第二話 虚を夢む 其の弍
「私は叶。あなたの名前は?」
少女はじっと楓子の目を見て言った。改めて、彼女の目の鮮やかな赤が目に入る。
「かっ、椛本楓子……です。あっ、あの、じろじろ見ちゃってごめんなさい。だから……」
「フー子かぁ、いい名前だねぇ。今日から私達、友達ねっ」
叶は楓子の話を無視し、強引に握手した。
楓子は思わず、体を強張らせた。途端、叶と名乗ったこの少女に、周りに張っていたはずの隔たりをぶち壊され、あげく土足でずかずかと入り込まれたような感じだった。
「と……友達?」
「うん、友達。嫌だった?」
こちらを覗き込むようにして聞かれ、楓子は首を横に振った。
「いやじゃないけど……」ぽつりぽつりと言葉が溢れた。「まだ、君のこと何も知らないし……」
それを聞いて、叶は身を乗り出し、楓子の肩を掴んだ。楓子はおどろいて飛び退きそうになるが、振り解く理由はなかった。
「それは、これから教えますっ」叶は、そう言って楓子の肩をひと揺らしした。「今はまだ、仮の友達ってことで!」
仮ならいいか、と、楓子は勝手に納得した。いや、納得させた。
「仮なら……わかった」
楓子は、声に出そうとした。しかし、実際に出たのは、スズメの囀りほどの声量だった。
それでも、叶の耳には十分に届いていたようで、彼女はより一層喜びの滲んだ顔をした。
「これからよろしくっ!」
叶はきゃっきゃと、地面から飛び跳ねた。何がそう彼女の気持ちを高くするのか……理解ができなかった。
そのときだった。
突然、叶の影である「つっきー」が、ぞわぞわと動き出し、楓子の目の前に陣取った。
「え」
鎌のように腕を変形させ、楓子に飛び掛かった。
「よっ、避けて!」
叶が勢いよく叫ぶ。狂気的な姿になったつっきーは、もう楓子の視界いっぱいにまで迫っていた。
楓子は咄嗟に手を掲げる。だが、影でできた鎌は楓子の身長を優に超える大きさだ。到底防げない……
その時だった。
「止まれ!」
叶の一声で、ツッキーの動きはぴたりと止まった。
かと思うと、振り上げた腕を下ろし、何事もなかったかのように叶の足元に戻っていった。
「ご、ごめん、驚かせちゃったよね!」
驚いた、なんて言葉で済ませていいのか。一歩間違えば死ぬところだった。
「本当にごめん! つっきーは私に近づく人間を攻撃しちゃうから」
「怖っ……う、ううん、でも叶は悪くないよ」
「まあそうだね! 私のせいじゃないね!」
「なんだお前は」
予想外の反応に楓子は戸惑った。叶は謝っていても本気で反省している気がしない。
とはいえ、これ以上責めるつもりなど、楓子にはない。それどころか、彼女に湧いた興味を抑えるので必死だった。
今まで、同じように幽霊が見える人間になんて、会ったことがなかったから。
「フー子ちゃん、カゲロウに襲われたのなんて初めてでしょ」
「……カゲロウ?」
「へ?」
楓子が聞くと、叶は間の抜けた声を溢した。
「えっ、こっちが聞きたいんだけど」
「てっきり知ってるものかと……」
叶は頭を掻いた。
「フー子ちゃん見えてるんでしょ? 街中にいるカゲロウのこと」
「ああ、赤い目のバケモノのこと?」
「ほらいるよっ、あそこ!」
叶は楓子の話を無視して、鎮守杜を指差した。
「話は最後まで……」
楓子は愚痴混じりに呟きながら、彼女の指さす方を向いた。
そして、目を見開いた。
「はぁっ?!」
叶が指を向ける先、鎮守の杜の大木の上に、龍のような幽霊が浮遊していた。
バス二台分ほどの長さに、二メートル弱はあるかという太さを持った巨体で、血の塊のように赤い目。幽霊達と同じ目だ。
「なに、あの幽霊! でかすぎでしょっ」
「幽霊じゃなくてカゲロウね。ここ大事だからさ」
叶が人差し指を立てて言った。鼻につく言い方だ。
「あれはここの "記憶" を司るカゲロウだよ」
「記憶? ってか、なんでアンタがそんなこと知ってんのよ」
楓子が不満そうに聞くと、叶は嬉しそうに話し始めた。
「私は見えてる側のフー子ちゃんが呼び名すら知らないことに驚きだよ。てっきりフー子ちゃんも蝋折の家系なのかとばっかり」
「ロウオリ? なにそれ」
叶は、『本当に何も知らないんですね』という目で楓子を見た。舐め腐るような態度に、楓子は殴りたくなる衝動に駆られる。
「蝋折ってのは、カゲロウと人のバランスを保つための人間のこと。カゲロウは人の記憶から形を成したバケモンのこと」
話を続ける叶の背後で、彼女の影が蠢いた。
楓子はどきりと体を揺らす。
「ああ、ごめん」叶が苦笑する。「まだ怖い?」
「そりゃ、まあ……」




