まった。


小林義勝(こばやしよしかつ)さん――」


 老女がその名を口にしたとき、四十年以上も前に知ったはずの記者の名を黒崎がすらすらと言えたことに疑念を抱くとともに、播木自身もその名に覚えがあることに気づいた。


「ノンフィクション作家の?」


 播木のその反応に、老女は満足そうに頷いた。


「ええ」


 そう大仰な口ぶりで彼女は肯定した。


「あのときの記者さんが、のちに作家になられた小林義勝さんだったんですよ」


「ほお」


 播木は驚きを込めた声で口にした。あながち演技ではなかった。


「実はね、景子(けいこ)ちゃんて若い看護婦が、当時、小林さんとお付き合いをしてたんですの。その後、二人は結婚するんですけどね。杉山くんのことがあったとき、たまたま小林さんは景子ちゃんに会いに来てたみたいでしてね。それですぐにその場で取材をされてったというわけなんです」


「なるほど、そういうことでしたか。それで毎朝だけがあのことを記事にできたのですね」


 黒崎は頷いた。


「これは私は直接に聞いたわけではありませんけど、小林さんは当時、妙なことにご興味をお持ちのようでしてね――もちろんお仕事のうえで、ということでしょうけど――、ウチの病院によく出入りしていたちょっと変わった青年のことを取材しようとされていたようですの」


 【サイパン】のことだな、と播木は気づいた。そのことも資料に記載されていたからだ。よもやのちに著名な作家となる人物がそれを調べていたとは驚きだが――などと思いつつ。


「景子ちゃんたちはその青年のことを『天使さん』と呼んでたんですけど、まぁ、怪談めいたお話でしてね、若い子はみんなそういう話が好きだから――」


「どんなお話なんですか?」


 知らぬフリで播木は尋ねた。


「なんでもね、ウチで誰かが亡くなる前には必ずその若い男が病院に現れる、っていうんです」


「ほう」


「その男を見かけた子が『今日、誰かが死ぬんじゃないか』って青い顔してナースステーションに戻ってきて、若い子たちが大騒ぎしたりしてね」


「ちなみに本当にどなたかが亡くなったりされたのでしょうか」


 その播木の問いに老女は、ひと呼吸入れてから口を開いた。その笑顔のトーンがわずかに減退していた。


「そういうこともあったかもしれませんがね、偶然です。申し上げるまでもございません」


 播木は少し考えを巡らせた。


「たとえば、その男は葬儀屋かなんかで、懇意にしていた医師がこっそりと『誰それが亡くなりそうだ』という情報を事前に伝えていたために病院に来ていたとか」


 黒崎は「何を言っているのか」という表情で播木が話し終えるのを待っていたが、一瞬置いてから破顔した。それから首を振ってこう返した。


「そんなわけはありません。よく来る葬儀屋さんは決まった人でしたし、私はその人をよく知っておりました」


 せっかく思いついた合理的説明を即座に否定されたことを残念に思いつつも、播木は頷いてみせてから続けた。


「でも、黒崎さんはその青年が患者を殺したりだとか、あるいは亡くなる患者の魂を迎えに来ていたなどとはお考えではないですよね」


「ええ、もちろん。患者さんが亡くなるのにはそれぞれにちゃんとした理由がございましたし、その男の人のことは若い子たちの思い込みでしかないんですよ。たまたま偶然が重なって、そういう与太話が生まれたというだけなんです」


 老女はなにもかもを偶然という言葉で片付けるつもりのようだと播木は思った。なんとか事案に合理的な説明をつけたいと考えている彼にとってそれでは不足である。


「ということは、あの新聞記事は当時の小林記者が自分と付き合っていた若い看護婦の目線で書いたものだった、ということなのですね」


「そうなんです――あのあと病院ではいろいろと対応が大変でしたのよ、クレームとまではいきませんでしたけどね、野次馬みたいに見物に来る人がいたりだとか」


「なるほど」


 頷きながら、播木はわずかに驚いた表情となった。小林義勝という名について彼は先ほどから記憶の糸を手繰っていた。その作家のことはほとんど何も知らず、作品を読んだこともなかった。だが割と直近にその名を目にしていた記憶があった。それがどこでであったかを脳裏からようやく引き当てたのだった。それが意味するものに彼は衝撃を受けたのだが、それを抑えての表情の変化がそれであった。


「小林義勝といえば――、亡くなりましたよね、飛行機事故で」


 そしてその事故についても〝彼ら〟の関与があったとされていたのだ。播木はそれについて調べているなかで小林の名を目にしていた。NAL37便墜落事故である。植物状態の少年が蘇ったという事件と、多数の犠牲者を出した墜落事故。歳月を隔てた、一見、互いになんの関係もなさそうな二つの事案の間に繋がりがあることを知り、彼は興奮せざるを得なかった。


「ええ……、お若いのによくご存知ね。あれは何年前だったかしら。まだ平成になる前よね、あなたはまだ小さかった頃じゃないかしら」


「ええ、そうですね」自分のことなどどうでもいいと思いつつ播木は返した。「その小林義勝とご結婚されたという方――景子さん、でしたっけ――とは、その後もお付き合いが?」


「いえ、景子ちゃんは結婚して仕事はお辞めになられたの。それでも何年かはときどき病院まで顔を見せに来てくれたわ。でも、ご主人の転勤でこっちを離れることになってからは、会う機会もなくなった。義勝さんの葬儀がテレビのニュースになって、そのときに景子ちゃんと息子さんの姿をブラウン管越しに見た――まるで昨日のことのよう。私はそれを病院の休憩時間に見たの、あの病院を定年退職する少し前のことよ。息子さんは学生服姿で、景子ちゃんもまだまだ若かった。私はその息子さんを抱っこしたの、まだ赤ん坊だった頃にね。景子ちゃんが病院に連れてきたのよ。本当に懐かしい」


 そう語る老女の顔は播木に向けられていたが、その目は彼を見ていなかった。

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