初陣
僕の語録の一つに、「看寿の詰将棋を解いた者は必ず四段になれる」というのがあるんです。
――米長邦雄『日本将棋用語辞典』より
時は宝永六年(一七〇九)十月十日。
場所は井伊掃部頭別邸。
井伊家の一室に、大勢の人間が集まっていた。
その大勢の中心に、二人の少年が向かい合って座している。
二人は将棋盤を挟んで対峙していた。
上座に座るのは大橋宗銀十六歳。
まだ少年らしい細面の顔の中心、意志の強さと真摯さの伝わる目が印象的だ。
下座に座るのが伊藤印達十二歳。
線が細く、優しそうな頰に幼さと可愛らしさが同居している少年である。
宗銀と印達は将棋を指していた。
そう、二人は将棋指し――将棋を指すことに命を賭す類の人間であった。
段位は二人ともに五段。
段位の高さは非凡さ、優秀さの表れである。
この若さで五段の認可を受けるのは前代未聞であり、並大抵の事ではなかった。
「…………」
「…………」
真剣勝負の最中、宗銀と印達は無論のこと、周囲の人間も妨げにならぬよう言葉を発しない。
二人は必死に次の手を捜していた。
駒の向こう側を覗かんとばかりに鋭い眼差しで盤面を睨みつけている。
まだ切迫した局面ではなかったが、先を見通す為、彼らは必死だった。
動くという事を忘れたように必死な形相である。
微動だにせず、次の一手を読み続けていた。
二人とも素晴らしい集中力を発揮している。
印達は十二歳、宗銀は十六歳だが、それは当時の数え年での十二歳と十六歳だ。
実年齢はそれよりも一つ二つ少ないはずである。
つまり、現代であれば、まだ義務教育に通い、親の庇護の下で成長している年頃なのだ。
しかし、二人に甘さは微塵も見えず、勝利を目指して必死だった。
「…………」
「…………」
先手の宗銀が選択しているのは、居飛車と呼ばれる戦法だった。
それに対して印達は飛車を右から左へ動かしていた。
これは振り飛車という戦法である。
先手居飛車、後手振り飛車という対抗形が現局面だ。
当時、このような居飛車対振り飛車という形が将棋の基本戦型であった。
ちなみに、現存する最古の駒組み図は『家忠日記[天正十五年(一五八七)二月下旬の余白]』に記載されているが、これも先手が居飛車で後手は中飛車(振り飛車の一種)である。
それから百年以上経過した宝永の時代になっても、将棋の主流は対抗形だった。
これは現代に比べて緩やかに将棋を求道していた時代だからこそである。
あまり戦法の種類が多くない。
一生を費やして新手を編み出すような、目隠しをしたまま手探りで鉱脈を探すような時代だったから、将棋の戦法の幅も現代ほど多くなかったのだ。
しかし、将棋に賭ける熱量は現代と変わらない。
……いや、もしかしたら、現代以上だったのかもしれない。
一戦一戦、一手一手に魂が込められているのは、家名を背負っての戦いだからだ。
「…………」
「…………」
まだ序盤であるが、現局面は先手の宗銀が手得を活かしてやや指しやすいという状況である。
手に困った印達は端歩を突いて様子を見ている。
この時点で、印達は素直に作戦負けを認めていた。
じっと辛抱をして機会を窺っているのだ。
まだ十二歳。
こうやって我慢できる辺りやはり並みの少年ではなく、才能の片鱗が見え隠れしている。
そもそも、この争い将棋は大老井伊掃部頭の命じたものであった。
目的は若き天才同士による技量の練磨だ。
幕府の重鎮の要求が肩にかかっているのだから俊英二人は必死である。
「…………」
「…………」
室内は時折家人がお茶の換えを用意するくらいしか動きがない。
言葉さえもないが、緊張感は保たれたままである。
静かな火花が弾け続けていたからだ。
そして、朝から始まった対局は昼を回り、中盤へと移行しつつあった。
ちなみに、江戸時代には『持ち時間』という概念が存在しない。
『持ち時間』とは、対局者が考える事ができる制限時間の事である。
練達者同士の場合、次の一手を何時間も考え続けることができる。
素人からすれば冗談のようだが、たった一手を指すためだけに一時間や二時間考えることも珍しくはない。
だから、制限時間を設けることで円滑に対局を行うための仕組みが『持ち時間』制度なのだ。
江戸時代の将棋指したちは好きなだけ自分の指し手を考える事ができた。
だが逆に言えば、それは『時間に追われて手を誤る』という言い訳ができない事を意味している。
つまり、結果と技量が直結しているのだ。
より忠実に。
将棋には最善手が確実に存在している。
しかし、神ならぬ人にはそれは見通すことができない。
あくまでも『自分が最善手だと考えるもの』しか選べないのだ。
だから、どれほど局面が苦しくとも最後まで最善手を探し、自分なりに決断して指さねばならない……これはある意味でとても過酷なことだった。
「…………」
「…………」
劣勢を感じた印達は、我慢の限界とばかりに反撃に出た。
実際、このまま辛抱していても後手の局面は好転しない局面だった。
印達は桂頭の歩を突いて桂馬をいじめようとするが、宗銀は予め浮き飛車で桂頭を守る。
互いに秘術を尽くし、
凄まじい殺気を放ち、
喉笛を掻っ切るため、
次の一手を模索する。
そこからは二人とも譲らないとばかりに強手の連続だった。
しかし、二人の手つきは柔らかなものだった。
指し手の激しさに比べて、落ち着いた手つきである。
ただし、それはあくまでも外見の話だった。
頭の中は煮え滾っているが故の強手だ。
「…………」
「…………」
日焼けしている宗銀に対して、印達は青白く見えるほど色白だ。
その白い頬に赤みが生じ、頰を発端として首筋から指先まで広がる。
印達は歯を食いしばり、頭に血が上るほど必死になって手を探していた。
二人の強手の理由は実のところ異なっている。
印達は自分の形勢が良いとは思っていないが故に強手を選択していた。
それに対して、宗銀は年少の天才に負けてなるものかという意地から強手に応じていた。
大橋宗銀は四世名人である大橋宗桂の養嗣子だ。
養子とは、血縁関係のないものを子どもとして引き取る行為である。
嗣子とは、家を継ぐべき子のことである。
養子と嗣子で養嗣子。
つまり、四世名人である大橋宋桂と宗銀に直接の血の繫がりはない。
宗銀は棋才を見出されて大橋本家に引き取られた。
大橋本家の次代を支える才能があると認められたから養嗣子になった。
それはつい先日の事である。
まだ引き取られてから時間はさほど経過していない。
だから、この一戦に賭ける想いは非常に強かった。
将棋家の子として生まれたわけではないので実力を示す必要があった。
同じ将棋家で、同じ段位で、年下相手に負けるわけにはいかないのだ。
その強い想いが宗銀の指し手に現れていた。
「…………」
「…………」
しかし、強い想いが必ずしも良い方向に作用するとは限らない。
その気負いから宗銀は、必要のない強手で応じていた。
強手と強手のぶつかり合いに、二人を囲む一同が目を白黒させる。
勢い良く局面が動こうとしていた。
戦いは終盤に。
印達は飛車交換から敵陣に飛車を打ち込む。
やや良いと思っていたのだろう、宗銀は歩を打って銀を守った。
「――……」
その瞬間、印達の頰が微かに緩む。
ほんの一瞬だった笑みを見咎めた者はこの場にいなかった。
誰も気づかない変化の理由の一つは印達の幼さだ。
宗銀の緩手に思わず笑ってしまったのだ。
印達は数えでまだ十二歳。
実年齢は十歳か十一歳である。
幼さが濃いからの緩み。
真剣勝負の場ではありえない。
だから、この緩みには周囲の誰も気づけなかった。
そして、もう一つの理由は――。
印達の繰り出した、その次の歩成からの手順は年齢に似合わぬ機敏さだった。
桂馬を跳ね、角を動かし、役に立てる事ができなかった遊び駒をあっという間に捌いてしまったのだ。
形勢は宗銀の優勢から、ほぼ互角にまで戻っていた。
もう一つの理由は、周囲の誰も宗銀の放った一手が緩手だと気づけなかったから。
「…………っ!」
そこまで進んでから宗銀は息を呑み。
「…………!」
周囲の大人たちも目を白黒させる。
宗銀は頰を硬直させるが、すぐに深呼吸して落ち着きを取り戻す。
まだ決して悪くなったわけではない。
ここから落ち着いて指せば、まだ自分の方が良いと分かっているからこその落ち着きである。
誰も気づかなかった手順に気づいた印達は天才。
そして、一瞬で我を取り戻す宗銀もまた天才だった。
宗銀は飛車で取られないように香車を動かした。
そこで手を止めるのは印達だ。
次の手が見えなかったのだ。
飛車の空成りくらいしか次の手が見えない。
印達は攻めが繫がらねば負けると直感していた。
逆に言えば、それはここで何か手さえあれば、逆転できるかもしれないという予感から生まれたものだった。
「…………」
「…………」
時間が経過する。
二人とも苦しい時間だった。
宗銀は『優勢な局面を維持したい』という苦しさ。
印達は『劣勢な局面を覆したい』という苦しさ。
種類は異なっていたが、二人は苦しんでいた。
張り詰めた重い空気を切り裂き、局面が再び動き始める。
どうにかその後も印達は攻め続けるが、攻め手がなくなっていた。
宗銀が印達の攻めを受け続けた結果、印達を切れ模様に追い込んだのだ。
もう印達は手がなくなりつつあった。
局面は宗銀が優勢であり、印達は密かに歯噛みする。
宗銀を下から睨むようにして観察するが、彼は落ち着いてこちらの攻めを受け続けている。
宗銀は受けに自信があるのだろう。
どうすれば勝ち目が生まれるのか、ただひたすら印達は諦めずに手を考え続ける。
俯いて考えに沈む印達を見て、宗銀は細くため息を吐いた。
彼も紙一重の受けだったのだ。
決して余裕があったわけではない。
その時の宗銀の狙いは動かせなかった角を動かす事だった。
攻防の位置へ角を動かす事で、先手が勝ちに近づくと読んでいた。
ようやくこの勝負の終わりが近づいていた。
宗銀の読み通りに事は進み、印達の龍が次に取れる位置へと角を動かした。
後手の印達は仕方ないとばかりに龍を逃がす。
しかし、印達もただ龍を逃したわけではなく、次の攻めが狙える位置へ龍を逃したのだ。
それは宗銀がもし間違えたら逆転してみせるという強い受け、最後まで勝利を諦めないという印達の強い姿勢であった。
その強さに宗銀はわずかに怯む。
印達の中に、自分以上の才能の片影を感じ取っての怯みだった。
両者は既に互いの強さを十分に認め合っていた。
「…………」
朝から始まった将棋だが、既に日は傾き、秋らしい風が吹き始めていた。
寂しく歌うように、襖の隙間を風が通り抜ける。
研鑽を積んでいるとはいえ、まだ成長途中の少年二人である。
体力を蝕む、辛い刻限だったのだろう。
だから、桂馬を打って龍の攻めを受けるという宗銀の選択肢は魔が差したようなものだった。
負けない為に、念には念を入れたかったのかもしれない。
しかし、冷静に見れば、その手は明らかな無駄であった。
「あ」
「あ」
指した直後に宗銀は気づいたし、同時に印達に気づかれた事も知った。
その手が悪手である事を互いが一瞬で理解したのだ。
この対局中初めて視線が交差したが、二人はすぐ盤面に視線を落とした。
受ける必要のない手なのだ。
いや、それは受けてはならない手だった。
宗銀はその失敗を取り返す手がないのかと必死に探し、印達はその失敗を手がかりに勝ち切る手はないのかを探す。
宗銀は絶望的な気分で、それでも次の手を震えながら指した。
角で香車を取りながら、馬に成る。
受けに強い馬を自陣に引きつける事で、どうにか玉を守ろうという手である。
しかし、宗銀の必死の想いも無駄であった。
最後のあがきも虚しく、宗銀はあっという間に詰まされてしまう。
桂馬を打たず自分の手駒として残していたら、宗銀の勝ちだったのだ。
だが、受けに投資してしまったから負け。
最終盤のたった一手が引き起こした逆転劇だった。
嗚呼、と宗銀は嘆く。
とっくに投げてもおかしくない頃合いなのに、それでも無様に指し続けたのは何故か?
同じ将棋家で、同じ段位で、年下相手なのだ。
宗銀が勝たなければならない勝負だった。
いや、負けてはならない勝負だったのだ。
だから、投げる事ができなかった。
敗北を覚悟した宗銀は、俯いた状態で目を瞑って黙考する。
目を瞑っているとよく分かる。
鬼だ。
眼前にいるのは幼い少年の姿をした将棋の鬼だった。
いや、違うのか。
鬼才と讃えられた自分を屠るほどの存在をどう評すれば良いのか?
宗銀は嗚呼と誰にも聞こえない声で再度感嘆の息を漏らす。
――どうして、こんな奴が、いるのか。
「負けました」と宗銀が頭を下げ、
「ありがとうございます」と印達が応える。
百十四手にて伊藤印達先勝。
……天才少年二人による、歴史に名を刻む名勝負はこうして始まった。