狗神憑キノ茉希
ある日、華やかでもなく、普通でもなかった日常が何の前触れもなく崩れ去った。
僕、高校2年生になる来海紅郎は、色々訳あって北海道に移り住んだ。家族は居なく、頼れる親戚も居ない。そんな訳有りの僕を引き取ってくれた老人がいたが、間もなく老人は旅に出た。だが、その恩人のお陰で今がある。その老人には、僕より1個上の、つまり高校3年生の大和撫子な義姉さん(姉さん) 来海朱里と生活している。
僕たち、つまり、朱里と僕は晩御飯を食べている。この家の構造は、1階が洒落た喫茶店で、2階が居住スペースとなっている。僕たちは2階部分で暮らしている。1階は、10数席分のカウンター席に、テーブル席がいくつかある、至って普通の喫茶店だ。僕たちが切り盛りしているときもあるが、学生なので流石に無理がある。そこで、数年前から住み込みで切り盛りしてくれているお手伝いさんがいる。そんな喫茶店の奥の角に、小上がりのステージがあり、そこにグラウンドピアノが黒光りを放っていた。僕たちは現在進行形で、1階で御飯を食べている最中だった。
「明日は始業式なんだから、寝る前に準備するのよ」
「わかってるよ、義姉さん」
今食べているのは、オムライスだ。この店の看板メニューで、ケチャップではなく自家製デミグラスソースと、自営業の喫茶店の割には凝っていると思う。それが、不味いわがなく、とても美味しかった。色々と話しているうちに、僕たちは完食した。
その後は、義姉さんが皿を洗い、その光景を僕が眺めている。
「ねぇ、私の可愛い弟くん」
皿を洗う手を止めずに、聞いてくる。
「なんだい、僕の可愛い義姉さん」
僕が平然とそう返すと義姉さんはフリーズし、持っていた皿を落とした。
しばらくすると、義姉さんは再び動き出し、割れた皿の片付けをした。それを終えると、再び皿を洗い始めた。
「私をそんなにまじまじと見て楽しい?」
凛とした表情でそう言った。
「まぁまぁかな」
義姉さんはフリーズし、持っていたまた皿を落とした。
場面は風呂へと移り変わった。お風呂に入る順番は、年功序列ということで僕の次に義姉さんの順で入浴する。なので僕は、湯船に浸かっていた。シャワーヘッドから、水滴がポツポツと滴って、一定のリズムを刻んでいる。それが心地よく、リラックスしているところ、それを乱すように脱衣所の方から大きな物音が聞こえる。
「入ってくるなよ」
そういうと、また大きい物音がした。
「背中、流してあげるわよ」
物音の正体はやはり義姉さんだった。
「もう洗い終えたよ」
義姉さん、何故か僕への対応がヘンというより、恐らくブラコンだ。弟として可愛がってもらえるのは嬉しいが、もう高校生だ。それに異性となると...言わなくてもわかるだろう。僕はなんて返せばいいか解からずに黙りこくる。
しばらく沈黙が続いた。
「はあ、」
大きくため息をつくのが、僕にはわかった。そして、
「じゃぁ、一緒に入るメリットを1時間かけて言うべきかしら」
そのころの僕はとっくにのぼせているよ!
じゃなくて、
「取り敢えず、僕は義姉さんとは入らないぞ!」
「私の可愛い弟くんは、ツンデレだったのね...」
義姉さんは、そういいながら浴室の扉を開けた。僕は脊髄反射の如く、目を瞑った。嘘をついた、訂正しよう。少し、ほんの少しだけ眼を開けていた。義姉さんのボディラインがぼんやりと見えて、なにか背徳感があった。
「なんで入って来たんだよ!」
「あら、入ってきてって私には聞こえたのだけれど、間違いだったかしら...すまないわね...」
さっきまでの会話は何だったんだよ!
そう凛として言う義姉さんをみて、僕は馬鹿らしくなり、諦めた。僕の経験上、どちらかが折れないと平行線だ。コチラを振り返って、
「髪、洗ってくれないかしら?」
よく動じないよな。
ため息をついて一旦湯船から出る。蝶を扱うように義姉さんの髪を洗い、シャンプーとコンディショナーをしてあげた時点で、僕は湯船に戻る。湯船に戻ると、義姉さんは体を洗い始めた。僕は、義姉さんの方を見ないように天井の方を向いた。
「それ......入浴の時でも着けているのね」
義姉さんは、僕の胸元に掛けられた鋼のカプセル2つを、指を指しながら言った。
「これには...まぁ色々だよ...」
「そういえば...」
体を洗いながら、義姉さんは続ける。
「明日の夜御飯は外食にするから、何食べたいか考えておいてね。」
義姉さんは、シャワーのハンドルを倒し、ボディーソープを洗い流す。洗い流し終えた後、僕は湯船を出ようとする。が、僕を押し倒し、そのまま義姉さんも湯船に入ってきた。
「流石に、不味いのでは...」
動揺しながらそういう。義姉さんの方を見てみると、首を傾げ、不思議そうにしていた。
この人の価値観どうかしてるよ!
しばらくして、僕は湯船から出た。かなり長い時間湯船に浸かっていた僕は、ふらふらしながら体の水分を拭き取った。服を着て、自分の部屋のドレッサーの方へ向かい、ドライヤーで髪を乾かす。鏡には僕だけが映っていた。僕の容姿は、低身長で、女よりの中性的な顔と女々しいもので、僕は嫌いだった。同年代の人は、たくましくなっていく一方で、僕は可愛らしさが悪目立ちしてしまう。
そんなコトを思い返していると、僕の後ろに義姉さんがいるのが、鏡のお陰でわかった。
「髪を乾かして」
僕は義姉さんの召使か!
とは言いつつも、素直に言うことを聞く。髪を乾かしてあげるくらいなら良いか、と思う自分と、訳有りの僕を引き取ってくれてのだから少しでも恩返しをしなければと思ったからである。
髪を乾かし終わった後、義姉さんは僕の部屋に残り、僕のベッドを占拠していた。ゴロゴロと転がったり、枕に顔を埋めたりと、
「ねぇ...」
義姉さんは話を切り出す。
「アソコにある刀は何?」
義姉さんが指差す方向には、刀掛台に置かれていた2m強の大太刀と、刀が置かれていた。
「レ、レプリカだよ」
僕は見苦しい言い訳をした。コレ等にも色々訳がある。義姉さんは、腑に落ちない顔で『取り敢えずは納得してやるよ』と言わんばかりのオーラを放っていた。ちゃんと話したほうがいいかと思ったが、
「ま、まぁ...」
僕がそう言うと、義姉さんは『あ、コイツ話反らしたな』という顔をしていた。
「明日、何時に出る?」
話題を変えようと他のことを話した。
実は明日、始業式で登校初日ということで、義姉さんと一緒に登校することになっていた。土地勘があまり無いので、念のためというということで義姉さんに頼んでみると、食い付くように承諾してくれたのだ。
「...」
義姉さんの反応が無かった。不思議に思った僕は、義姉さんの方を見ると、気持ちよさそうに寝ていた。
もしかして僕の義姉さん、かなり図太いな?
つぎの日
目が覚めると、見慣れた義姉さんの顔が眼の前にあった。義姉さんの服装はセーラー服にエプロンだった。
なんでいるんだよ
しばらく経っても、コチラを見つめ続けている。僕はどうしいたらいいか分からず、膠着していた。時計が3周するぐらい時間が経つと、義姉さんの唇が動く。
「御飯、できたから早く起きて一緒に食べよ」
朝ごはんを食べ終え、身支度を済ませた。自分の部屋に戻り、制服を鏡の前で着る。そこに映っていたのは、一回り大きい制服を着た僕と、高身長で、黒のコートーを身にまとったオトコがいた。そのオトコは、僕の後ろに回り、僕の両肩に手をおいた。
「あのキミがこんなにたくましくなったなんて...色々あったアノ時から随分逞しくなったなぁ!」
オトコは笑いながら、嬉しそうに肩をバンバンと叩きそういった。
「ボクは嬉しいよ!身近でキミの成長を見守れるんだ!」
「ありがと、みこと...」
そう返しつつ、部屋の窓に寄り、開けた。
「僕、学校が恐いんだよねぇ〜」
「キミにもそんな感情があったんだね」
「な、失礼な...僕に立って感情はあるよ!」
なんて談笑をしていると、
「そうだ、新しい環境で生活するキミに助言をしておくよ」
さっきと違って、みことは笑っていなかった。
「君は”不完全”といっても影響を受けやすい。だから、余計なことに首を突っ込みすぎるなよ?」
そういって、ヒトからカラスへとカタチを変え、窓から外へと飛び去った。
僕の部屋には、カラスの羽根が四方に散った。
間もなく、部屋の戸が開く。扉からひょっこり義姉さんは顔を出していた。
「この部屋にカラスでも飼ってるの?」
床に落ちているカラスの羽根と僕を見比べてそういった。
「窓開けっぱだったからだと思う」
そう答えたら、義姉さんは、『ふーん』といい、
「そろそろいきましょ」
僕の手を掴み、引っ張った。
外に出てみると、快晴で雲一つなく、雪解けが進むような天気だった。春の匂いも感じらた。現在、義姉さんと登校中。義姉さんはとても気分が良さそうに鼻歌を歌っている。真逆に僕は、今日はとても憂鬱だ。
今向かっている学校に登校するのは、今日が初。つまりは、自己紹介という今後の学生ライフを左右する大イベントが有る。これが僕には重くのしかかっている。人の視線を僕は感じやすい。今こうして義姉さんと登校している状況も、視線を感じる。
「ねぇ...義姉さん......」
「どうしたの?私の可愛い弟よ」
義姉さんは歩みを止め、僕の方を振り返る。
「さっきから視線を感じない?」
僕は我慢の限界で汗が吹き出る。それに心なしか体調も悪い。 きっと、以前通っていた学校とは違う、新しい環境に対して怯えているのだろう。そうに違いにない。
「さぁ?私が美しすぎるからじゃないかしら...」
キメ顔でそういう義姉さんに、なんて言葉を返せばいいか解からず、僕は黙る。
「まぁ、冗談よ」
何事も無かった様に軽く流し、また歩みを進める。
しばらく、義姉さんを後ろをついて行くと、後ろから義姉さんを呼ぶ声が聞こえた。義姉さんは、またまた歩みを止め、その声の主の方に向く。
「あら、茉希さん」
「おはよう、凛!」
僕の前で、にこやかな表情で互いに挨拶を交わす女子高生2人。
「会いたかったよ〜」
茉希さんは義姉さんに飛びついた。義姉さんは嫌な顔せずに、むしろ茉希さんを愛でる受け止めていた。あまり、人にオープンでない義姉さんがこんな表情を見せるとは思わず、その光景をしばらく黙って見ていた。
「ところで...」
茉希さんは、義姉さんに抱きついたまま話を始めた。
「そこにいる子が例の子?」
僕の方を見ながらそういう。『例の子』とは何なのだろうか。何か変なふうに義姉さんが伝えたのか?いや、もしかして僕は知らないところで、巷では皆が名を知るほどに有名になっているのか。
だから、さっきから視線が集まっていたのか!
僕はああでもない、こうでもない思考を巡らしていた。
「そうよ、茉希さん!」
義姉さんは何故か威張って、自慢気にそういった。そんな中で、詳細な情報が会話のなかで開示されず、状況を呑み込もうとしても、飲み込めきれない僕は非常に混乱した。そんな僕を、義姉さんは自身の隣へと引き寄せ、続けてこういった。
「この可愛い私の弟!紅郎っていうのよ!はぁ、こんなに可愛い弟がいつも傍にいてくれるなんて幸せよ...」
幸せの絶頂を迎えたかのような口調で僕のことを自慢していた。
正直、僕のことをここまで良き弟と慕ってくれていたとは知らず、自然と頬が緩んだ僕がそこに居た。
そんな悦ばしい僕を、茉希さんは あやしがりて 寄りてみるに
「これが...ふぅ~ん」
等と言って、また不思議そうにコチラを見ていた。
「話に聞いてた通り、愛くるしい感じがするね」
不思議そうにしていた顔を、にこやかな顔に変えた。そうして、僕らはまたまたまた歩みを進めた。義姉さんと茉希さんは僕の前、並列して歩いていた。
しばらく二人の話を聞いていて、わかったことがいくつかある。
1つは、どうやらメールで僕のことを茉希さんに自慢気に伝えていたとのこと。茉希さんは義姉さんに耳のタコができるどころか、義姉さんが何の話をするか先読みできるほどに聞かされたそうだ。
僕は、『義姉さんが迷惑を掛けてしまい、申し訳ない』そう心のなかでお詫び申し上げた。
2つは、茉希さんは義姉さんの同級生で、クラスでも人気もだとか。義姉さんとはよく一緒に居て、仲良く談笑できる仲らしい。自分の義姉をこういうのも何だか気恥ずかしいが、義姉さんは才色兼備だ。人気者の茉希さんと才色兼備の義姉さんは、校内で人気のデュオらしい。
学校での茉希さんや義姉さんの人気具合をしれたところで、紅郎少年に1つの疑問ができた。
〈そんな人気者の義弟となれば、そこそこ注目されているのでは〉
自意識過剰かもしれないが、義姉さんの様子を見るに他の人にも言いふらしている気がするというのだ。もし、そうであれば、校内の生徒のみならず教職員にも知られ、注目されているかもしれないのだ。
僕の顔は、『青ざめ』...いや...『白ざめ』ているのは自分の顔を確認しなくてもわかった。
「ねぇ...義弟ってことはこの街とは別のとこに住んでいたんでしょ?」
茉希さんはコチラを振り返らずに、タブーな事を聞いてきた。
「そ...それは......」
正直な所、僕は過去はあまり思い出したくない。僕の過去には、色々...本当に色々ありすぎたんだ......
「紅郎くん?」
この人は何も知らない...何も知らないからこそ悪くない...でも、僕は過去を振り返りたくない。
僕の頭は、色々な思案が飛び交っていて、『回転』というより『旋転』していた。
「ねぇ...九r「ねぇ、茉希さん」
茉希さんの言葉を無理やり遮るように口を開く。
「今日の時間割なんでしたっけ?」
「もぉ~忘れたの?」
こうして僕の過去を深堀りされずに済んだ。
色々あれこれあったうちに、学校の正門前に到着していた。歓談しながら門を潜り校舎に向かう生徒たちが多く居た。義姉さんたちが同じ様に門を潜り校舎へと向かう。すると、周りから聞こえてくる話題は、眼の前に居る、茉希さんと義姉さんのことで持ち切りだった。たまに、他の話題が聞こえてくる。
〈あの後ろに居る男の子って...だれ?〉
こうして、『目線も注目も集めず、陽の下に在る陰のように生活するモブムーブ』という計画がたった今頓挫した。僕は、様々な人からの視線を集めながら、やっとの思いで玄関へと辿り着いた。玄関に何か貼られていた。近寄ってみると、クラス替えを行われた2年生のクラスの割当だった。
僕の名前を探し、それを確認しると、背負っていたカバンから上履きを取り出し、玄関前廊下に出る。廊下に出ると、義姉さんと茉希さんが立っていた。
「さぁ、一緒に職員室に行くわよ」
「え?」
「そうでしょ、転校生がいきなり教室に行ってどうするのよ」
確かに、僕の性格的に質問攻めされるか、「なんだ、あいつ?」と不信感を抱かれるか、最悪の場合フルシカトもあり得る。それに、先生にも挨拶しないと。
「まぁ、アナタの場合、質問攻めされるか、「なんだ、あいつ?」と不信感を抱かれるか、最悪の場合フルシカトのどれかでしょうね。」
お前はエスパーか!
見事に僕の思考はすべて読まれてしまっているようだ。
「アナタのコトは何でも知ってるもの」
僕たちは職員室に向かった。職員室の扉を『コンコンコン』と3回ノックして入室する。
「あぁキミが!」
『待っていたよ』という顔をして僕を迎え入れてくれた。でも心なしか、『キミが転校生さんか!』というより『キミが来海君の義弟さんか!』と物語っているよう表情に視えた。
その後は色々と、挨拶や諸々の確認...ときには談笑も交えて...この先生、換言すれば僕の担任はユーモアに溢れていて、『生徒が思う理想の先生』というファーストインプレッションを受けた。気がつけばホームルーム前の予鈴がなった。僕はこのまま先生と同行することになり、義姉さん達は自分の教室へと向かう。最後に先生に「私の弟をよろしくお願いします」と言って、職員室を退室した。
「あ、そうそう...言い忘れるところだったわ」
「お昼、一緒に食べましょうね」
そう言って、手をヒラヒラと振って、扉を閉めて去っていった。
「いいお姉さんだね!」
「あははは...」
「キミは此処で待っててね」
先生にそう言われた。そこは、教室前の廊下。教室の方から、『新学期早々に、転校生がやってきました』や『誰だろ』などとテンプレ的な盛り上がりが聞こえた。僕は扉を開ける前に、生唾を飲んだ。心配事がいくつか有るが、一番気がかりなのが...
僕は扉を開け、教卓前に向かう。僕が教室に入ると、先ほどまであった歓声などの声が不思議と消え去っていた。
もしかして僕は早々にやらかしてしまったのか!いや、何もおかしい所は無かったはず...
教卓前まで着くと、僕はそんな沈黙を破る。
「ど、どうも...来海紅郎です...」
僕は最後にとびきりの、現状でできる最高の笑顔をつくってみせた。すると、クラスメイト達は盛り上がる。それを見た僕は、急場を凌しのだと思い、胸を撫で下ろしたのも束の間...
「あれ...」
1人の生徒が不思議がる。
〈来海...?〉
周りは再び口を紡ぐ。
「そういえば...」
他の生徒が、口を開く。
「来海って3年生の...」
1人、また1人と口を開いていき、それがボルテージを上げていった。でも、まだそれは仮説の域を出ない。どうしようにも誤魔化せる。
「あの、実h「そうだよ!」
先生はそれを決定付けた。
〈仮説→定説〉
ホームルームを終えると、クラスメイト一同が僕の机の周りに群がる。
「ねぇ、どこから来たの!」
「さっきの話ホント?」
僕は質問攻めに合う。僕はまず何から答えればいいか、答えなければいけないのか...僕は錯乱した。
「ガラッ」と教室の扉が開く音が聞こえた。皆、またまた黙りこくり、音のなる方をみると...
「それは本当よ」
義姉さんが居た。
って、おい待て...義弟の窮地を更に追い込んでどうすんだよ!
義姉さんは言い終えると、満足気に去っていった。「パタリ」と扉が閉まると、降下していたボルテージが急上昇した。四時間目の終わり、換言するならお昼休みになるまで、とても長く感じ、疲労感も感じた。
僕は席を立ち、義姉さんのいる教室へと足を運ぶ。3年生の階に行くのが気恥ずかしく、一歩一歩にズッシリとした重みを感じた。道中、三年生からの視線を感じた気がしたが、僕はそれを無視した。教室に着き、義姉さんを探してみるも、そこには義姉さんの姿は無かった。探していることに夢中になると、後方から僕の背中を小突く。正体は見なくてもわかる。
〈義姉さん〉
「なんで僕に意地悪するのかな!」
「可愛い弟が、質問攻めされている顔が可愛いからよ」
愉しそうにそう言い、学校でもこうなのかと、僕は呆れてため息が出てしまう。
「さ、いきましょ」
僕の手を引っ張って、中庭へと出る。義姉さんが持っていた弁当2つのうちの片方を僕にくれ、近くの芝に腰を下ろす。僕たちは弁当を広げ、それを食べ始めた。食べている途中に、どこからか物音が聞こえた。その刹那、カラスが1羽飛んできた。普通のカラスより二周り程度大きく、どこか神々しさも感じる。そんなカラスが僕たちの間に止まる。続けて語り始める。
「どうだったか?新しい環境は?」
「特に何もない、大丈夫だよみこと」
僕はそう答える。
「でも、私の可愛い弟は質問攻めされて困った顔してたわよ。」
『クスッ』と義姉さんは楽しそうに笑う。
「そいつぁ結構結構。何か面倒事はあったかい?」
「特に何もないよ」
みことは、表情を曇らせた後、空を見上げた。
「そうか...なら良いが、キミは『妖』(あやかし)に影響されやすいんだ、気をつけてくれ。あと、今週分のだ...」
みことが渡してきたのは束になった弟切草だった。
〈弟切草〉
日本全土に分布していて、欧米では洗礼者聖ヨハネスの祝日前夜に、魔女たちは活動を始めるらしい。その日を『Midsummer Evening』と呼ばれ、この日に弟切草を摘めば悪魔祓いになると信じられてきた。という話がある。
「お前は”アノ時”に...いや、言わなくてもわかってるか...それを煎じて飲め......」
そう言って、みことは飛び去った。僕たちは弁当を食べ終えると、予鈴がなるまで会話を楽しんだ。その後姉と別れ、僕は残りの授業に出た。帰りのホームルームを終え、いざ教室を出た。出た先には、茉希さんが廊下で待っていた。
「あの...何か?」
例え、義姉さんを通して仲が良いとしても、今朝初めて会った人のことを約束もせずに待つだろうか。別に、僕は茉希さんが嫌いというわけでは無い。でも、僕は疑問が残る。
「あのさ、『妖』ってさっき、話してたよね...」
僕は想定していなかった事だったので、驚愕してしまった。
「お昼の”アレ”見ちゃったんだよね」
どうやら、物音の正体は茉希さんだったようだ。つまりは、みことが話している所も見られたのだろう。これは、ただでは返せない。
「実は、相談があって...」
俯いてそう言うが、相談事が何かは僕にはなんとなく分かった。
「ついてきてください」
僕は、茉希さんを連れて、自宅の喫茶店へと招待する。帰ると、早速義姉さんと住み込みのお手伝いさんで切り盛りした。義姉さんは僕を視認すると、コチラによってきた。
「お帰りなさい、可愛い弟くん。で、なんで茉希さんを連れているのかな?」
僕に追い詰めてきてそう言うが、表情が笑っていなかった。
「まってくれ、義姉さん。僕に、そんなコミュ力が無いのは周知の事実だろ?早速”アレ”に巻き込まれたんだよ。」
自虐して、こんなコトを言うなんて僕って惨めだな。だなんて事を思いつつも、義姉さんに事情を話す。
「そう...私個人的にはそういうのもう止めてほしいな......」
義姉さんのその眼には、どこか寂しさがあった。多少気にはなったが、茉希さんをテーブル席に案内して、腰を下ろす。お手伝いさんが、お茶を持ってきてくれ、
「さて...最近”何か”か不可解なことや悩み事があったんですよね?」
僕は口を切った。『妖』に引っかかったということは、思い当たるフシがあるのでは、と。
「なんで解ったの!?」
茉希さんは、素っ頓狂な声を出した。
「もしかしてストーカー?いや...エスパー...?」
「どっちでもないですよ、茉希さん。そんなことがあったか詳しく教えてくれませんか?」
茉希さんは小さく頷いた。
「実は...最近望みが殆ど叶ったり、上手くいき過ぎるの...」
「良いことじゃないですか」
『不運の連続』ではなく、『上手くいき過ぎる』とのこと。上手くいき過ぎるなら、悩むどころか寧ろ喜ぶべきだ。正直、何が迷いなのか解からなかった。でも、茉希さんは首を横に振った。
「違うの...私も最初は喜んだわ。でも、望みが叶った後に必ず病気...というか、体調が悪くなるの...それに、私は自覚がないから分からないけど、人格がかわったって、家族とか友達から言われてるの。」
茉希さんは体を小刻みに振るえさせ、顔色を悪くした。
「そういうことですか...ちょっと待っててください」
ポケットに手を突っ込んで、スマホを取り出す。そのまま電話をかけ、茉希さんが話してくれた事を伝えた。たまに、電話相手に怒鳴られたりしたが、どうにか交渉した。ある程度話した後に、ポケットへとスマホをしまった。
「早速、キミはやらかすよねぇ...」
みことは喫茶店に入店し、ため息をついた。僕の隣に腰を下ろた。
「話は全て聞かせてもらったよ」
みことは茉希さんの方に目をやる。
「多分だけど、君には『犬神』が憑いているよ」
茉希さんは顔を上げて、聞き返した。
「犬神...ですか...」
パッとしなないような顔をしていた。
「そう犬神。にしても...君がねぇ......」
みことは面白そうに茉希さんを見る。
犬神とは、本来西日本に分布し、『インガメ』や『イリガミ』とも呼ばれる。平安時代に動物の霊を使役する者が、飢餓で苦しんでいる犬の首を断ち、地中に埋めて見世物にしたことで、怨念が積もっていき具現化したという諸説が有るそうだ。
「ま、犬神はね、本来は北海道には居ない存在のはずなんだよ。九州とかもっと南寄りの地域に居るはずなんだ。つまり、憑かれてしまったのはコイツのせい」
みことは僕を指さしてそういった。
そう、みことが言う通りに僕が悪い。学校が始まる前の...僕が歪めてしまった....
「かといって、俺のせいでもある。だから、俺もソレを祓うの手伝うよ。」
「祓えるんですか!?」
先程の様子とは違って、食いつくように話した。
「祓えるよ。そうだなぁ...あぁ確かぁ、街外れの山の山頂に”廃神社”があったよね」
そう、街外れの山の山頂には、廃神社がある。僕には詳しいことは分からないが、歴史のある神社で、数十年前に後継者が居なくなり、そのまま廃神社と化した。本殿も崩れて、そこまでの道も階段も崩れているようで、もう人がそこに行くことは無いようだ。
「そこに、19時に山の麓に集合ってことでどうかな。コッチにも色々準備ってモンがあってね」
「はい、お願いします...」
そう、茉希さんは深々と例をして、喫茶店を去っていった。それを確認すると、みことは席を立って茉希さんが座っていた場所、つまりは僕の反対側に座った。
「それで、僕の主人さんは闘う心構えはできているのかな?」
「あぁ、もちろん」
「わかったよ。なら、僕はいつも通りココの役割をこなすよ」
そういって、みことは自身の頭を指さしてそういった。
「必要なモノは...」
17時30分 義姉さんの部屋前
「準備できたよ〜」
僕はドア越しにそういう。すると、部屋の中から物が崩れ落ちたり、色々な音が聞こえた。しばらくすると、ドアが少し開き義姉さんが顔を出す。
「わかった。いこっか」
階段を降りて、喫茶店を出る。空は、真っ赤で太陽が落ちていっている。いつも以上にカラスが飛び交っていた。僕たちは、話しながら回る方の寿司屋に向かった。寿司屋に着くと、お互いに好きなものを食べて、今日あったことや、学校について色々笑いながら話した。滞在時間約40分。会計を済まして、もと来た道を辿った。家につくと、周りには大群のカラスが僕たちを監視するように見てくる。
「ごめん、義姉さん。僕、この後...」
義姉さんと向き合ってそういう。義姉さんは嫌な顔をして、
「そう。今回は茉希だから許してあげる...でも、私はあまりこんな危ないことしてほしくないな...」
そう言うが、最後には作り笑いをしていた。僕は『申し訳ない』という気持ちで一杯になって、自分の部屋に駆け込んだ。刀掛台に置かれていた大太刀とアタッシュケースを担ぎ、山の麓へと向かう。
「遅いじゃないか」
「ごめんごめん」
息を整えながら、僕たちは茉希さんが来るのを待つ。
「にしても、随分とあの姉さんと仲が良いようで」
「やっぱりみてたんだ」
みことは、カラスの『長』というよりかは『神』の存在に近い。義姉さんとでかけていた時に視た、異様な数のカラス達はみことの指示によるもののようだ。
「まぁいいんだ。姉弟水入らずで仲良くすることは自然なことなんだから」
「にしても、まさか初日から巻き込まれるとはな」
僕も僕なりに気をつけていたつもりだが、初日から巻き込まれるなんて思いもしなかった。
「お待たせしました。私、遅刻してないですよね」
少し不安気な表情で、オドオドと話す。
「大丈夫ですよ、僕たちが早すぎるだけです」
「よかったぁぁ...」
今度は安堵の表情を見せる。
「にしても、紅郎君すごいの担いでるね」
そう言いながら、物珍しそうに大太刀をまじまじと見る。
「その辺は後にして、いこうぜ」
僕たちは、長い長い石階を登っていく。