第九話 死蝋の貴方 其の弍
「ただいま」
台所から、「おかえり」と声が聞こえた。
白沢詩乃は靴を脱ぎ、自室に続く階段を登る。ドアノブを捻ると、こじんまりとした部屋が目に飛び込んできた。
鞄を机に雑に起き、ベッドに飛び込む。ぼふん、という緩く柔らかい感触を手で味わいながら、足で器用に靴下を脱ぎ、携帯に手をかけた。
ブラウザを起動し、『影 妖怪』と検索をかける。
ひとつ文献を読み込もうとしたところで、はっとして携帯を切った。
「あほらしーな。私、どうしちゃったんだろ」
体を起こし、深呼吸を挟む。そうすれば少しでも気が晴れると思ったのだが、期待通りには行かなかった。
楓子はあの後、どうしているだろう。
「大丈夫かな」
不安を口にしてみても、和らぐことはなかった。
詩乃は楓子の家まで行くことにした。
階段を駆け下り、サンダルを履く。普段なら靴でいくが、謎の焦りが、靴を履くだけの一手間を許さなかった。
背後から母の「どこに行くの」という声が聞こえたが、「すぐ戻るから」と答えるだけだった。
楓子が学校以外で外に出ることはあまりない。玄関を飛び出た詩乃は、楓子とのメールで、家に向かう旨のメッセージを送る。送った直後に携帯を切ったせいで、メッセージは送信されなかったが、詩乃は気づかなかった。
楓子の家に向かう道を走る詩乃。しかし突然、足を止めた。
目の前に黒ずくめの、背の高い人間が一人、が立っていたからだ。
「え……」
詩乃は驚いた顔で止まっていた。
「君が白沢詩乃ちゃんか」
黒いパーカーと黒いズボンという格好。詩乃はある可能性に辿り着いた。
ストーカーだ。家を知られているということは、つまり、跡をつけられていたということ。
「ひっ」
急に恐怖を感じた詩乃は、今すぐに逃げ出すべく走ろうとした。だが。
「待ってくださいよ」
ストーカーに手首を掴まれ、ぐんと視界が曲がる。
躍起になって手を引こうとしたが、それも敵わない。
「嫌!」
引き剥がそうにも力が強い。掴まれている手が痛い。詩乃の手首を拘束している手指は、妙に冷たかった。




