練習将棋
――将棋は才能が全て。
そういう意見がある。
――将棋は努力が全て。
そういう意見もある。
どちらも正しく、どちらも間違っているとしたら――真実はその中間地点にすらないのかもしれない。
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江戸時代には将棋家以外にも将棋の達者な者が多く現れた。
都市部である江戸や京都は特に多かったが、全国津々浦々《ぜんこくつつうらうら》各地に存在していた。
事実、現代にも名を残している人物は多い。
ここで着目すべきは、将棋が遊戯である、ということ。
つまり、生きていく上で必要なものではない。
それでも江戸時代に流行したということは、それだけ平和であり、文化が成熟していたことの現れといえる。
無駄を許容できるということは、当時の日本人がいかに知的であったかの証明でもある。
その数多い在野に潜む達人の中でも、越中富山藩前田家家臣である添田宗太夫は、当代屈指の腕前であった。
段位は七段。
将棋家以外でここまで上り詰められる者は皆無に近い。
そして、添田の弟子である名村立摩も達人として名を馳せていた。
印寿は名村立摩と将棋を指したことがある。
それは印寿が御城将棋に初めて出勤する少し前の話である。
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享保元年(一七一六)。
印寿は十一歳に成長していた。
しかし、彼の年齢を知って、十一歳と思う人間はなかなかいないはずだ。
骨太で色黒。
眼光鋭い眼差し。
背も高い。
兄の印達は線の細い可愛らしい顔立ちをしていたが、印寿はそういう柔らかさがまるでない。
数えで十一。
つまり、実年齢は十歳程度なのに、とても大人びている。
それは父親である宗印から見ても、誰に似たのかと思うほどだった。
しかし、それは宗印が自分の外見をあまり理解していないから。
印達は母親似だったが、印寿は父親似だったというだけ。
体力的にも恵まれていることが伺える姿形に成長しつつあった。
しかし印寿は、同い年の頃の印達ほどの棋力を身につけていなかった。
少なくとも、同じ年齢の頃の印達と比べれば実力は劣っていた。
事実、段位は初段。
印達が十二歳で五段だったことを考えると、まだまだ青いというのが宗印にとっても正直な感想だった。
今年、印寿は御城将棋に初出勤する。
期待の新星だからこそ、みっともないところは見せられない。
そこで、出勤前の腕試しとして、在野の達人である名村立摩と将棋を指すことにしたのだった。
ちなみに、この時の宗印は名人を就位していた。
この練習将棋から遡ること三年前(正徳三年)に六十九歳での名人就位。
五世名人、二代伊藤宗印。
非常に高齢な就位である。
しかし、それも仕方のないことだった。
宗印は大橋分家の宗与より実力がありかつ年長。
大橋宗銀の代わりに養子となった七代大橋宗桂は明らかに実力不足。
働き盛りの年代に適切な人材が存在していなかったのだ。
だからこそ、印寿や宗民(大橋分家。印寿の三歳年下。この年八歳)への期待が大きかった。
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名村立摩は蛇のような男であった。
立ち居振る舞いにどことなく体温を感じさせない。
背も高く、痩せているので、より蛇のような風貌をしている。
印寿も年齢にしては背が高い方だが、頭一つ以上名村の方が高い。
印寿を見下ろす形で、名村は挨拶をする。
「あなたが名人の子どもの、印寿くんかい」
「はい、名村五段。本日はよろしくお願いします」
「ああ、よろしく」
名村は五段。
つまり、初段の印寿とは四段差。
上手の名村が角行を落とすことで、対等となる段位差である。
名村の実力を認めてか、印寿は丁寧な口調に敬意を払った態度だった。
緊張しているようには見えないが、慎重に言葉を選び振る舞っている。
それに対して、名村は印寿の事を侮っていた。
印寿の兄である印達が天才であったことは疑いのない事実である。
大橋宗銀との対局の棋譜は名村も将棋盤に並べて確認したが、恐るべき才能の持ち主だった。
しかし、もうずいぶん前に亡くなっている。
惜しい人物を亡くした、と会った事もない名村さえ心底から思わされた。
印達が生み出す棋譜にはそれくらい価値があり、将棋の真理探究に大きく貢献したはずだった。
それに対して、弟の印寿は不肖で、将棋嫌いだと風の便りが届いていたからだ。
将棋家に生まれたから仕方なく、長兄を喪ったから仕方なく努力しているだけの甘えた餓鬼――そういう印象だったのだ。
そして、印寿も宗印も、名村がそう思っていることを理解していた。
ただし、それで反発や反感を持つことはない。
ただただ、実力を示せば良い――そう考えていたのだ。
そして、対局が始まった。
最初、名村は余裕綽々の表情だった。
舐めた態度。
上から目線で『将棋を教えてやる』という態度。
それが崩れたのは、駒組みが終わる頃だった。
宗印は印寿の姿を見ていた。
そして、名村の態度も見ていた。
印寿は初手から抜身の刀を持った武士のような雰囲気を湛えていた。
一手一手、斬りかかるように指している。
名村は指導将棋の心持ちだったのだろう。
その温度差に気づくことができなかったのは『将棋は真剣だから強い』とは限らないから。
将棋の強さは想いの強さでどうにかなるものではない。
しかし、真剣さは目に宿る。
真剣に成長したい人間は、一手一手を糧とする。
だから、手つきにも真剣が宿るのだ。
武士に憧れた少年は、手に真剣を宿しつつあった。
印寿はとてつもなく集中している。
集中が過ぎ、前傾姿勢のまま固まっている。
その体勢で、盤面を注視している。
それは『仕方ない』で済ます人間では決してできない、熱意の篭った視線だった。
将棋に対する集中力が桁違いなのだ。
名村が警戒に至ったのは、その真剣さ。
まるで、名村自身を食い物にしようとしていたからだ。
成長のための食い物。
練習将棋の相手としては本望かもしれないが――まだまだ将棋指しとして成長するつもりの名村にとっては脅威でもあった。
しかし、印寿の将棋がまだ荒いことも事実である。
未熟といえばその通り。
だが、それは経験が足りていないだけの話。
読みは正確だ。
名村が指されたくないと思っている手を的確に指している。
それはとてつもなく巨大な才能の片鱗を感じさせる指し手だった。
名村が少しでも甘い手を指したら、確実に食らいついてくる。
――強くなりたい。
印寿のその想いが対局相手の名村のみならず、宗印にも伝わってくる。
それでも、形勢は名村有利。
角落ちという不利な状況から、名村は搦手に徹していた。
印寿はそれに対応できずにいた。
その理由は何か?
印寿は的確に名村の指されたくない手を選んでいる。
あまりにも真っ直ぐに。
これは、逆に、次の一手を読みやすいという一面も持ち合わせていた。
故に、印寿は劣勢に立たされていたのだった。
しかし、印寿は少し形勢が不利と思っていても諦めない。
勝ちたいという執念が人の形をしているような存在だった。
諦めの悪さは、逆転への蜘蛛の糸。
名村は油断しない。
――ここで叩いておく必要がある。
名村はそう考えた。
勝たねばならない。
その決意が名村の指し手をいつも以上に正確なものへと高めていた。
出る杭は打たれるというが、打たなければならないのだ。
それが年長者としての責務であり、勝てる時に勝ち、序列をつけておかなければ、二度と勝てなくなる予感が名村にはあった。
それほどの逸材であることが伝わってきたのだ。
だから、そんな相手に不利な状況から有利な状況まで持っていった、名村の指し回しは会心の出来であった。
角落ちという枷を振り払い、印寿の緩手を的確に咎めた結果、あと少しで名村の勝利という局面。
印寿は淡々とした様子で勝負手を放ってきた。
それは二択の問題。
どちらかは助かるが、どちらかは敗北に繫がる。
名村は慎重に読み、正確に指す。
選択。
一瞬の間。
印寿は「負けました」と頭を下げる。
名村は密かに感嘆の息を漏らす。
「……ありがとうございました」
淡々とした様子で勝負手を放つ姿に、強靭な強さを感じ取っていた。
わずかな勝利の道を手繰り寄せようとする腕力は鬼の子を思わせる。
それは修練で身に付けられるものではなく、勝負師の血が流れているのは間違いない。
正に鬼才。
名村はそこで気づいた。
印寿の握り締めた左手から血が流れていることに。
爪が傷つけたのだろう。
名村は痛々しさよりも、空恐ろしさを感じていた。
勝てて良かった……。
しかし、次も勝つためには十分な備えが必要だった。
そして、それを見ていた宗印は、印寿の才能に安堵していた。
印達は真の天才だった。
そして、印寿も負けず劣らずの輝きを手にし始めている。
兄弟揃って天才。
この奇跡は仏の導きに違いない。
信心深く、そんなことも考えていた。