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一炊夢  作者: 納豆ご飯
第1章 虚と死蝋
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第十七話 虚を夢む 其の拾



 楓子の住んでいる奈良町は、横浜市街とは思えないほどに、緑の溢れる田舎町だ。

 とはいえ、少し歩けばチェーン店やデパートも見えてくる。完全な田舎ではなく、中途半端な街だ。

 楓子はなるべく、外に出たくなかった。人の目につくことが苦手なことはもちろんであるが、外にはカゲロウがいるというのも、理由の一つである。

 街を見渡せば所々に、紅い眼をした奴らはいる。いやでも目に入ってしまうが、もう慣れている。

 それに今は、奴らよりも困った状態にいる。

 楓子は叶に、半ば強制的に朝早くの外出をさせられていたところであった。

「最近できた美味しい蕎麦屋さん、私最近ハマってるんだあ。といっても、お金ないから買えないけど」

 叶が笑うと、彼女の首にかかった白い勾玉が揺れた。

 楓子は思い切って聞いてみることにした。

「叶、ずっと思ってたんだけど、その首の勾玉って……」

 なんだか、随分昔に見たことがあるような気がしたのだ。

 叶は、「ああ、これはね」と勾玉を手に取った。

「茨木家のおまもりみたいなモノでね。私もよくわかってないけど」

「ええっ」

 案外適当で、楓子は少し拍子抜けした。

「お姉ちゃんが待ってたおさがりなんだよ」

 叶はそう笑いながら、ゆらゆらと勾玉を揺らした。本当に叶は姉のことを慕っているのだなと、楓子は改めて思い返した。

「あぁ、ほんとうに暑い」

 楓子はしかし猛暑相手に簡単に魂負けし、ついには叶の肩に手をついて歩いていた。

 叶は困ったような笑みで、「金平糖、いる?」と、ほそ長い瓶から一つ取った。

 瓶のコルクには、レトロな黒いインクで小さく文字が綴られている。『stardust sugar』と。

「なんで金平糖なんだよ」

 楓子はそう言いつつも、金平糖を受け取った。

「結局食べるんだ」

 叶がにやりと笑う。

 楓子は鴇色の金平糖を空にかざしてみる。そう簡単に光が反射するわけもなく、砂糖の塊は色を薄くするだけだった。

「スターダスト、ねぇ」

 思わず、コルクに記されていた名前を口に出してみた。

「星屑って意味だよ」

「英語が読めないわけじゃないのさ」

 叶の無神経な突っ込みに、楓子は冗談混じりに返す。そのまま口に放り込むと、口内でポリポリと、固さを主張する音がする。

「うま」

 楓子が言うと、叶は自慢げに鼻を鳴らした。

 狭苦しい住宅道路を抜けて、交差点を右折する。和風の蕎麦屋が見えた。緑色の鉄板に『なじみ』と大きく文字が入っている。

「叶さ」楓子は唇を尖らせて言った。「分かってて渡したろ」

 土地勘のない楓子は、街の地理など全く把握していない。全て楓子の怠惰のせいなのだが、せっかく蕎麦を食べるというのに直前に甘ったるいものを差し出され、不満が隠せなかった。

「だって、フー子ちゃん疲れてそうだったからさ。そういう時は甘いものだよ。なにより、受け取ったのそっちじゃないか」

「うっ。でも美味しそうなのが悪い」

「えっ、なにそれ。あ、ありがとう……」

 叶が混乱しながら言った。

 楓子は店の戸口の石段をのぼり、入り口の引き戸に手をかけた。しかし、すぐには開こうとせず、一度止まった。

「叶、先入って」

「ええ、フー子ちゃんってば……」

「黙れ無一文」

「すいません」

 叶は返事と共に戸を開けた。ガラガラと硬い木材の擦れる音が鳴った。

「こんにちはっ」

 ほのかに香る蕎麦つゆの匂いが、温く鼻を刺激した。テーブル席が三つ、カウンターが四つと控えめで、座高の高いカウンターは、丸見えの厨房を囲んでいた。厨房の奥の方から、店主の男らしい声が聞こえた。

 カウンターは二つが塞がっていた。叶は迷わず残りの席に腰掛けた。

 楓子もその隣の席につく。

「いい匂い」

「だね」

 席についてすぐに、頭を五分刈りにした店主がお冷を持ってきた。

「嬢ちゃん、お友達と一緒か」

 店主さんの溢れ出る陽気なオーラに、楓子は少し気押された。対照的に、叶は嬉しそうに笑顔を浮かべる。

「私は冷やしたぬき。大盛りでねっ」

 はい、いつものね、と店主は小声で返し、今度は楓子に聞いた。

「お連れさんは?」

「えっ」

 そうだ、私がまだ注文してなかった。

「ええと、私は……」

 楓子は焦りながら、あたふたとメニューに目を配らせる。店主の温かい視線を感じた。

「て、天丼と蕎麦のランチを中盛りで……」

「はあい」

 店主は白い歯を見せて笑った。

「フー子ちゃん、天丼とか意外にがっつりだねえ」

「お腹空いてるんだもん。がっつりは正義」

 楓子は二人ぶんの箸を取り、叶に片方渡した。

「ありがと」と言って受け取る叶。

「さっきから思ってたけど、ちゃっかり私に奢らせようとしてるよね」

 楓子は唐突に迫った。叶は「あぅっ」と、綺麗なまでに分かりやすい反応をした。するとすぐに、罰が悪そうに顔を背けた。

「でもっ、ここは大盛りでも値段変わんないから」

「そういう問題じゃないねん」

「こ、今度返すっ」

「ほんとうか。言ったな。言ったからな」

 叶を小突いている間に、店主の「はいよ」という言葉と共に、ひやしたぬきが置かれた。

 叶は待ってましたとばかりの笑顔で手を合わせ、「いただきます」と箸を動かした。

「他人の金で食う飯は最高だぜ」

「お前なぁ」

 楓子が苦笑していると、目の前にはゴトンと盆が置かれる。

「あい、天丼と蕎麦のランチ」店主がニヤリと笑って言った。

「いただきます」

 楓子はそう言って箸を持つ。目の前で見て思ったが、これは少し……いや、かなり食欲がそそられる。

 大胆に鎮座する天ぷら、その隙間から垣間見える艶のある白い米。そして、豪快ながら儚い色気を放つ圧倒的な存在感の漬け蕎麦。

 楓子はごくりと唾を飲んだ。どういうふうに味わおうか。

 始めに麺をつかみ、啜る。味気なかった口内に蕎麦の旨みが満ち満ちていく。もう一つ箸を進めると、飲み込んだ後の蕎麦の穏やかな風味がふわりと広がる。なるほど旨い。

 ふと傍らに目を向けると、小皿にたんまりと盛られた刻みネギの姿。わかっているじゃないか、と感嘆が漏れそうになる。

 ネギを掴み、麺に乗せ、掻き込む。先ほどまでの端的で素朴な味の中に、ネギという新メンバーが加わる。

 続いて天丼だ。端に居座る天ぷらをずらすと、白米の素肌が露になる。

 ずらした天ぷらを持ち上げる。最初は何もつけずに食べるべし。サクサクっと、繊細な音を立てて天ぷらを噛みちぎる。その瞬間、ほろ苦い旨みが口を満たした。

 これは(ふき)か。椛本楓子の好みをドンピシャで当ててきている。

 天ぷらは食べてから食材が分かる冒険要素がたまらない。見た目でなんとなくわかるだとう、馬鹿め。野暮なことを言うでない。

 続いて白菜、さつまいも、キスを、蕎麦つゆにつける。そして、白米と共に掻き込んだ。おっふと、思わず声が漏れかける。

 蕎麦のことも忘れてはいない。丼のうまみが名残惜しい口に、畳み掛けるように蕎麦を啜る。

 そして、最後に残ったつゆを湯呑みに移し、白い魔法の湯を入れる。

 名残惜しく役者に別れを告げ、蕎麦湯を喉に流し込んだ。

 思わず声が漏れた。こういうのがいいのだ、こういうのが。

「ごちそうさまでした」

 不意に隣を見やる。叶も、丁度食べ終わったらしい。

「ああ、満足するまで食べれたし、そろそろ行きますか」

 叶がその言葉と共に席を立った。

「お勘定!」

 楓子が会計を済ませ、二人は店を出た。店主の「まいどぅ」という元気な声が後から聞こえてきた。

 店を出ると、一気に暑さが襲いかかった。

「歩く気失せるなあ……」

「ええ? 今ご飯食べたじゃん、次はゲーセンいくよ。だから元気だそうよ」

「あんた、ゲームするお金あんの」

「……貸してください」

 叶がそう言って頭を下げる。深いため息が出た。

「美味しいお蕎麦屋さん教えてもらったし、今回だけなら……」

「フー子ちゃん太っ腹ぁ。じゃ、行こ行こ!」

 叶はそう言って楓子の手を両手で掴み、目の前で拝んだ。

 そのときであった。

 楓子は背中を舐め上げられるような不快感に襲われた。

「ひっ⁈」

 叶の手を振り解き、殆ど衝動的に背後を振り返る。

「フー子ちゃん?」

 叶が心配そうに顔を覗かせてきたが、楓子は反応できなかった。

 今の不快感は、他人に注目されている時の感覚と似ていた。それを一千倍にしたような気持ち悪さだ。

 理由はすぐにわかった。

 ファストフードの小さなパーキングに止めてある車の隙間に、黒いフードを被った女性が立っていた。

 顔はフードで見えなかった。だが女性と見当をつけたのは、フードの隙間……肩のあたりまでに、鮮やかな金髪が伸びていたからだ。

「か、かなえ……あれ……」

 楓子が震えるような声を(こぼ)し、指を差す。

「な、なにさ……」

 楓子の言葉に、叶も楓子の指を指す方に顔を向けた。

 叶が途端に表情を変えた。

「あいつ、こっち見てるね」

 そう呟くと、叶は走り出した。

 楓子は引き留めようとしたが、遅かった。

 叶は走る。

 瞬間、パーカーの女性の口角がニヤリと上がったのを、叶は見逃さなかった。

 叶は、走りながら叫んだ。

「つっきー!」

 すると、その声に呼応するように、叶の影が浮かび上がり、黄金色の巨大なカゲロウ、『ツッキー』へと変わった。

 しかしツッキーは動きを止めた。

「えっ?」

 叶が振り返る。ツッキーの体は縮こまり、怯えた様子で震えていた。

 叶は突然のことに混乱を隠せなかった。ツッキーが何かに怯えているところなんて見たことがなかった。

 不意に、叶の目の前に、バサバサと音を立てて大量のカラスが飛んできた。

「うわぁっ」叶はカラスの群れに巻き込まれて飛び退き、尻餅をついてしまった。

 腰の痛みと共に、首元にも鋭い痛みが走った。咄嗟に抑えた手には少しだけ血がついている。カラスの爪が引っかかったのだろう。

 とうとう、走ってきた楓子も追いついた。

「はぁっ……はぁ……お前足早い……」

 叶は起き上がった。

「……あいつは?」

 パーカーの女の姿は、もうどこにもなかった。一瞬、目を離した隙に姿をくらませた。

「何が……どうなって……」

 カラス達はカアカアと鳴きながら、雲の浮かぶ青い空へと飛び立っていた。



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