第十三.五話 死蝋の貴方 其の肆
詩乃を送り出したあと、Aは再び緑山峠を訪れていた。
明かりなしでは何も見えないほど暗く狭い場所を、Aは歩く。
かつん、かつんと響くAの靴音は、単調で何の飾り気もない。
そこは中型バスの車内だった。峠道の外れで、人知れず廃れている。
中は油と錆びた鉄の匂いが充満しており、淀んだ空気が肺を汚す。
Aは手探りで頭部座席を見つけ、静かに座った。
突如、パチンという音と共に小さな電球が点滅し、しばらくして灯りがついた。
灯りがついたことで、車内の様子が鮮明になる。
「もう寝ちゃったか」
Aが笑いかけた先にいたのは、倒れている二人の若者。吉武と武下である。
手足は抵抗ができないように縄で拘束され、バスの車体にもたれかかっている。
「君達も行こうか」
Aは、まず信子の両足を掴んだ。少し引きずって仰向けにしたあと、腕を掴んで持ち上げ、担ぐ。
そうして信子を外に運び出す。吉武も同じように、外に運んだ。
バスの外には、あらかじめ停めてあった小型の貨物車があった。
Aは貨物車の荷台鉄扉を両手で開けた。そこには、同じように手足を縛られた子供が、あと二人。
Aは二人を担いで中に入れた。
そして荷台鉄扉を閉め、ロックを降ろす。ふぅ、と一つ息をついて、Aは口を開いた。
「準備は整った。アゼミ、君の働きには感謝している」
「お役に立てて光栄です」
突然、Aの背後から女性の返事が聞こえた。
その声にAは不敵な笑みを浮かべ、振り向く。
彼女は背高草を掻き分けてAに歩み寄った。不思議なほどに光を反射しない漆黒の髪に、真っ赤な瞳。その瞳孔は猫のように細く窄められている。
「その人たち、どうするつもりです?」
彼女はAの隣まで歩き、顔を覗かせながら聞いた。
Aはまた笑う。
「それは本祭までのお楽しみだよ」
勿体振るAに、彼女は少し不満そうだった。
「もう。そうやってはぐらかすんですから」
Aは「悪いね」と苦笑する。しかしその顔は苦笑というより、期待と野望が混ざったような黒い微笑みだった。
「あれの情報、よろしく頼むよ」
「遅くなるかもしれません」
「気長に待つよ。それも楽しみさ」
Aは山の空気を嗜むように言った。




