第十三話 或る指 其の弐
鹿野が近隣住民への聞き取りを終えて現場に戻ると、丁度、数人の警察官が現着したところだった。
現場に入る前、鹿野は同じ一機捜の婦警、谷山に声をかけられた。
「ご苦労様、鹿野君」
鹿野は振り向いた。そして、眉間の皺をわずかに増やした。
「少し横長になったか」谷山がふっと微笑む。
「やめてくださいよ。気にしてんです」鹿野は苦笑した。「それで、被害者の遺族は」
「さっき来たよ。一機捜の隊員が心の触れ合い中」
「紛らわしい言い方せんでくださいよ」
心の触れ合い……つまり事情聴取とだろうというこ。むやみに紛らわしい言い方を使うのはどうかとも思うが、もう慣れた。
「私はこれから所轄に引き継ぐ。鹿野もサボんなよ」
こちらに手を振る谷山に、鹿野は申し訳程度の会釈をした。
「サボりませんよ」
鹿野は現場に入った。数人の刑事と白ずくめの中年男性、現場化学検査の佐和田がちょうど死体の鑑識をしているところだった。
「扼殺だね。爪の痕と皮下出血がある。気管の閉塞も……」佐和田はそう言った後、下唇を突き出して不思議そうに目を細めた。「いや、それにしては着衣が綺麗すぎる。体には痣もないし……」
「嘱託殺人、ってことですかい」
隣で屈んでいた金守が、彼に聞いた。
「それもあり得るね。でも指には生体反応が残ってる。切断されたのは死亡する前だろう。しかし、何らかの目的で指を切るにしても、普通なら死んだ後にするんじゃないかな……」
その時、佐和田は不意に手を止めた。
「うっ血がある。位置からして頸部頸動脈閉塞かな。そうなると他殺だとしても違和感が残る」
ここの写真を撮ってくれ、と彼は部下に指示を出した。
「人の手でここまで正確に頸動脈を絞めるのは難しいというんですか」
「うん」
鹿野の言葉に、佐和田は死体から目をそらさないで答えた。
「猟奇的な殺人だとしたら、犯人はかなりの知識と技量を持つ人物ということになる。いずれにしろ解剖で詳しいことが分かるだろう。そこで割り出せればいいんだがね」
「すぐに鑑識に回します」刑事の一人がそう言い、現場科学班員に指示を出した。
間も無くして、死体は化学班に担架で運ばれていった。
「中西さん、ご苦労様です」
鹿野は、そばにいたポロシャツにチノパン姿の刑事……中西に声をかける。
「おう、鹿野か」彼は軽く返事をした。「こんな朝から殺人とは、ほとほとついとらんなぁ」
「ホントですよ。まだ金魚に餌をやってない」鹿野は苦笑する。
中西恵吾、捜査一課の刑事だ。勤続三五年のデカで、捜一時代の金守とは相棒だったらしい。
「鹿野、お前の意見はどうや」
中西はオールバックの毛先を弄り、死体が運ばれていくのを眺めながら聞いた。
鹿野は少し思案したあと、口を開いた。
「指を態々切断したのは訳があるはずです。可能性が高いのはヤクザの指詰めですかね」
手袋の中に隠されていた人の指は、被害者のものであると断定され、さらには指の断面に人為的な切断痕が発見された。
「もしくは何かのメッセージ、という筋もあります。計画的な猟奇殺人かもしれない」鹿野はそう続けた。
「暴力団絡みなら身辺調査でハッキリする。だがそれ以外やと、次の被害者が出るかもな」
「出るでしょうね」
中西の言葉に、鹿野が断定的に言った。
容疑を掛けられるのがヤクザとなると、組対四課との共同調査になるだろう。県警総動員の捜査というわけだ。
「そろそろ密行に戻ります。会議は十四時からですよね」
「それまでに戻れよ」
「わかってます」
鹿野は現場を後にした。
*****
現場周辺には何台かの警察車両が在中していた。大方、捜査一課の車両だろう。
山道の奥……セダンを停めた場所に、金守が煙草を吸いながら立っていた。
金守は鹿野に気づくと、煙草の火をカップ灰皿でもみ消した。
「行くか」
「ええ」
鹿野はリモコンキーで鍵を開け、車に乗り込む。腕時計の時刻は十時四九分を示していた。
「初動捜査は終わりか。早えなあ」金守がちびちびと珈琲を啜りながらつぶやく。。
「いつも通りですね」
キーでエンジンをかけ、鹿野はアクセルを踏んだ。
国道から住宅街の道へ左折すると、公共水路を挟んだ土塀の奥に学校の校舎が見える。
私立如才中等教育学校。略称は如才高校。ここ数日失踪者の相次ぐ曰く付きの中高一貫校だ。
水路沿いに道を辿ると、樹木の生い茂る細道の側に、植物を刈り取って作ったような駐車スペースがあった。二〇台ほど入りそうだ。恐らく教員用の駐車場なのだろう。
鹿野は欅の木の下に車を停めた。
「ああ、腹減った」金守が気怠げに伸びをした。「鹿野ォ、コンビニ寄ろうや」
「じゃ、俺が買ってきますわ」
「ええ、悪いて。せめて金は俺が出すわ」
「大丈夫です。金守さんの分はあとで請求しますから」
「ああ、うん」
金守を車内に残し、車を出る。
グラウンド沿いには水路があり、堀のようになっていた。足元から控えめに響く水音に、心なしか涼しくなった気がした。
「随分と綺麗だな」
淡黄色の校壁に、屋上や各階のベランダは鮮やかな若竹色。その見た目は中学や高校というより、小学校の校舎を連想させる。
校庭に人の気配はなく、背の高い針葉樹の木だけが、夏の日を浴びて揺れていた。
コンビニは校舎から少し歩けば着く距離にあった。そこで、鹿野は鮭と梅干のおにぎりを手に取る。金守は甘党だったから、菓子パンも買っておいた。
来た道を戻るより、校舎を回るように一周して行くほうが早そうだったので、鹿野は校門のほうへ向かった。途中、裏門と思しき灰色の門が目に入る。学校を囲むように立てられた金網には、ツタが絡まっており、手入れの差が露呈していた。
その時だった。
校舎のほうから悲鳴が響いた。
咄嗟に振り返る。声は学校の敷地の中から聞こえた。男の声だった。
無意識に、鹿野は走り出していた。裏門を抜けて突っ走り、声のした方へ向かう。走りながら、無線で金守に連絡をした。
「金守さん、如才高校から悲鳴が聞こえた。先刻の事件と同一犯かもしれない」
『はっ、うせやろ。わかった、一機捜には連絡しとくから先行っててくれ』
金守は慌てた様子で答えた。
「大丈夫ですかっ」と鹿野が叫ぶと、女性の弱々しい声も聞こえた。二人いるのだろう。
鹿野は急に足を止めた。体育館裏側の倉庫の目の前で、一人の男子生徒が腰を抜かしている。その側では、少し背の高い女生徒が怯えた様子で立ちすくんでいた。
鹿野は二人に駆け寄った。
「どうしたんですか。怪我は……」
二人の怯えた顔は鹿野に向けられず、目線は倉庫から離れなかった。
「あ……あれ……」
少年が口をパクパクさせ、倉庫の中を指さした。
鹿野は振り向き、倉庫に目を向けた。途端、目を見開く。
倉庫の中には一人の青年が倒れていた。男子生徒のように見えた。額には打撲痕があり、赤黒い血が付着している。右腕は箒を立てたカゴの上に、寄りかかるように持ち上げられていた。
「大丈夫ですかっ」
声を掛けながら青年を介抱する。彼の首に手を当てた時、鹿野は苦虫を噛み潰した。
脈が無い。既に死んでいる。
「教室に教員はいるかい」鹿野は二人の生徒に聞いた。
「探してきます……」女生徒の方がそう言って、体育館へと駆けて行った。
「君、名前は」
鹿野が聞くと、残された男子生徒は震えた声色で「……嶌です」と答えた。目の前の刑事を名乗る男を、未だ信頼していないのだろう。
「あの、そいつは……入坂は大丈夫なんですか……」
嶌の問いに、鹿野は強く奥歯を噛み締めた。何も答えることができなかった。
やがて、背後から金守の足音が聞こえてきた。
「鹿野。何があった」
駆けてきた金守は、被害者の姿を確認すると、押し殺したように「クソッタレ」と呟いた。
*****
その後、鹿野と金守は先程の生徒ら二人と、中年の男性教師に聞き取りをすることになった。
「教頭の田辺です。警察の方でしょうか……」
「はい。鹿野と云います」鹿野は手帳を開いて見せた。
「こっちは金守さん」
鹿野が金守を紹介しようとしたとき、田辺は顎の髭をいじりなら聞いてきた。
「あのぅ、倉庫に倒れていた生徒は無事ですか」
鹿野は目線が落とすと、田辺は「そんな……」と手で口元を覆った。芝居じみた動作だ、と鹿野は感じた。
「田辺先生は教頭先生なんですよね。倉庫の確認などはいつ……」
「運動部の顧問に、部活前と後に確認するよう言っているのですが……」
その言葉に、鹿野は少し言葉を選んでから言った。
「すみません、そちらの二人にお話を聞いても?」
「え、ええ構いませんが……」田辺は答え、二人の生徒に目を向けた。二人はびくりと肩を揺らす。未だ落ち着かない様子だ。
道理である。友人の凄惨な姿を見て、冷静でいられるわけがない。
「死んだんですね」
先ほど嶌と名乗った男子生徒が口を開いた。その次には女生徒も嗚咽を漏らし始めた。
「犯人はすぐに捕まえる」金守は二人に言い聞かせたが、効果は感じられなかった。泣いていた女生徒が「なんで」と呟いた。
「ん?」
「友達が、どんどんいなくなるんです……おかしいって気づいてるのに、面倒ごとを起こしたくないから、学校はただの家出って事にしてるんですよっ」
女生徒の言葉に、鹿野は田辺に目を向けた。田辺は気まずそうに目を逸らした。
私立校ではとくに……なるほど考えられる話だ。
今回の殺人が、行方不明者事件と関係があるのかは定かではない。しかし、それに対し学校側がまともな対応を見せなかったことで、犯人が今回の犯行に及んだ可能性がある。
そのとき、金守が鹿野の肩をこづいた。
振り返ると、金守は生徒に見えないように、何かを差し出していた。
鹿野は顔を顰めた。
「遺体の左手、薬指が切られてゴム手袋に入れられてた。峠のアレと似てるようで、微妙に違う手口や」
「薬指?」鹿野はそういえば、と思い至った。「小指じゃないのか」
「あの」
その時、女生徒が不意に言った。鹿野と金守は咄嗟に、見えないように指を隠して振り返った。
「私、倉田って言います。その……ひとつ心当たりがあるんです」
「心当たり?」
「はい」と、倉田という女生徒は俯き気味に言った。
「私と嶌は剣道部で、今は中等部の三年なんですけど……きのう、バスケ部の子と喧嘩しちゃって」
「喧嘩」鹿野はメモ帳を取り出した。
「その子が備品の木刀を勝手に持ち出そうとしてたから、私と嶌と入坂で、返せって怒ったんです。そしたら……」
「……急に、首を絞められてるような感覚になって」
倉田の話を引き継ぐように、嶌少年が話しだした。
「ほう」
「そのバスケット部の子が、『怪我したくなかったら黙ってて』って脅してきたんです」
「それが部内で話題になって……すみません、こんな阿呆らしい話……」倉田が、苦笑しながら言った。
「いや、話を聞かせてくれてありがとう。その事も調査するよ」鹿野は微笑んで言った。「ところで、その脅してきた子、名前はわかるかい」
鹿野のその問いに、二人は考える仕草をした。
そのうち、倉田がおずおずと口を開いた。
「確か、入坂がシノって呼んでました。ユニフォームにはシラサワって書いてあったかな」
その時、鹿野の頭に、大きなハンマーで殴られたような衝撃が走った。
「白沢詩乃……」




