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一炊夢  作者: 納豆ご飯
第3章 蛙編
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第三十五話 或る指 其の漆



 老父が従業員一覧簿の入ったPCを持ってきてすぐ、鹿野と金守は『神室香織子』の名前を探した。彼女が第三者の口座に不正な送金等をしていないか調べるためだ。そのためには、従業員一覧簿の名簿に記載された店舗内IDが必要になる。

 しかし、現在の、過去のどの一覧を探っても、彼女の名は見つからなかった。

「おかしいですね」鹿野は眉間に嫌な皺を集めて云った。「神室は少なくとも昨日までは書店の従業員だったはずですが……」

 従業員一覧簿には、ソフトが使われていた。

「神室の名前を消した形跡はない。一旦、隊長に神室の情報の出所を探ってもらうわ」金守は、その言葉に鹿野がうなずくのを確認した。「何か知ってることはないですか」そして老父に話を振った。

「神室香織子という従業員を見たことはありません」

 老父が云う。

「ですが、名前だけなら聞いたことはあります」

 鹿野はふと、老父の口元が小刻みに震えていることに気が付いた。

「どこで聞いたのか、言えない事情でも?」金守は聞く。「ここには三人だけです」

 すると老父は、何かを決意したように唾を呑んだ。

「数年前、或いは十年以上前、私がここで働き始めたころから、時々大柄な男たちが現れるようになったのです」老父は説明をつづけた。だがその声に先ほどまでの流暢さはない。「つい先日のことでした。久方ぶりに、また大柄な男達が来て、何か話していたんです。その会話の中に、神室という名前がありました。しかし、聞いたことは絶対に言うなって脅されて……」

 鹿野は少し考えるそぶりをしてから、云った。

「ご協力ありがとうございます」

「偽情報を掴まされてたわけか」金守は小さく唸った。

 一度、本部で情報の照合を行った方がよさそうだ。

 その時、鹿野は本棚から何かを見つけた。

「あれ……何です?」

 その言葉に、金守と老父も鹿野の視線を追う。同時に鹿野は立ち上がり、そこへ歩み寄っていた。

 本棚からいくつか本が抜かれた形跡があり、本が傾き、何かが露出していた。

 鹿野は周りにあった本をすべて、棚の上に除けた。そして、()()を取り出した。

 それは金庫だった。

 子供の文房具ほどしかない、小さな金庫。四桁の暗証番号を要する金属製のダイヤル[[rb:鍵 > キー]]で固く閉じられている。

「これは……」

「はて、見たことがないですな」

 老父と金守も、興味深そうに顔をのぞかせた。

 その時、唐突に()()()()()()()()()()()

「どうも、刑事さん」

 三人は驚いて周囲を見回した。だが、この三人以外には誰もいない。

 そこで、鹿野はまさかと、老父に駆け寄った。

「な、なにを」

「背中を向けてっ」

 鹿野は鋭い声で指示をした。途端に老父は焦ったように背中を差し出した。

 鹿野は老父のジャケットを調べ、そして見つけた。

 ()()()()()()

「私は刑事さん二人()()、危害を加えるつもりなどありません」その声は、変声機で声が変えられている。

「え?」

「私は、裏切り者を始末するために、今こうして話しているのだから」

 受信機の向こうの声は、落ち着き払った声で言った。

「わ、私……?」老父は、怯えたような信じられないような、泣き笑いのような表情をしていた。「ほ、本当にすまないっ。話してしまったことは謝る! だから……!」

 返答はない。

「待っ……!」

 その時、金守が一喝した。

「誰だか知らんが、アンタは恐喝罪や。逮捕される」

「逮捕ね」だが、受信機の声は聞く耳を持たない様子で続ける。「それなら、こちらの手札も教えます」

 途端に、だった。

 老父が自分の喉を抑え、唸り声を上げ始めた。

「どうかしましたか?!」

 咄嗟に鹿野が駆け寄り、老父の様子を見る。だが、老父はそれを乱雑な手つきで押しのけた。

「カラスの怪異です」不意に、受信機の声が言った。「船迫さん、貴方は死ぬ。『季節泥棒』の……穢れた悪夢より愛をこめて」

 老父の口から、黒い塊が突き出した。それは()()()()()()()()()()()()

 烏は老父の喉から頭にかけてを縦に引き裂いた。同時に鮮血が噴き出し、鹿野と金守の顔に降りかかる。烏は鮮血を突き抜けて飛びあがると、店の吹き抜け窓を抜け、空へと飛んで行った。

 あとには、血だまりを残して倒れる老父()()()()()と、床に幾何学模様を描いて飛び散った鮮血だけが残った。



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