第十二話 死蝋の貴方 其の参
「いやっ!」
黒いフードを被った人物は、詩乃の手首を掴んで離さない。
「私は貴方の味方ですよ」
「うそだっ!」
「貴方、化け物を見た事があるでしょう」
その言葉を聞いた途端、詩乃の表情が一変した。
「どうしてそれを……」
そいつはふっと笑い、手を離す。
「私は怪異の祓除を生業としていてね。協力してくれないかな」
詩乃はその時気がついた。
その声が女性だということに。
しかし詩乃は相変わらず、疑いの目を変えない。
だが、化け物を見たのも事実。詩乃は実際に、茨木叶が化け物を従わせているところを目撃している。
そうなれば、聞くしかない。
「じゃあ教えて。その化け物っていうのがなんなのか。貴方の考えは知らないけど、協力するかは話を聞いてから決める」
詩乃が言うと、女性は「ええ」と頷いた。
「ここで話すのもなんだ、私についてきて欲しいのだが」
「っ、その手にはのら……」
「化け物のこと、知らないままでいいので?」
「っ!」
詩乃は敵意の眼差しを向ける。しかし彼女は臆する様子もなく言った。
「怪しむのは当然。しかしいずれは、私に感謝することになるさ」
詩乃は迷っていた。ついて行った先で何をされるかわからない。
だが、その恐怖より、未知の存在である「怪物」への恐怖の方が、よほど上回っていた。
楓子が茨木といることで何か酷い目に会うかもしれない。そう思うと、詩乃はすぐに心を決めた。
「わかった。案内して」
その言葉に、女性は依然顔を見せぬまま笑った。
「喜んで」
*****
女に連れられて、詩乃は峠道を歩いていた。
「ここって……」
『緑山峠』と記された看板を目にして呟く。
緑山峠。暗くなると怪奇現象が起きると噂される場所だ。心霊スポットのような扱いを受けている。
確か、同学年の生徒に行方不明者がいるらしい。
しばらく歩いたところで、詩乃は話しかけようと口を開いた。しかし、丁度、女は足を止めた。
二人の他には、人っこ一人、居やしない。
「自己紹介がまだだったね」
女性はそういって振り返り、顔が隠れるほど深く被っていたフードを脱いだ。
瞬間、ふわっと弾けるように、毛量の多い金髪が飛び出した。
「え……あ……」
「仕事柄、名前を名乗るわけにはいかなくてね。私のことはAと呼んで欲しい」
Aと名乗った彼女の顔立ちは、彫刻や絵画を思わせる美しいものだった。青空を閉じ込めたような、青い瞳が静かに詩乃を見据えている。
その首元には、彼女の目と同じ蒼色の勾玉が掛かっている。
「私を信用してくれた礼として、答を教えよう」
詩乃は今度こそ、化け物たちのことを聞こうと決心した。しかし次の瞬間には、両手で口を覆った。
詩乃の足元で、なにやら黒い影が蠢いていた。
「ひっ」
思わず声が漏れた。
恐怖に動けない。
黒い影のような生き物は、オオサンショウウオそっくりの見た目をしていた。違うところと言えば、その双眸が真っ赤であることと、全身が真っ黒なことだ。
「怖がらなくていいよ、詩乃。その子は、君の心の中にいる "怪異" だよ」
怯える詩乃を気遣ってか、Aが優しい微笑みを浮かべた。
「怪異……?」
「人は誰でも宿しているんだ。心に、いやらしい怪異を。ほとんどの人間は知りすらしない。この怪異を認識できるのは、蝋折と呼ばれる体質をもつ者だけだ」
Aはそうして話を始めた。
「見える者達は、人の記憶や感情から生まれる怪異を、カゲロウと呼ぶ」
「どうして、私にそれが……」
「君は特別なんだ」
Aはそう言って、詩乃の頬に手を当てがう。
名前を名乗らない謎の女性。カゲロウの存在。疑わしき要素しかないのに、詩乃は吸い寄せられるようにして、Aの瞳を見つめていた。
「きっと、強い感情を宿すカゲロウを見たことで、少しずつ奴らのことが見えるようになっているんだね。君はやっぱり特別だよ」
「特別……」
「君には素質がある。特別なんだよ、詩乃」
そう頬を撫でられた詩乃の目は、催眠術にかかったかのように虚だった。
一心に、Aの目を見て。
「君には伝えておかなければいけないことがあるんだ」
Aが、詩乃の頬に当てていた手を、今度は頭に乗せた。
「伝えないといけないこと?」
「椛本楓子に関わることだからよく聞きなさい」
それを聞いて、詩乃は頭に思い切り殴られたような衝撃を覚えた。
「なっ、なんで楓子のことっ!」
表情を変えて激昂する詩乃に、Aはそれも見据えていたような瞳で頷く。
「君が怪異を見た時、君の友人の椛本楓子という生徒は、茨木叶という同じ学校の生徒といただろう?」
それを聞いた時、詩乃はハッとした。
「あ……」
詩乃の記憶では、転入生の茨木の影が浮き上がり、楓子をいじめる凛を押さえつけていた。
「君も見たろう。茨木叶は危険だ。体の半分をカゲロウに侵食されている。彼女本人がカゲロウのようなものだ」
「……あなたはなぜそれを」
「言っただろう。私は怪異の祓除をしていると。私はあの茨木叶のカゲロウを、どうにか排除したいんだ」
Aはそう言って、詩乃の返答を待った。
詩乃は考え込んだあと、もう一度口を開いた。
「……茨木と一緒にいたら、楓子はどうなるの」
「想像したくないだろう」 Aは端的に呟いた。
その言葉に、詩乃はびくりと体を揺らした。
「そんな……」
「安心してくれ。そこで君に協力を頼んだ」
詩乃はその言葉に、どう答えればいいのかわからなかった。反応に困った。
「椛本楓子を茨木叶の魔の手から救うには、茨木叶に取り憑いているカゲロウを引き剥がすしかない」
Aはそう言って、詩乃の顔を覗き込んだ。
詩乃はしばらく恐怖に立ちすくんでいたが、やがて意を決したように顔を上げた。
「……わかりました。それで楓子を助けられるなら」
Aは優しく微笑んだ。
「助かるよ。君のお陰で人を救える」
そう言ってAは詩乃の肩に手を置いて、小さな紙片を渡した。「これで指示を出す。今日は帰りなさい」
その後、詩乃は来た道を引き返していった。
あたりが暗くなり始め、すっかり人もいなくなった頃、Aは峠道で一人、微笑んでいた。
「……本当に扱いやすい」




