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 琳が藍蘭と恵丹の家にいる澪章に気づいたのは翌日のことだった。

 随分回復してきた澪章は包帯を巻いた腕とは逆の手で薪を割り、水を汲んだりしていた。琳は藍蘭に連れられて洗濯の手伝いをしていたから、外の澪章を見てハッとした。

 最初彼女は都の役人がいることに体を強ばらせたが、澪章が気安い様子で藍蘭に話しかけてきたため、警戒しつつも声をあげることはしなかった。


 「おや、おはよう、藍蘭」


 片手を上げ澪章は藍蘭と琳に近づいてくる。


 「おはよう、澪章。腕はどうなの?動いていいの?」


 「大分良くなったよ。本当に世話になったね。……そちらのお嬢さんには、初めましてと言っておこうかな」


 琳を見て澪章は含みのある言い方をする。

 そこから『お互い不干渉』の意を汲み取って琳は小さな安堵のため息をついた。

 彼は都の役人だった筈だ。

 同じ中級貴族だったから顔も名前も知っている。ただ、話したことはなかった。

 貞家は左大臣一派、対して範家は右大臣の腹心の部下だった。

 その為同じ宴会に出席しても関わることのない人物。それが範 澪章と貞 琳の関係だった。


 「…そうね。初めまして、にしておきましょう」


 まだ少し警戒の残る視線を受けて、澪章は苦笑した。

 お互いここで会うとは思っていなかった。

 その戸惑いは澪章も琳と同様だった。

 気まずい雰囲気が漂う二人を眺めていた藍蘭は小さなため息をつき、琳を引っ張った。


 「じゃ、洗濯の続きが残ってるから。またね」


 藍蘭が澪章に手を振ると、彼はにこやかに手を振り返しまた歩き出した。






 


 洗濯を終えた琳は次に料理の支度を手伝うことになった。

 藍蘭は調理器具の用意をし、そこへ本日のメイン食材となるであろう熊を捕まえた朱洋がやってきた。


 「あ、熊来た」


 「…熊?」


 訝しげに琳は呟き、藍蘭の視線を辿った。


 「…ひっ!」


 そして琳は小さな悲鳴をあげた。

 赤い髪の少年が担いでいるのは茶色い毛並みの大きな熊だった。

 想像や絵とは違う本物は既に息をしていないのが気配からわかる。

 琳は本物の熊を見たことがなかった。

 その上、狩りを行い死んでいる熊だ。

 獣の死とは不浄のもの、おぞましい事象なのだと無意識に琳はそう思っていたし、死んだ獣を身近に感じることはなかった。

 だというのに、青ざめた琳を他所に藍蘭は少年に近づいて行った。


 「でっかい熊ねぇ!凄いじゃない、朱洋」


 「(ゴウ)さん達と獲った。お前、捌くの手伝え」


 「勿論!今日は熊鍋にしようかなー。朱洋も食べてくでしょ?」


 にこにこと藍蘭は嬉しそうに笑う。

 今年初めての熊だ。

 熊は捌いて村人で分け合うのだ。

 藍蘭は朱洋と共に熊を捌こうとして、そこで漸く琳を振り返った。

 琳にも熊を捌くのを手伝ってもらおうと思ったのだ。

 けれど、熊を凝視し、藍蘭達の会話を聞いた琳はわなわなと震え、青ざめたままの顔色で口を開いた。


 「…そ、それを…捌くの?」


 「捌かなかったら食えない」


 何かおぞましいものでも見るような視線が藍蘭と朱洋、そして熊に刺さる。

 朱洋はその視線に気分を害したのか、ムッとしながら答えた。


 「……野蛮だわ。恐ろしいと思わないの?」


 「死んでんだろ、恐いわけあるか」


 「そうだよ、琳。もう動かないから大丈夫」


 朱洋も藍蘭もその熊に対して不浄の気持ちはないらしい。

 あっけらかんとした様子の二人から琳は一歩後退りした。


 「不浄のもの、でしょう?」


 琳の問いに朱洋は顔をしかめ、藍蘭はきょとんと首を傾げた。

 貴族ではない平民にとって狩猟と耕作はなくてはならない生活の糧だ。

 当然ながらそれらは自分達の身近にある。

 死んだものへの弔いの気持ちもあるが、必要な糧だと理解もしている。

 だからこそ、有り難く頂くのだ。 

 そしてその為には自分達で獲物を捌かなくてはならない。

 弔いの気持ちを持って無駄なく捌くのだ。

 (それを不浄って…)

 藍蘭にしてみれば、死んだから不浄だ、触りたくない、というのは高慢にも思えた。


 「そうしたのは私達でしょう。今まで琳が食べてきた肉も魚も、こうやって誰かが捌いたのよ?」


 「…わかってる。頭ではね。でも実際経験するとなると、恐ろしいのよ」


 額に手をあてて、琳はその場にしゃがみこんだ。熊も藍蘭達も見ないように琳は俯いた。


 「…どっちにしろ、貴族のお嬢様には無理だろ。藍蘭、さっさとやるぞ」


 朱洋に言われ、藍蘭は琳を気にしながらも熊を捌きにかかったのだった。

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