第四話 虚を夢む 其の肆
強い日差しが頬を刺す。じりじりと太陽の照りつける午前八時、楓子は学校の門の前で、一学期最後の登校を終えたところだった。
靴を履き替え、階段を駆け上がる楓子の足取りは、羽のように軽い。その理由も明白だった。
今日は七月二三日。明日から夏休み。
陰キャを拗らせた楓子はなるべく人と関わりたくないので、夏休み、という単語を聞くだけで、血の巡りが悪くなる。
だがしかし、遊び呆けることもできるのだ。
詩乃はもう来ているだろうか。今日は三時間授業なのでいつもより早く来たが、普段楓子は、毎日のように遅刻するため、詩乃が何時頃来るのかはわからない。
そんなことを考えながら、二ー一と記されている木札の垂れ下がった教室に入る。
教室は、黒板を正面にして左側に窓があり、右側が廊下につながっている。一列六席の八列構成で、一番窓側の列だけ五席だ。
活気のある字で『目を見て挨拶をしましょう!』と書かれた掲示用ホワイトボードをガン無視し、自分の席につく。
やはり詩乃はもう来ていた。詩乃は窓側から二列目、前から二番目の席だ。楓子は廊下側の六番目。わかりやすく言えば右下の端の席だ。
登校の早い男子連中が、仲のいい友達と絡んでいる。
楓子は、櫻井と藤田という二人の男子が嫌いだった。下の名前すら覚えていない。うざいしきもいし煩いしで、死ぬ間際の蝉のようなやつらだ。
とはいえ楓子も、人のことを言える人種というわけではないが……
「やっ。おはやう」
「…おはやう」
ぼーっと黒板を眺めていた楓子を独特の挨拶で現実に引き戻したのは、親友の白沢詩乃だ。
「楓子、今日めっちゃ早いじゃん。夏休み前だから?」詩乃が手を団扇のようにして、顔を仰ぎながら言った。
詩乃は余裕のある態度を見せた。
詩乃とは小学校に入る前からの幼馴染だ。元々は楓子と同じく内気で、積極的に人と関わろうとはしない人だった。
しかし、中学になってから、彼女は変わった。ガタガタのストレートだった髪は三つ編みになり、教室の隅で読んでいたチープな乙女雑誌は参考書に変わった。バスケ部に入ったことでスポーツの才能に目覚め、二年生ながらに副部長を務める。教員の推薦で生徒会に入り、今では次期会長候補と来た。
別人みたいだ、と言うより、これが本来の彼女なのかもしれない。今まで触れてこなかっただけで、勉学もスポーツも並外れている。
「楓子、テンシオン高いじゃん」
「発音変……って、そんなことないけど?」
「……へえ?」
楓子は誤魔化したつもりだったが、詩乃はいやらしく口角をあげた。
「そんな誤魔化しは私には通じないのだよ楓子……ぶっちゃけ夏休み前でわくわくしてるんだろう?!」
楓子は意表を突かれ、動揺した声を出した。
「はっ、はあ?! そ、そんな、子供じゃあるまいし…」
「あはは! 楓子おもしろぉ…って痛ぁ!?」
むかついたので、頭を引っ叩いてやった。
「はあ……別に、そんなんじゃないよ」
そういうと、詩乃は低い体勢のまま、「ふーん」と呟いた。
「ほんとにそうかぁ? まあいいけど……」
その時、詩乃の声を遮るように、聞き慣れたチャイムが鳴った。
「席戻らないと」
詩乃は軽く手を振って、楓子の席を離れた。
それから、トイレから走って戻ってきた男子達を追いかけるように先生が教室に入ってきた。
「お、今日は椛本もきてるか。じゃあHR始めるが、その前に…」
そう言って先生は、少し姿勢を改めた。「なんだなんだ…」と周囲がざわつき始めたが、先生の「静かに!」という一喝で収まった。
「えー、夏休み前日で申し訳ないが、転入生を紹介する!」
樫木先生が、いつもよりかっこつけた姿勢で言った。
「えー!?」
「転入生?! まじ?!」
男共ががやがやと騒ぎ立てた。
転入生、と聞いて、楓子はどきっとしたが、すぐに平常心に戻った。
どうせ新しく生徒が入ってきたところで、コミュ障な楓子が関わることはないだろう。周りのクラスメイトは転入生と聞いて歓声や雄叫びをあげているが、楓子は心底どうでも良かった。
「じゃあ、入ってきてくれ」
先生が呼ぶと、廊下から足音が近づいてきた。楓子は興味がなかったので、特に気にはしなかった。
しかし、視界の端を見覚えのある金髪が横切ったことで、咄嗟に転入生の方を見た。
「茨木叶です! お化けと金平糖が好きです! 皆さんよろしく!」
「……え」
右が眼帯で隠されている、透き通った赤い眼。どこか幼さを感じさせる顔立ち。特徴的な金髪。そして首元の勾玉。
楓子は、ぽかんと口を開けてしまった。そんな楓子を、詩乃が遠くの席から眺めていたが、楓子は気が付かなかった。
教室は一気に騒がしくなった。
「すげぇ! 目ぇ真っ赤! 外国人かよ?!」
「ウチの学校、金髪大丈夫だっけ?」
「…なにあの眼帯。厨二病?」
みな各々の反応で驚きをあらわにしている。その中で楓子は、ただ黙って見ていることしかできなかった。
「うそん…」
不意に口から、言葉が漏れた。
「突然、この学校に来る事になったんだ。みんな、仲良くしてやってくれ」
樫木が気合の入った声を張る。
「かっしーいつもより元気じゃね?」
「可愛い子来たからかな?! ウケる!」
みんなが騒ぎ立てる中、叶はいそいそと辺りを見回している。楓子は、どうか気づかれないようにと願っていたが、そんな願いは虚しく、叶の赤い双眸が楓子を捉えた。
その瞬間、叶の表情がぱっと明るくなった。
「先生! 私あそこの席がいいです!」
そう言って叶は、楓子の席を指差した。クラスメイト達は、さらに騒がしくなった。
「構わないが…じゃあ椛本、いろいろ教えてやってくれ」
「えっ? ちょっ…」
「よろしく! フー子!」
勢いに気圧され、楓子は戸惑うことしかできなかった。くそ、なんで丁度よく隣が空いてるんだ。楓子はそう心の中で言った。
叶が、楓子の隣の席に腰掛ける。
そんなこんなで、叶が楓子の学校に転入してきたのであった。