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朱洋が窮鼠を出発した後から、藍蘭は自分と父親の食事を作り、ついでに澪章の病人食を作った。
窮鼠で暮らす藍蘭と恵丹は他の村人同様、自分達で衣服を誂え、食事を用意し、湯を沸かし、住居を整える。そこに頭領という肩書きはなく、ただの村人と同等の行為を恵丹は自分にも藍蘭にも求めた。
それは村長であっても特別扱いはない、と示す意味もあるが、藍蘭に普通の生活をさせたいという父親の思いもある。
その思いを知ってか知らずか、藍蘭は毎日黙々と恵丹と共に家事を回していく。
昔は親のいない朱洋も一緒に暮らしたのだが、15歳の誕生日を迎えて朱洋は吏村の空き家に移住した。とはいっても結局隣の家なのだが。
それで暫く親子二人の生活だったのだが、今は倒れていた澪章が二人の家で看病されている。
澪章は熱も下がり、健康そうだが、切られた腕は完治には至らず、そのまま運び込まれた部屋にいる。
藍蘭が連れて来たのだから自分で世話するように恵丹は言い、藍蘭は特に不満はなく、澪章の世話を続けているのだった。
「澪章、ご飯食べられる?」
部屋の入口から覗くと澪章は藍蘭に振り向いた。
「ありがとう。すまないね」
「まぁ、連れてきたのは私だからね。…何してたの?」
澪章が窓の外を眺めているのを不思議に思った藍蘭が聞くと、彼はにこりと笑った。
「燕がいるなと思って見てたんだよ。のんびり燕を眺めるなんて久々なんだ」
「燕?…ふぅん…役人って忙しいのね」
「藍蘭達が思う程暇ではないかな。人にも寄るだろうけど」
そう言って澪章は苦笑する。
隣の文机に食事を置き、藍蘭はそれを澪章の前に持ってきた。
澪章は出された食事を見て藍蘭に謝意を述べ、手を合わせて食べ始めた。
その横で茶と薬湯を用意しながら、藍蘭は尋ねた。
「…都っていいところ?」
藍蘭の質問に目を瞬かせ、澪章は口の中のモノを飲み込んだ。
「急にどうしたの?」
なんだか気まずそうな様子で藍蘭はそっぽを向く。
「いや、あの……朱洋が、まだ帰ってきてないから……遊んでるのかなって…」
藍蘭が思っていたより朱洋の帰りは遅い。
朱洋とはずっと一緒にいたこともあって、なんとなく傍らにいないのは落ち着かないのだ。
そんな藍蘭を面白そうに澪章は眺めた。
「…恋人がいなくなって寂しいんだね?」
「こっ…!?ち、違うわよ!そんなんじゃないし!寂しくもないから!」
(朱洋と恋人とか……ありえないし!)
これはただ、幼馴染みが側にいないから変な感じがしているだけであって、決して寂しいとか、恋しいとか、そういうことではないと藍蘭は思いっきり澪章に首を振る。
そんな藍蘭を澪章は微笑ましい思いで見つめた。
「素直じゃないなぁ」
「だから、本当に違うから!」
「えぇー?」
からかうように笑う澪章の肩を藍蘭は抗議の意味を込めて叩いた。
「…もう!からかわないで!」
ベシベシと叩いてくる藍蘭を笑って眺めていた澪章はふと視線を感じた。
視線の方を向こうと首を動かした澪章と食べ終わった食器を片付けようとした藍蘭が交差する。
その際に、澪章の唇が藍蘭のおでこに触れた。
「…!!(今!触ったわよね!?)」
触れたおでこに手を当てて、藍蘭は驚いたまま澪章を見た。けれど彼は藍蘭ではなく、藍蘭の後方の出入口を見て、両手を持ち上げた。
「これは不可抗力だよ。私も藍蘭も他意はないよ」
誰に向かって話しているのか気になった藍蘭が後ろを振り向くと、そこにはいつからいたのか、帰ってくるのを待っていた朱洋がいた。
(えっ、このタイミングで来る?!)
澪章の言う通り他意はない。…のだが、いつもの三倍は冷ややかな視線で睨まれ、藍蘭は体を硬直させた。
(怖いから!なにその顔ー!?)
いつもの怒った顔が般若なら、今の顔は仁王像といったところだろうか。
冷徹な視線を澪章から藍蘭に移し、朱洋は口を開いた。
「痴女」
(えぇぇ!?)
口をパクパクと開閉する藍蘭を尻目に朱洋は先に進んで行ってしまった。