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一炊夢  作者: 納豆ご飯
第3章 蛙編
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第三十話 狡猾な蛙 結



 叫びながら、楓子は飛び起きた。

 起きて、身体中をまさぐった。どこにも怪我はない。手のひらを顔に添える。嫌な汗がべったりと滲んでいた。

 頭はひどく混濁していて、ごちゃまぜに色々なものが浮かぶ。それからしばらくして、蹂躙される叶たちの光景が、脳裏にフラッシュバックする。

「何が、起きて……」

 楓子は、辺りを見渡す。

 生物室に居たはずだ。しかしここは、アゼミに拘束されていた、あの()()()()()()()

 そのとき、目の前に、倒れ込んでいる一人の姿を見つけた。

 それが叶であると、すぐには気づけなかった。

 楓子は彼女の体を揺すったが、その間も、これが現実なのか、という問いが常に頭に浮かんでいた。

 アゼミに殺されたはずの叶。しかし、その身体には傷ひとつなかったのだ。

「うう……揺らさないでよ……」

 叶はとうとう、呻るように声を出して、それからだんだんと意識を取り戻した。

 不思議な感覚だった。まるで()()()()()()()()()()()

「してやられたな」

 そのとき、背後で低い唸り声がした。

 村瀬だった。顰めた顔で、頭を掻いている。

 その傍らでは、真子が寝息を立てていた。




*****




 畦巳芭は、体育館の裏手に走り込み、胸を押さえて呼吸を整えた。

 生徒の視線を掻い潜れる裏出口から、ようやく教室棟を抜けたところだった。

 体育館のすぐ横には武道場がある。周辺は緑が好き放題に生い茂っていて、腐った卵のような臭いがした。

「脅かしが過ぎたなぁ」

 アゼミは苦笑した。椛本たちにではなかった。その笑いは、荒事にすっかり慣れてしまった自分自身に向けられていた。

 アゼミにとり憑いたガマというカゲロウは、カエルの怪異である。有名な怪異伝に伝えられたうちの一体であり、()()()()()()()()

 ガマに、人を傷つける力はない。しかし、幻覚の中で怖がらせることならできた。もっとも試したことなどなかったので、これほどに上手くいくとは思わなかったが。

 椛本たちも、これで諦めてくれるだろう。それこそ、茨木のカゲロウに正面から挑むのではまず敵わない。嗅ぎ回られると厄介だ。

 呼吸が整ったところで、アゼミは校舎へ振り向いた。

 そして絶句した。

 三階の窓から、金髪の少女が身を乗り出していた。

「なっ……?!」

 金髪の彼女……茨木叶は、窓の縁に足をかけ、今にでも飛び降りそうな体勢で叫んだ。

「私から逃げられると思うなぁッ!」

 舌打ちをし、アゼミは逃げ出すべく体制をとった。

「しんどいなぁ、もうっ」

 茨木はすでに飛び降りていた。彼女の足元からは素早く黒い影が飛び出し、落下しながら身を捩った。影は金色に変色しながら、叶の落ちるであろう地面に先回りし、叶を受け止める。

「うおうっ」

 地面に叩きつけられる寸手のところで、叶は腰を受け止められ、無事に着地する。

 アゼミはそれを後ろ目に見ていた。少し悩んで、彼女のほうへ正対する。

 それから、右手を前方に突き出して、唱える。

「"オオガマ"」

 途端に、アゼミの背後の虚空から、どす黒く巨大な腕が飛び出した。

 叶の表情が強ばったのが遠目に見える。

 まるで異次元から飛び出してきたかのように、突如現れた腕。それは、黒くも艶のある、蛙の掌だった。

 それぞれが人の背丈ほどあろうかという三本の指。そしてその半分ほどの大きさの親指。先端には両生類特有の吸盤があった。

 その手はゆっくりと地面に降りた。

 腕に引っ張られるように、虚空から頭部分が飛び出す。そのまま、胴体、そして後肢が顕現した。

 小さなカエルを寄せ集め、巨大な一体に見せているのだ。

 アゼミの切り札である。

 オオガマは、叶とツッキーの方へ頭を向けると、そのまま大きく口を開いた。

「ツッキー!」

 叶は攻撃されると悟ったのか、声を上げた。その声に呼応するように、金色の影は巨大化する。

 そして、オオガマの頭を掴んだ。

 オオガマは小さな蛙の寄せ集め。集まって大きく見せているに過ぎない。

 初めから足止めが目的だ。

 アゼミは身を翻し、学校を出るべく走り出した。

 背後からは激昂する叶の声。

 アゼミは一度も振り返ることなく、校門を目指して走った。



*****



「ならついて来んでええ」

 彼のはっきりとした物言いに気圧され、楓子は肩を震わせる。

 もう諦めようと弱音を吐いた楓子に、村瀬は腹を立てている。それくらい、見てわかる。

「先に言っとくが、責めてるわけやないからな」謝ろうとした楓子に、食い気味に返す村瀬。

「俺はアゼミが怖い」

 しかし言葉とは裏腹に、村瀬はふふっと笑った。鼻にかかった笑い声。後味の悪そうな、恨めしそうな声色である。

 どうして彼が笑えるのか、楓子は理解できなかった。

「怖い。いうても、納得はいってないからな。アゼミは捕まえに行く」

「そんな……」楓子の口から、咄嗟に言葉が出る。

「どっ、どうしてそんなに前向きなのさ。何もできなかったのにもう一回なんて……だって、死んだら終わりじゃんかっ」

 楓子の叫びに、村瀬はまあ聞け、と笑った。

 また、笑った。楓子は文句の一つでも言いたかったが、それより先に彼は言う。

「カゲロウってのは、ああも都合よく使えるわけやない。これはアゼミの同級生から聞いた話やが、アゼミは五年前の事件で、一度行方不明になっとる。犯人の奴に利用されて、指切りを経て蝋折になったんだとすれば、少なくとも外側から()()()()ケースのはず。勾玉が何よりの証拠や。アゼミは少なくとも、勾玉なしにカゲロウを好きに扱うことはできん」

 そこまで聞いて、今度は叶が口を挟んだ。

「私たちに、わざわざ自分に殺される幻覚を見せたのは、自分を強く見せるためってこと?」

 その指摘に、村瀬は「ああ」と淡的に返す。「筋がいいな」

 えへん、と胸を張る叶。

「つ、つまり」楓子は話を戻す。「アゼミは……」

「弱いのを隠しとる」

 村瀬はくぐもった笑いを浮かべた。

「アイツは今頃、まんまと罠にかかった俺らを置いて逃げようとしとるはずや。今ならまだ間に合う」

「でも」叶は頬を膨らませる。「どこから逃げたかなんてわかんないじゃん」

 それだよ、と挟む村瀬。彼は、自分のスマートフォンを突き出した。叶は怪訝そうに眉をひそめた。

 楓子も、画面を覗き込む。

「地図……学校の?」

 携帯の画面には、学校を中心とする小さな地図が広がっており、高等部校舎の、恐らく現在地である場所は青い点で示されていた。

「この点は、俺らやない」

 村瀬の言葉に、楓子は、さらに画面を注視する。

 そして気づいた。

 高等部校舎にあった青い点は、一度点滅すると、そのすぐ近くの、裏口を出た。体育館の裏手を移動している。

「あの霧が出る直前、アゼミの服の袖にGPSをつけた」

 村瀬の顔に、いやらしい笑みが貼り付く。

「追うで」



*****



 走ってくるアゼミを、楓子は校門で迎え打った。

 信じていいんだよね、と、心の中で村瀬に言う。彼の言ったことはあくまで予想なのだ。

 アゼミは楓子に気がつくと、目を見開いて、足を止め……それから、躊躇の表情を見せた。

「驚いたなァ。君は今頃、すっかり怖気付いていると思ったんだけれど」

 核心を突かれ、楓子の胸がどきりと高鳴る。

 必死に自分に言い聞かせる。怖気付いていると思われたら負け。顔に出すな。

 飲み込め、私。

「私は……」

退()いてよ」

 覇気のある声。その声に楓子は固まった。

 しかし、引くわけには行かない。

「どっ、どうして、悪いことするんですかっ」

 楓子はできるだけ、必死に見えるように言った。緊張のあまり変な物言いになる。

「ゆ、行方不明になった人たちは、一体……」

「楓子ちゃん」アゼミは楓子を、下から上まで舐めるように眺めて、それから目を合わせた。「演技、ヘタ」

 ぞくっ、と、背中から一気に発汗する気配があった。

 いけない。怯えていることを悟られては、適当にあしらわれてしまう。

 そうと分かっていながらも、楓子の心臓はうるさいままだ。

「行方不明の子たちは諦めた方がいい」

 アゼミは、もはや事件への関与を隠すつもりはないらしく、きっぱりと言った。

「連れていかれた子たちは皆、()の方の元に仕えることになる。でも、逆らった子は……」

 彼の方とは誰のことか、という楓子の問いは、言葉に出なかった。

「逆らった子は逃げられないよ。暗くて五月蝿(うるさ)くて、苦しい場所に連れていかれる」

 楓子の抱いた恐怖心はさらに煽られた。

 だがアゼミは、そんな楓子の動揺を突こうとはせず、続け様に、不可解なことを言ってみせた。

「キミは、人を殺しちゃいけないと思うかい」

「えっ」

 思わず、声が漏れる。

 どういう意図があるのか。肯定すべきか、否定すべきか。しかし、楓子がそれを肯定するのは変な気がする。

 下手に繕うのはやめた。

「普通に考えたら……人を殺すってダメなんじゃ」

 アゼミは目を細める。

「その普通って……」

「だって、痛いじゃないですかっ!」

 彼女の言葉を遮って、楓子は大声で言った。強がりもあったのだろう。アゼミはキョトンとして目を見開いた。

「皆、痛いのは嫌でしょ」

 楓子の言葉に、アゼミは俯いた。肩が震えている。

「しまった」と、楓子は思った。

 怒らせたかもしれない。

 心臓の音がいっそう大きく鳴り響く。どくんどくんと、身体中が跳ねるような感覚に、楓子は居ても立っても居られなかった。

 しかし、楓子の言葉を受けたアゼミの反応は、想像とは違うものだった。

 アゼミはふっ、と声を漏らす。

 そして……

「あっはははははっ」

 笑った。

 当惑が楓子の頭を埋め尽くす。

「あはっ、楓子ちゃんっ、君ほんとうに面白いよ!まったく最高だね。痛いからって……」

 困惑する楓子に、構わず大笑いをするアゼミ。だが、それは楓子に笑っているというより……

 自嘲に見えた。

「君ってば本当に……仕方ない。大人しく話すさ」

 アゼミはため息混じりに顔を上げた。

 なんだか分からないが、上手くいったらしい。

「私は」

 アゼミは何かを言おうとした。

 そのときだった。

 突然、片腕で首を押さえたアゼミ。同時に口元が歪んだ。

 目を凝らして、はっとした。

 村瀬のカゲロウが、アゼミの首元に噛み付いていた。

「ようやった、椛本」

 同時に、楓子の携帯から、村瀬の声が聞こえた。

 何かあった時のためと村瀬に言われ、通話を繋ぎっぱなしにしていたのだ。

「やられたな」アゼミは苦笑した。自分の首にかみついたカゲロウを掴み、無理やり引き剥がした。食い込んでいた歯が引っ張られ、皮膚を裂く。アゼミの唇が歪む。

 楓子は安堵のため息をついた。取り敢えず、上手く行ったようだ。

 打ち合わせの時、村瀬に言われた。

「俺のカゲロウは、人間の身体に噛み付くことで、その人間に取り憑いたカゲロウを祓える」重大な秘密を打ち明けるような、慎重な口調だった。「もちろん限度はあるが、外部から憑いたカゲロウなら、引き剥がすくらいはできるだろう」

 楓子が時間を稼ぎ、村瀬のカゲロウがアゼミを襲う。そういう算段だった。

 楓子は村瀬との通話を切って、校舎の方に目を向ける。未だ姿は見えないが、すぐに村瀬は追い付くだろう。

 アゼミは、片手で首を抑えながら俯いていた。

 ごくりと、唾を飲む。今のアゼミに、カゲロウは憑いていない。

 もう逃げられることはない。ないはずだ。

「最後に」不意に、彼女が口を開いた。それがアゼミの声であると、楓子はすぐには気づけなかった。

「友達は選んだ方がいい」

 アゼミは顔を上げた。

 その顔を見て、楓子は奥歯を噛んだ。誰のことを侮辱しているのかは分からないが、この人に言われるのだけは釈然としなかった。

「あんたに言われなくたって……!」

 楓子は反論しようとした。

 しかし、楓子が言うより早く、アゼミが続けた。


「茨木叶は、世界から季節を消した」


 何秒、経っただろうか。

 何かを言おうとして、しかし言葉が見つからなくて……

 アゼミの言うことなど、はなから信頼する気はなかった。

 それでも彼女の言葉は、確かな説得力をもって楓子の頭に残っていた。

『この事件の犯人は、過去に世界から季節を消しとる』

 病院で村瀬に聞かされた言葉が、頭をよぎる。

 何もかもわからなかった。季節を消すということの意味も、アゼミの言うことも。

 唐突に、声が響いた。

「フー子ちゃんッ!」

 校門の向こう、校舎のほうからだった。

 ツッキーを傍に従えた叶が、楓子のもとへ駆けてきている。

 楓子の意識が引き戻された。

「叶っ!」

 アゼミの舌打ち。

「もう、オオガマを……」

 焦燥の声を漏らす彼女。

「ツッキー!」

 叶の叫び声に、ツッキーは大きく膨れ上がった。楓子はそれを見上げ、思わず後ずさる。

 ツッキーは腕を振り上げると――――爆弾のような一撃をアゼミに浴びせた。ドォン、という破砕音。砕かれた表面コンクリートの欠片が飛び、砂埃が舞った。

「おわっ」

 余波で、楓子の体が反対方向に投げとばされる。

 視界がぐわぐわと歪み、やがて背中が地面に激突する。

「……()ってぇ……」

「あ、アゼミはっ?!」

 叶の言葉に、楓子ははっと、ツッキーが殴りつけた場所に目を向ける。

 アスファルトの地面に、放射状の亀裂が走っている。そこには、何匹かのカエルのようなカゲロウが、死んだように転がっていた。

 アゼミはいなかった。

 楓子が「どこに行った」と言う前に、叶が「あそこっ!」と叫んだ。

 アゼミは、川を伝う道を走って逃げていた。「んべー」と舌を出して挑発する。

 楓子は戸惑った。人間が一瞬で、あれだけ移動できるわけがない。

 それから、アスファルトに寝転がっていたカエルの死体。

 アゼミはカゲロウを失ったはずだった。何故、まだカゲロウが残っている?

 効果がなかったのか。しかし、そんなはずはない。

 理由はわからない。わかることは一つだけ。

 このままじゃ、逃げられる。

「フー子ちゃん、ちょっと我慢しててね」

 突然、叶が楓子に言った。

「は? なに、我慢て」

 言いかけた時、すでにツッキーは、楓子と叶の体を後ろから掴んでいた。

 その言葉の意味を理解して、楓子は一気に青ざめた。

「ま、まって……!」

「待たないわ。ごめん」

 叶は満面の笑みで言った。

 瞬間、叶の笑顔が、視界から大きくブレた。……と思うと、次の瞬間には、地面と空が逆さまになっていた。アスファルトの地面が、一気に遠のいていく。

 楓子は、人生で初めて空を飛んだ。

 楓子は叫んだ。魂が口からまろび出そうになりながら絶叫した。

 ブレブレの視界に、こちらを睨むアゼミの姿が映った。彼女は何かを考えたような仕草のあと、木々の立ち並ぶ道を曲がった。

「あぜっ」

 声をあげるも、再び大きく視界がブレる。

 方向を変えたのか。いや。

 急降下している。

「まてえいっ!」叶はこれ以上にないほど楽しそうだった。もはや、ほんとうにアゼミを追っているのかは見当がつかない。

 何かが込み上げてくるような感覚が、楓子の喉を襲った。

「うっ……うぷ……」

「ちょっ、フー子ちゃん吐かないで! こっ、これこれ使ってっ!」

 吐きそうな気配をみせる楓子に、叶はプラスチックの袋(どこから出したのか)を手渡してきた。そのためか、ツッキーの飛行軌道がぐわんと揺れ、墜落していくのがわかった。

 楓子たちを乗せたツッキーは、路面に雪崩れ込むように着地した。

 楓子は激怒した。

 立ち上がるや否や、叶の左頬に右片手突き(ストレート)を入れた。

 殴られた叶は「ごふっ」と酷い唸り声をあげて吹き飛び、地面を転がって仰向けに静止した。

「我慢しないで吐けばよかった」

 楓子は吐き捨てるように言った。

「ふっ、フー子ぢゃっ、ごべっ」

 叶は左頬を両手で抑えて後ずさった。

「しばきたいのは山々だけど、今はアゼミさんを追いかけないとだから、あとにしといてあげるね」

「そ、そうだね。で、でも」

「あとでね」

「はい」

 楓子は苛立つのをどうにか抑えていた。その苛立ちは、空を飛ばされたことだけが原因ではなかった。

 先程まではこの並木道を走っていたアゼミの姿は、もうどこにも見えなかった。

 完全に見失った。

 飛んだ意味はなかった。

 楓子はくそっ、と地面にむかって吐き捨てる。

「あっ」

 途端、叶が、ぴくりと肩を震わせた。

 楓子は目をやって、それから当惑した。彼女は他でもない楓子を見つめていた。

 いや、楓子を見て、ではない。叶の目線は楓子ではなく、楓子の背後に向けられていた。

「な、なにさ」

 楓子は振り返る––––––

「––––––君たち、話を聞かせてくれるかな」

 長身の中年男が、楓子たちを見ていた。夏だと言うのに厚着だった。

 一瞬、誘拐の話を思い出して怯んだが、男が掲げたものを見た途端に、今度は別の心配がでてきた。

 それは警察手帳だった。

「県警のシカノです」

 私服警察、というやつだろうか。

「私たちになにか……?」

 不思議そうに聞く叶に、シカノと名乗った男は「この頃、物騒な話が後を絶たんのですわ」と、笑った。しかし、目元だけは笑っていなかった。楓子たちを疑ってかかっている目だ。

「キミたち、随分焦ってるようだったから、何をしてたのか気になってね」

 はあ、と楓子は返した。

 アゼミのことを正直に言うべきだろうか。

「私たち、ヒトを探してるんです」楓子の迷いを断ち切る様に、叶が言った。

 男は怪訝そうな目をして、ほう、とつぶやく。楓子はどきどきと胸が鳴った。悪いことをしているわけではないのに、男の鋭い目を前にして、いてもたってもいられなくなっていた。

「それはまた、誰を探してるんだい」

「同じ学校の……先輩ですよ。忘れ物……その、部活の備品を渡すために……というか」

 男は少しの間、逡巡するような表情を見せた。しかし、やがてははぁ、と息をついた。

「そうかい。呼び止めてすまなかった。ありがとう」

「は、はい」

「はあい」

 元気な声。振り返って初めてわかったが、叶は何故か楽しそうな笑みを浮かべていた。

 わくわくしているのだろうか。職務質問に。

「か、叶……なんでそんな笑顔なのさ」

 そう、叶に話しかけた、そのときだった。

「カナエって、君、"イバラキカナエ" ちゃんかい?」

 立ち去ったはずの警察の男に、再び、今度は背後から声をかけられた。

「いっ?!」

 驚きで声を発しながら振り返る。

「わたし?」

 叶はいっぽう、きょとんとした顔でシカノの目に応えた。それを見て何を思ったのか、シカノは目を窄める。

「署まで来てもらえるかな」



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