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1-9. 彼女はワインを水のように飲んだ

 酒が入った彼女は、頬が少し上気して見えて、とても可愛らしかった。それまでになく機嫌がよさそうでもあったし、僕はひたすらに参ってしまう。


 そして僕はあきらかに安ワインの飲み過ぎなのだった。彼女はワインを水のように飲んだ。僕がつげばつぐだけグラスを空けた。そのペースにすっかり乗せられてしまった。


 それと理由はもうひとつ。


 このイタリアンレストランを出れば、必然的にウチに帰ることになる。


 僕と、彼女、一緒にだ。


 もちろんそれは僕が望んだことではある。こんな美人と一緒に暮らすなど、願ってもみなかったことなのは間違いない。でもそんな幸福が突然に自分に訪れるなんて、怖くないか。


 もし、連れて帰ったとたん、こんなトコで暮らすの無理って言われたら? いやそんなことが怖いんじゃない。彼女はそんなことを言わないだろうという予感もある。それにそう言われたら言われたで彼女のことは最初からなかったことにすればいいだけだ。


 そうじゃない。やはり、一緒に暮らすうえで彼女が僕に期待しているであろうこと――いろいろな意味で――に果たして自分が応えることができるかどうか、が不安なのだ。


 彼女は単に住む場所を必要としているだけなのかもしれないし、あるいは正反対に、僕が心に思い描いたような二人の仲睦まじい生活を期待しているのかもしれない。おそらくはその二極の間のどこかだろうとは思うけれど、実際のところどうなのかが一向に見えてこないことが不安に拍車をかける。


 そんな不安を隠そうとしてなのか、僕は喋りまくった。なにを喋ったのだろう、よく覚えていない。自分の生い立ちとか、職場の話とか、いろいろ。


 一方の彼女は、基本的に僕の話を聞いているだけで自分のことは話さなかった。ただ、それなりに真摯に僕の話を聞いてくれているようではあった。さほど関心があるようでもなかったけど。


 とにかく、これ以上は飲めない、ってトコまで来た。つまりもう帰宅を引き延ばすことはできない。いいかげん覚悟を決めねばなるまい。


「そろそろ出ようか」


 僕の言葉に彼女は頷いた。特にそのことになんの感想も抱いてなさげな頷きだった。


 椅子から腰をあげてみると、酔いは僕の予想を超えていることがわかった。


 忘れずに荷物を抱え、僕はレジで清算した。酔っているせいで、請求額に対してお札を何枚出せばいいのか頭を働かせるのに時間がかかったが、お釣りが小銭で返ってきたので正しく支払えていたのだろう。


 よろよろと店を出て、駅に向かった。パンパンに膨れたユニクロの袋を両手にぶら下げて(ちなみに歯ブラシもその中に押し込んである)。


 意識して足を動かさないとまっすぐに歩けなかった。いや、まっすぐに歩いていると思っているのは自分だけかもしれなかった。


 彼女は僕のすぐ隣を歩いた。足元がフラついているような様子は一切なかった。僕の酔いっぷりを心配しているようでもないし、荷物を半分持ってくれそうな素振りもなかった。


 頭が回らないながらも僕は駅で彼女の切符を買い、改札を抜け、ホームにきた電車は急行だったので見送り、その次に来た各駅停車に乗った。その間、荷物は持ったままだ。手を離すとそのまま置き忘れそうな気がしていた。


 車内には空席もあったが座らなかった。座ればその瞬間に意識を失いそうな予感もあった。


 ドアに寄りかかったのがいけなかったのかもしれないが、ほんの二駅のあいだの電車の揺れは僕の酔いを加速させた。駅のホームに降りたときにはもう如何に意識してもまっすぐ歩くことはできなくなっていた。


 彼女は隣でそんな僕を見ていたけども、依然として僕のことを心配する様子もなければ、呆れているようでもなかった。少し可笑しがっているように見えなくもなかった。


 自宅アパートに向かった。もはや僕の意識は途切れ途切れになっていた。普段なら十分程度の道のりだが、ゆうにその倍はかかったろう。途中の公園で満開の桜の樹が闇のなかに白く浮き上がって見えたのだけ、はっきりと意識に残った。


 なんとか帰り着いた。彼女を部屋に入れる前に外で待ってもらって少し片付けをしようなどと考えていたことはすっかり忘れていた。定まらない手つきでポケットを探り、鍵を取り出し、ドアを開け、彼女を先に中に入れた。玄関で僕は無意識の動作で鍵を閉め、電気を点けた。すでに彼女は靴を脱いで奥に足を踏み入れていた。僕の部屋は1Kで、手前がキッチン、奥が寝室だ。彼女の後に続く形で寝室に行って、そこの電気も点けた。もうなにも考える余裕はなかった。荷物を床に置くと同時に僕はその場にへたり込んだ。そしてローテーブルに突っ伏してしまった。置きっぱなしにしていたペットボトルが床に転がり落ちた気配がした。


 彼女が僕の背に手を当てたのがわかった。フェードアウトしかけた僕の意識がその暖かさを感じていた。少しして彼女の手が離れた。


 次に肩を揺さぶられる感覚で僕の意識は戻った。


「ほら、これを飲んで」


 彼女が言った。僕は力を振り絞って顔をあげ、薄目を開いた。水の入ったコップが目の前に差し出されていた。


 んー、と声を出し、僕は重い体を少し起こした。なんとか水を飲めそうな姿勢になったところでコップを受け取り、そのまま口に運んだ。傾けるにつれ、口の両脇から水がこぼれたが、構わず飲み続けた。


 飲み干して僕は再びテーブルに突っ伏した。


 なぜだろう、そこで目がパッチリと開いた。思考が急速に定まってきた。


 バッと体を起こした。彼女は僕の隣に座っていた。


「お風呂に入ったら? お湯を張っておいたから」


 いつの間に? そんなに長く突っ伏していた感覚はなかった。


 僕の部屋には、いちおう、風呂がある。笑っちゃうくらい狭いうえに追い焚きの機能もないのだけど。


「あ……、い、いや、君が先に入るといいよ。僕は、ほ、ほら、まだちょっと酔いが回ってるから……」


 僕がそう言うと、彼女は小さくニコリとして、立ちあがった。その際に、かたわらに畳まれて置いてあった衣類の山のうえから一掴みしていった。見ると、ユニクロで買ってきたものがすべて取り出されて、きちんと重ねられていた。


 少しして、風呂場のドアが開いて、閉じた音がした。僕はその場に座ったまま、まばたきをした。彼女にああは言ったものの、実際のところはなぜだか酔いがすっかり醒めていた。もう二日酔い確定だと思っていたのに。立ちあがると奇妙に体は軽く感じられた。


 気を取り直して僕は部屋を片付け始めた。本当に散らかっているのだ、謙遜ではなく。

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