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一炊夢  作者: 納豆ご飯
第1章 虚と死蝋
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第三話 虚を夢む 其の参



 強い日差しが頬を刺す午前八時。

 靴を履き替え、階段を駆け上がる足取りは、決して軽いものではなかった。

 明日から夏休みだというのに、気分は全くアがらない。それどころか、うだるように浮き立つ空気が不愉快だとまで感じる。

 詩乃はもう来ているだろうか。今日は三時間授業なのでいつもより早く来たが、普段は毎日のように遅刻するため、詩乃が何時頃来るのか、というのは分からない。

 早いのだろうけれど。

 二ー一と記されている木札の教室に入ると、活気のある字で『目を見て挨拶をしましょう!』と書かれたボードが目に入った。それから、目線は黒板に移った。

 やはり、詩乃は来ていた。窓側から二列目、前から二番目の席だ。楓子は廊下側の六番目、わかりやすく言えば右下の端の席であった。

 登校の早い男子連中が、友人と絡んでいる。

「やっ。おはやう」

「おはやう」

 ぼーっと突っ立っている楓子に、独特の挨拶が投げかけられた。親友の白沢詩乃だった。

「楓子、めっちゃ早いじゃん。夏休み前だから?」詩乃が手を団扇のようにして、顔を仰ぎながら言った。

 詩乃とは小学校に入る前からの幼馴染だ。元々は楓子と同じく内気で、積極的に人と関わろうとする性格ではなかった。

 しかし中学に上がって、彼女は変わった。ガタガタのストレートだった髪は三つ編みに下ろされ、愛読していた乙女雑誌は参考書に変わり、バスケット部に入ったことでスポーツに目覚めた。二年生ながら副部長を務めているという。推薦されて生徒会の役員になり、今では次期会長候補ときた。

 別人みたいだ、と言うよりは、これが本来の彼女なのだろう。触れてこなかっただけで、勉学もスポーツも人並外れているものをもっていた。

 大した取り柄のない楓子とは大違いだ。

「楓子、いつもよりテンション高いじゃん」

「そんなことない」

「ウソだなぁ」

 楓子は誤魔化したつもりだった。だが、詩乃はいやらしく口角をあげた。

「そんな誤魔化しは私には通じない。夏休み前でわくわくしてるんだろう!」

 楓子は図星を突かれ、動揺した声を漏らす。

「はっ、はあ?! そ、そんな、ガキじゃあるまいし!」

「あははっ、おもしろ……あ痛ッ」

 むかついたので、頭を引っ叩いてやった。

「そんなんじゃないってば」

 そういうと、詩乃は低い体勢のまま、「ふうん」と呟いた。

 楓子は、昨日の出来事を……叶と名乗った彼女に会ったときのことを思い出していた。

『オバケのこと、明日教えてあげる』

 昨日の明日、つまりは今日。しかし、どう教えるというのか。楓子は、彼女の中学校なんて知らないし、叶にしても楓子の学校は知らないはずだ。

 適当にあしらわれていたのだろうか。心底は楓子を馬鹿にしていて、冗談半分だったのかもしれない。

 それでも、彼女の影からバケモノが出てきたのは、本当のことだった。

「ほんとにそうかぁ? まあいいけどさあ」

 詩乃は分かりやすくぶう垂れた。楓子は自分の思考を読まれたような気がしてどきりとしたが、すぐに思い違いなのだと察した。

 聞き慣れたチャイムが鳴った。

「あっ、席、戻らないと」

 詩乃は軽く手を振って、楓子の席を離れていく。

 手洗いから走って戻ってきた男子を追いかけるように、担任の樫木が教室に入ってきた。

「珍しく時間通りか、椛本」

 何故名指しで言うんだと、楓子は反抗したかった。だが、そんな言葉を挟む間はなく樫木は声を張る。

「ホームルームを始める。が、その前に」

 樫木が姿勢を改めた。「なんだなんだ」と周囲がざわつき始めると、彼は「静かに」と一喝した。

「夏休み前日で申し訳ないが、転入生を紹介する」

 樫木は、幾分か格好つけた姿勢で言った。同時に、クラスメイトは激しく騒ぎ立てた。

「転入生ぇ?」

 転入生、と聞いて、楓子はどきっとした。しかしすぐ、平常心に戻った。

 新しい生徒が入ってきたところで、楓子が関わることはないだろう。心底どうでも良かった。

「入ってきてくれ」

 樫木が呼ぶと、廊下からひとりぶんの足音が聞こえた。楓子はまったく興味がないから、特に気にかけることはしないでいた。

 しかし、視界の端を金髪が横切ったことで、無意識に目線が動いた。

「茨木叶です。お化けとか好きです。よろしくっ」

 楓子が「あのときの……」と呟いたのと、彼女の自己紹介は同時だった。

 透き通った赤い眼(右は眼帯で隠れている)。幼い顔立ち。特徴的な金髪。そして首に掛かった勾玉。

 教室は一斉に騒がしさを増した。

「すっげ目ぇ真っ赤! 外国人?」

「ウチ、金髪大丈夫だっけ」

「なに、あの眼帯。厨二病?」

 楓子は、黙って見ていることしかできなかった。

 クラスメイトががやがやとせわしく騒ぎ立てる中、叶は何かを探すように首を伸ばしたり引っ込めたりしていた。

 もし自分を探しているのなら、どうか気づかれないようにと願っていたが、そんな願いは虚しく、叶の赤い双眸はとうとう、楓子を捉えた。

 瞬間、叶の表情がぱっと明るくなった。

「私、あそこの席がいいです!」

 そう言って、叶が楓子の席を指差した。クラスメイト達はさらに騒がしくなった。

「構わん。椛本、いろいろ教えてやってくれ」

 楓子は反論しようとした。しかし。

「よろしく、ね!」

 ずずいと顔を寄せる叶。勢いに気圧され、楓子は結局口をつぐんだ。

 悪夢を見たような気分だった。



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