12
腹の中がモヤモヤする、と朱洋は思った。
帰ってきて早々に藍蘭と澪章のやり取りを見てから眉間に深い皺が寄るのを止められない。
それどころか、知らず握りこぶしに力が入る。
他意がないのはわかる。が、面白くはない。朱洋は歩き慣れた廊下を足早に進んだ。その背に声がかかって、朱洋は嫌々ながらも振り向いた。
「朱洋!」
「…なに?」
「あ、えっと、さっきのは本当に偶々で、澪章の言う通り他意はなくて」
焦って走ってきた藍蘭は少し肩を上下させながら言い募る。
しかしながら朱洋は不機嫌なまま、素っ気ない態度を崩さなかった。
(今あいつの名前聞きたくないし)
「あっそう。で?」
我ながら子供じみているとは思うのだが、素直にもなれない。
朱洋の中には、自分を追いかけてきて言い訳をする藍蘭を無下にしたくない気持ちと、もう少し意地悪をしてやりたい気持ちが半々くらいにある。
藍蘭は気まずそうに俯いた。
「で、って…いや、そうよね。朱洋には関係ないんだもんね」
藍蘭のおでこに澪章の唇が触れても、目の前にいる少年は興味も無さそうに藍蘭を見ている。
藍蘭はわざわざ走って追いかけた自分が急に恥ずかしくなった。そうなると、顔も赤くなり、ますます顔を上げられなかった。
その様子を観察していた朱洋は眉間の皺をより深くして一層不機嫌な様子を見せた。
「……お前、あいつのこと好きなの?」
真っ赤な顔で俯いている幼馴染みの姿は見慣れない。
朱洋が戻ってきた時、二人はなんだか楽しそうでもあった。
恋人とからかわれて腕を叩く藍蘭と、それをにこにこと笑って受け流している澪章。極めつけにおでこにキスまで見せられて、朱洋としては珍しく嫉妬心が沸いた。
朱洋本人は認めたくないが、これは嫉妬故の八つ当たりに他ならない。
(あと、俺は遊んでねぇ!)
朱洋はこれでも仕事を終えて早々に帰ってきたのだ。
藍蘭が落ち着かないのと同様に朱洋もなんだか落ち着かなかったのだ。それで早く帰ってきたのだが、結果は散々だった。
「は!?な、なに言って…?!」
焦って更に顔を赤くする藍蘭に朱洋は一歩近付いた。
「…ガキのくせに生意気なんだよ」
「は!?」
(いや、同い年だし!)
藍蘭は思わず顔を上げて朱洋を睨む。
見上げた朱洋は怒った顔のまま、更に一歩藍蘭に近付いた。
じっと藍蘭を見つめ、朱洋は顔を近づけた。
(!?な、なに!?)
急に近くなった顔と、伸びてきた手を見た藍蘭は先程の澪章とのキスを思い出した。
(い、いや…まさかね…?)
体を硬くする藍蘭のおでこに手を触れた朱洋は一瞬躊躇う様子を見せた。
朱洋はおでこに顔を寄せて、それからぎゅっと目を瞑った藍蘭を見つめ、小さなため息を溢した。
「…あんなの、早く忘れろ」
朱洋の呟く声は自分に言い聞かせるようにも聞こえる。
朱洋は藍蘭のおでこを手でごしごしと擦った。そうすることでキスの感触も記憶も消えるとでも言いたげに結構な力で何度か擦った。藍蘭のおでこがヒリヒリと赤くなってしまったくらいに。
「…う、うん」
「蚊が止まったのと変わんねぇよ」
ふいにおでこを拭く手が離れる。
藍蘭はさっきまで朱洋が触れていたおでこに今度は自分の手を当てた。
自分でもわかる程、顔が熱い。
ぶっきらぼうに言う朱洋の顔を見られず、藍蘭はまた俯いた。