『第5回「下野紘・巽悠衣子の小説家になろうラジオ」大賞』参加作品
山奥の温泉宿
「参ったな……これはひょっとして道に迷ったかな」
途中から何となく違和感を感じていたが気のせいだろうと楽観的に考えていた。
今からでも戻るか。それともこのまま先へ進むか。
「ええい、自分の勘を信じろ」
俺は昔から野生の勘のようなもので何度も窮地を救われてきた。その野生の勘が告げるのだ、このまま進めと。
「はは……やっぱり俺の勘は頼りになる」
すっかり日が落ちて暗くなった山道にぽっかりと浮かぶ明かりが見える。
温泉宿『かもしか』
助かった、今夜はここに泊ろう。
「いらっしゃいませー」
出迎えてくれた女将さんは驚くほどの美人だった。つぶらな瞳にカモシカのようにすらりと伸びた健康的な足に視線が向いてしまう。女将さんと言えば着物のイメージだが、ホットパンツにTシャツというラフな格好。見た目は完全に清楚系のギャルだ。
「温泉ですか、それとも宿泊?」
「宿泊で頼む」
「素泊まり温泉付きで五千円、食事は一食千円で追加できますよ」
「それじゃあ今夜の夕食と明日の朝食付きで」
「かしこまりました。七千円になります」
「……あ!?」
「どうしましたお兄さん」
「すまん……財布に五千円しか入ってなかった。食事は無しで良い」
街へ着いたら下ろすつもりだったの忘れていた。
ぎゅるるるる
くっ、このタイミングでお腹が鳴るとは恥ずかしい。
「あらあら、そうですねえ……その素敵なマフラーをいただけるのならお食事はサービスしますけれどいかがですか? 明日は晴れますからマフラー無しでも寒くないと思いますし」
「ぜひ!! いやあ、助かりました」
正直死ぬほど腹が減っていたし、元々閉店セール90%オフの2980円で買ったカシミヤのマフラーだ。女将さんの気遣いに感謝しかない。
「お食事の準備に時間がかかりますから、温泉にでも入っていてくださいな」
「ああ、そうさせてもらうよ」
自然の地形を利用した露天温泉。景色も素晴らしい。
「お食事お持ちしました」
ゆっくり温泉を堪能してから部屋に戻ると、すぐに食事が運ばれてきた。
「すべてこの山で採れた食材で賄っているんですよ」
「これは美味いな……」
新鮮な山菜と川魚に舌鼓を打つ。
その後のことはよく覚えていない。疲れていたのですぐに眠ってしまった。
「世話になった。また泊まりに来るよ。今度はちゃんとお金を下ろしてから」
「うふふ、今度はその素敵なセーターをいただこうかしら」
後日、マフラーをしたカモシカがニュースになったが……まさかね?