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 ポス、と耳元で空気がなる。

 両腕を捕まれて簡単に押し倒された身体。

 その上に覆い被さるようにして、朱洋が藍蘭を見ている。

 どうしてこんな状態になったのか。

 藍蘭はただ、朱洋に鍋の残りを持ってきただけだというのに。

 

 


 家の扉を叩く音がして朱洋は首を傾げた。

 暗くなったこの時間に訪ねてくる人間に心当たりはない。

 窮鼠の村の中だから無頼漢が来ることはないが、それでも多少警戒しつつ、朱洋は扉に手をかけた。

 開けたそこには、藍蘭が立っていた。


 「お前かよ。…何してんの?」


 呆れた表情で朱洋は藍蘭を冷ややかに見つめた。

 (私にだけ対応が塩過ぎる…)

 藍蘭は冷たく睨んでくる朱洋をムッとして睨み返した。

 

 「…コレ、届けに来ただけ」


 「ほーん…」


 お裾分けの鍋の残りを示すと朱洋は鍋と藍蘭を見比べた。

 (ありがとう、の一言ないわけ?相手が琳だったら、ちゃんと言いそう…)

 藍蘭は鍋を朱洋に押し付けると、腰に手をあてて、不満を口にした。


 「あのさ、ちょっと私と琳の対応に差がありすぎない?」


 「差?」


 きょとんと朱洋は目を瞬く。

 何を言われているかわからない、そんな様子の朱洋に藍蘭は食って掛かった。


 「私には『馬鹿』だの『阿呆』だの言うくせに、琳にはなーんか優しいの、なに?!当て付けしてんの?!」


 言いながら藍蘭は先程の二人が抱き合う姿を思い出していた。

 思い出して更に怒りがこみ上げ、朱洋が口を挟む間もなく捲し立てた。


 「大体、さっきの何?琳とくっついて、鼻の下伸ばしちゃって!」


 「は?伸ばしてねぇわ。お前こそ、でこにチューされて顔赤くしてただろうが」


 「はぁ!?今それ関係ないし!っていうか、私は人によって態度変えないでって言ってるだけでしょ!?朱洋のバーカ!ガキ!」


 (そんなこと一言も言ってねぇ)

 そもそも朱洋は人によって態度を変えているつもりはない。

 藍蘭は琳との態度に差があると言うが、それは単に幼馴染みと昨日知り合った人間との差であり、琳より藍蘭の方が気安いのは当然のことだ。

 一方の藍蘭は澪章とのおでこ事件についてはさっきまですっかり忘れていたのだけれど、朱洋に言われて思わず顔が赤くなる。

 それを隠したくて藍蘭は最後はもうただの悪口を口にした。

 その最後の一言を吐き出した藍蘭の腕を朱洋は急に引っ張った。

 

 「…わっ、なに!?」


 「誰がガキだ、馬鹿」

 

 怒った声で藍蘭に言うと、朱洋は藍蘭を部屋の中へと引っ張り込んだ。


 「大体、警戒心がない上に隙だらけなんだよ。一人暮らしの男の家にのこのこ来んな」


 (はぁぁ?!今部屋に入れた人間が言う台詞じゃない!)

 捕まれた腕を振り放し、藍蘭は朱洋に食って掛かった。


 「何すんのよ!大体、私は朱洋が思う程、隙だらけじゃないし、警戒心もあるわよ!」


 藍蘭は自分をなかなかしっかりしている人間だと思っている。

 少々そそっかしい所もあるが、周りが言う程抜け作ではないというのが藍蘭本人の評価だ。しかしながら、周りの評価の方が正しいことは往々にしてよくあることであり、そしてこの場合もその通りなのだ。

 藍蘭は自分で評価するよりよっぽどしっかりしていないし、そそっかしい所は少々どころではなく大分である。

 朱洋は藍蘭の反論に眉間の皺を更に深くし、ポン、と藍蘭の肩を押し、そのままベッドへと押し倒した。

 

 「……へ?」


 突然のことに藍蘭は目を瞬く。

 目の前には燃えるような赤い髪と同じ色の瞳。

 藍蘭はかつてその瞳を兎のようだと言ったことを思い出していた。

 まだ幼く自分と変わりなかった子供の頃。

 身長は藍蘭の方がまだ高く、二人は一緒の立ち位置だった。

 それがいつの頃か、朱洋の方が背が高くなった。

 同様に手も背中も力も大きくなった。

 それと同時に二人の立ち位置も少しずつズレていった。

 いつの間にか必ず藍蘭の前に朱洋が立つ。

 まるで背中に庇うように、藍蘭を守るように、極自然に朱洋はそうしてきた。

 それに藍蘭は今頃になって気付く。

 藍蘭は常に朱洋に守られている。

 こんな風に押し倒された今でも、朱洋は腹をたててはいるけれど、藍蘭に酷い仕打ちはしないと確信できる。

 かつて兎のように可愛らしかった瞳は、今、獰猛な獣のように藍蘭を睨んではいるけれど。

 

 「…よくこれで隙がないなんて言える」


 憎々しげに呟いた声に藍蘭は朱洋の怒りを感じとり、言い訳するように乾いた笑いを返した。


 「ははは…。いや、これは油断って言うか」


 両手が使えたら後ろ頭でもかきたい気分だが、生憎捕まれたままだ。

 朱洋は無言で藍蘭を見つめた。


 「…お前、俺には何もされないと思ってるだろう?」


 「…………えっ?」


 (なんでバレたの!?)

 藍蘭はぎくりと身体を硬直させる。

 (いや、それよりも。なにその言い方!)

 それではまるで、朱洋は藍蘭に何かする気があるようではないか。

 日頃人に向かって、『馬鹿』だの『間抜け』だの『ガキ』だの言ってるくせに。

 

 「藍蘭」


 耳元で朱洋が囁く。

 吐息が耳にかかり、藍蘭は思わず身体を震わせた。


 「ひぇっ…」

 

 背筋がぞくっとして藍蘭は身を縮ませる。

 そんな藍蘭を朱洋はじっと見つめた。

 幼馴染みの少女は困惑気味に朱洋を見上げている。

 その姿は何処か小動物を思わせた。 

 

 「っ、な、なにす…」


 藍蘭の言葉は最後まで続かなかった。

 (ムカつく…)

 意識しているのは朱洋だけで、藍蘭は色恋事に興味がないように見える。

 もしくは朱洋をそういった事から外しているか。どちらにせよ、朱洋だけがヤキモチを妬いているようで、非常に腹立たしかった。

 だからこれは八つ当たりだ。

 朱洋は噛みつくように藍蘭の唇を塞いだ。

 

 「……ん、んむ」


 啄むような可愛らしいキスではなく、それは獣が噛みつくようなものだった。

 藍蘭がじたばたと暴れようにも、腕は捕まれたまま、びくともしない。

 足はバタバタするものの、特に朱洋にダメージを与えられるわけではなかった。

 顔を背けようにも、しっかりと顎を押さえられてしまっている。


 「…ん、んんんー」


 このままでは息が続かない。

 そう思った矢先、朱洋は唇を離した。


 「…こうやって襲われたくなかったら、もっと気をつけろ」


 (な、なにー?!お前が言うか!)


 心で叫ぶものの、声は出ない。

 藍蘭はあまりのことに、言葉もなく朱洋を睨み据えた。

 その目尻にはうっすらと涙が滲んでいる。

 朱洋にしてみれば、その姿は充分苛虐心を擽るものではある。彼は好きな子は苛めたくなるタイプなのだ。

 しかしながら、これ以上は自分の歯止めが効かないこともわかっている。

 このまま欲望のまま藍蘭に手を出せば、築いてきた信頼も、漸く藍蘭に芽吹きそうな恋心も粉々に崩れるだろう。

 それは御免こうむりたい。


 「…俺は謝らないからな」


 だってこれは冗談ではないのだ。

 朱洋は藍蘭を好いているし、本気で手に入れたいと思っている。

 それが本人にだけ、何故か伝わらないのが不思議だけれど。

 でも、売り言葉に買い言葉の末に、こうして実力行使に出たことで、多少は伝わったと思いたい。

 天然でピントのずれた藍蘭だから、変な誤解をしないか不安だが、この真っ赤な顔を見る限り大丈夫ではないだろうか。

 藍蘭の羞恥に震える真っ赤な顔を満足げに眺め、朱洋は藍蘭を家から追い出した。

 徒歩一分もしない、隣の家に慌てて飛び込む藍蘭を窓から見届けて、朱洋は鍋を台所へと持っていった。

 


 朱洋の考えが甘かった、藍蘭には朱洋の気持ちが微塵も伝わっていないと気付くのは、まだ先のことだ。

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