第五話 虚を夢む 其の伍
「フー子ちゃん、何だってあんな子とつるんでるの」
廊下を歩いていると、背後で楓子に手を引かれている彼女が、不思議そうに聞いた。
「好きでやってるわけじゃ無い」
だろうけどさ、と不満を溢す叶。しかしその続きが思いつかなかったのか、すぐに黙り込んでしまった。
楓子はますますえずい気がした。こんな話がしたいわけじゃないのだ。
聞き出さないといけない、オバケのこと。
「ねえ」楓子はとうとう、立ち止まった。体育館に続く裏口まで歩いた。ひと気のない此処なら、秘密話には丁度いい。
「オバケのこと、いつ話してくれるのさ」
振り返ると、叶がにやりと笑っていたもので、楓子は思わず飛び退きそうになる。
「聞きたい?」彼女は意地悪く、こちらのつもりなどわかり切っている様子で言った。何故、明日教えるなんて言ったんだと反論したくなったが……
その必要はないみたいだ。
叶は、丁度いいくらいの大きさの切り株を見繕うと、どかっと適当に座った。それから、話を切り出した。
「カゲロウ、って知ってる?」
「知らない」
だよね、と返される。
「人間って、目に見えない、存在しないものでも、名前をつけるでしょ? 神様とか、それこそ、オバケもそう。そういう、人の思い込みから生まれるのが怪異なの。……私は親しみを込めて『カゲロウ』って呼んでる」
「うぅん……」
楓子は思わず唸る。
叶が「むずかしい?」と聞いてくるが、そうではない。
「言ってることはわかる。けど、飲み込めないよ、そんな御伽みたいな話」
正直な感想だった。普段見ているバケモノのことを、ずっと気になってはいた。それでも、いざ話されると現実味がなかった。
それに、一番は。
「何であなたはその……カゲロウのことを知ってるの?」
「叶でいいよう」
自分の呼び名を訂正すると、叶は言った。
「家柄が特殊で、『ロウオリ』って家業を代々受け継いでるんだ……って言っても、私は所詮お姉ちゃんが戻ってくるまでの穴埋めだけどね」
楓子がどういうこと、と聞くと、叶は一度黙った。話を遮ってしまったかと焦ったが、すぐにそうではないと気がついた。
叶の影が蠢いていた。
「私に憑いてる『ツッキー』は特別でさ。私の家で、代々存在が受け継がれてる、守り神みたいなものなんだ」
叶が人差し指を地面に向けると、影もそれに呼応するように身をひねり出し、彼女の指にまとわりついた。段々と、黒い影が金に近い黄色に変わっていくのを見て、楓子は凍りついた。
「この子は元々、私のお姉ちゃんの影だった」
不意に出てきた『姉』という言葉に、楓子は思いがけず反応する。
「どういうこと」
「いなくなったんだ、お姉ちゃん」
しまった、と楓子は心でつぶやいた。叶の表情が、途端に暗くなったからだ。
「その……ごめん」
「いいってば。それ話さなきゃ、『頼みごと』もできないし」
そこで、楓子は昨日の話を思い出した。
『私のお姉ちゃんを、一緒に探してほしいの』
確かに、そんな頼みごとをされた。
行方不明の姉。
姉探し。
でも、それなら。
それならどうして、楓子に頼んだのだろう。
「何で、私に頼んだの」
「視えてるから」叶は短く言い捨てた。「カゲロウが見える人って、不思議なもので、見たらわかるんだ。私、越してきたばっかでこの町のこと何も知らないから」
だから教えてね、と、叶は笑う。
楓子は悩んだ。
彼女と一緒にいるべきなのか、分からない。第一に、自分が人の役に立つなんて、想像もできない。昔から詩乃に頼ってばかりで、一人じゃてんでダメな楓子に、『姉探し』なんて大事な仕事を引き受けられるとは、自分でも到底思えなかった。
でも、少しだけ、できるんじゃないかと思った。
自分だけオバケが見えることに、ずっと悩まされてきた。誰に言っても分かってもらえなかった。
叶は違う。
同じようにオバケが見える叶なら、分かってくれる。それは叶も同じなはずだ。
まだ、迷いは消えてない。でも……
「手伝う、よ。お姉さん探すの」
楓子は途切れ途切れになりながらも、言った。
瞬間、叶がぱあっと顔を明るくしたのがわかった。
「ほっ、ほんとっ?!」嬉しそうな笑顔で、彼女は言った。「ほんとに手伝ってくれるの?!」
楓子は驚いた。叶は、今までとは全く比にならないぐらい明るい表情をしていた。
「で、でも仮ね。仮だから……」楓子は一応、保険のつもりでそう言った。まだ完全に信用できるわけじゃない。
しかし、叶はまったく気にしていない様子で「うんっ」と頷いた。邪気のない笑顔に、彼女を疑った自分を、楓子は恥じた。
そのときだった。
「あっ、いたっ!」
教室棟の裏口(体育館に出るための裏口を通じて、外は教室棟とつながっている)の方から、音の高い声が聞こえた。目をやると、女生徒が一人、こちらに向かって走っていた。
楓子は顔を顰めた。「知り合い?」という叶の声は、耳に入っていなかった。
クラス委員長の津田。いつもクラスを仕切るのは彼女で、その力は、行事ごとの頭にはいつも彼女がいる、とも言えるほどだった。
楓子はほとんど話したことがない。しかし、彼女の性格を考えれば、転入してきた叶に興味津々なのは自明の理だった。
予想は的中したようで、彼女は初めに叶の名前を呼んだ。
「わ、私?」
「ええ! せっかく同じクラスなのだから、仲良くしたいと思って!」
「は、はあ」
真子は相変わらず、丁寧で抑揚の激しい口調だった。楓子の嫌いな喋り方だ。
叶は当惑したようで、楓子に目配せた。しかし、こちらを見られても困る。
「もし良ければ、放課後にズダバ行きませんか?」
だが、津田のその言葉を受けて、叶は一転、表情を変えた。
「ズダバってあの……?!」
「もちろん、椛本さんも一緒に」
不意の気遣いに、楓子は小さく唸った。
津田との仲はあまり良くないし、叶とも出会ったばかりで交遊が浅い。この三人で出かけるなんて、息苦しいことこの上ないというものだ。
「いいねえ。ズダバ、行ったことなかったから気になるんだよね! フー子ちゃんも一緒に行こうよ」
「いや、そんな……」
「そうよっ」
同調して誘ってくる津田。ここで断らないと、後戻りできない。しかし……
「楽しみ、です……」
楓子は心底、自分を恨んだ。




