現実は斜め上
評価、ブックマーク、誤字報告ありがとうございます!
8/15 第九回ネット小説大賞一次選考通過しておりました。お読みいただいた皆様、ありがとうございます!
「祭に参加したい」という動機での応募だったのでまさか通過するとは。びっくりですが嬉しいです(*^^*)
私には前世の記憶がある。
そしてここは前世で遊んでいた乙女ゲームの世界で、私はそのゲームの悪役公爵令嬢、ダリア・リベルバーに転生してしまった。
前世で読んだ小説によくある展開。私も小説の主人公同様、断罪を避けるべく動いてきた。
舞台は王侯貴族の子弟が必ず通うことになる学院。
ヒロインは、ストロベリーブロンドのやわらかな髪と温かみのあるオレンジ色の瞳を持った、平民出身の愛らしい子爵令嬢。
悪役令嬢である私はこの国の第一王子の婚約者。ヒロインとは対照的な烏のような黒い髪に黒い瞳。吊り上がった瞳に紅を塗らなくても赤い唇はまさに悪役といった容貌。
学院に入学してからは婚約者と極力距離を取った。ヒロインが編入してからは徹底的に彼女に遭遇しないようにした。勿論いじめなんてしていない。
それでも、結局ストーリーは変わらなかったようだ。
第一王子が子爵令嬢と恋仲であるという噂が学院内で流れ出したのは少し前のこと。
その噂が事実であることを証明するかのように、王子と子爵令嬢が寄り添って歩く姿を多くの生徒が目撃している。
さらには王子同様、攻略対象である第一王子の側近候補たちも常にヒロインを取り巻き、それぞれ婚約者がいるにも関わらずヒロインの素晴らしさを吹聴する始末。
そして今日は学院の卒業パーティー。
本来ならば婚約者にエスコートされて入場するはずの会場に、私は一人でいた。きっと、この後にヒロインを伴って現れる第一王子に衆人環視の中、婚約破棄を言い渡されるのだろう。ゲームのストーリーのように。
「バーナード・カーク・エメランド第一王子殿下、マリー・モルト子爵令嬢、入場」
そうコールされると共に会場の扉が開き、周りから驚きの声が上がる。二人の姿を見たくなくて、俯いて扇で顔を隠す。
別に、王子のことが好きだったわけではない。むしろ嫌いだった。
さらさらの金髪に宝石のような青い瞳。まるで絵本から飛び出してきたような王子様の中身は、絵に描いたような俺様王子だった。
やたらと上から目線でものを言い、人の話など聞かない。私たちの婚約は政略によるものなのに、なぜか私がそれを望んだのだと思われている。もちろん好意を示すような言葉を口にした記憶は一切ない。
ゲームでは悪役令嬢から攻撃をされるヒロインを守り、ヒロインと交流していく中で性格が矯正され王族としての自覚を持つようになった。
婚約を結んだばかりのころは私もどうにかならないかと頑張ってみたが、私の心が折れる方が早かった。
ざわめきはなかなか収まらず、私はずっと俯いていた。
この後、王子は卒業生代表として壇上に上がりスピーチを行う。本来であれば一人で登壇するところをヒロインを連れて登壇し、彼女の肩を抱きながら悪役令嬢の断罪を行うのがゲームのストーリー。
「ダリア・リベルバー公爵令嬢!」
第一王子が突き刺すような声で私の名を呼んだ。
始まってしまった。
人々が私の方を振り返り、そして離れていくのがわかった。
「貴様との婚約を破棄させてもらう!」
(うー、んーー、うぅ)
「そしてマリー・モルト子爵令嬢を新たな婚約者として迎えることを、ここに表明する!」
(んんぅ!?うー、うー、ううぅ!)
・・・んん?
第一王子のセリフはゲームと全く同じものだ。でも、その間に入るくぐもった女性の声は何?
そこでようやく顔を上げて壇上の二人を見る。と同時に固まった。
ゲーム通りの展開なら、第一王子は左手でヒロインの肩を抱きヒロインはその腕の中で怯えたようにこちらを見ているはずだった。
しかし、実際には。
王子が小脇に、なんかピンク色のもの抱えてこちらを睨んでる。
あぁ、なんかなんて言っては失礼ね。あまりのことに脳がうまく認識出来ていなかったけど、ヒロイン、そう!あれがヒロイン!
ヒロインが白い布でぐるぐる巻きにされた上に猿ぐつわ噛まされて王子の左小脇に抱えられているけど、もちろんそんな展開の乙女ゲームあってたまるか!
なんで!?ヒロインっていったらこういう時、とても自分で用意したとは思えない素敵なドレス着て王子の腕の中からこちらを怯えたように見てくるか、涙ぐんでるものじゃないの?あ、涙目ではあったわー。涙目でこっちに助け求めてるようにしか見えないけど。
一応「王子の腕の中」ではあるけど私の知ってるゲームと明らかに何か違う!いや、ほとんど違う!
ざわめきが収まらなかった理由これかぁぁぁっ! そりゃざわめくわ!
…え、どういうこと?
さりげなく周りを見回すと他の卒業生たちはかなり離れた所からこちらの様子を見ていたが、私と目が合いそうになるとさっと顔を背けた。それはもう、あからさまに。
あっ、そうか。さっき私から人が離れていって舞台までの道が出来上がったのは王子に気を使ったわけではなくて、この珍妙な出来事に巻き込まれたくなかったからか。
あああああ! こんなことなら最初から直視しておけばよかった。そうしたら名前呼ばれる前に逃げ出せたというのに…。
私が予定とは違う絶望を感じていると、バタバタと騒がしい複数の足音が聞こえた。
第一王子の側近候補達。別名、攻略対象。
「殿下!」
「何をなさっているのですか!?」
よし、あとは任せた!私は逃げる!
そう思ってさりげなく離れようとすると
「あっ、リベルバー公爵令嬢!」
「頼む!殿下を止めてくれ!」
こっちを頼るな!むしろ気付くな!今までヒロイン囲んでこっちのことは蔑ろにしてたくせに!
仕方なく側近候補達に顔を向ける。
「貴方達は、今まで何をなさっていたのかしら?」
あくまで公爵令嬢らしく悠然と優雅に、でも目に笑顔は乗せず低めの声で訊いてみると、側近候補たちはわかりやすいくらいにびくりと震えた。
ちなみにこの台詞には殿下の奇行のことだけでなく、「自分たちの婚約者放っておいて今まで何やってたんだ、あぁ?」の意味も含まれている。私ほどではないにしても、彼女たちも辛い思いをしてきたはずだ。
先ほどまで私にどうにかしろと詰め寄っていた彼らは、目を逸らして「それは…」とか「いえ、その…」とかもごもごと気まずげにしている。
「ああなった現場に、貴方達はいらっしゃったの?」
小声で話しかける。
「はい。殿下と私たちでマリーを迎えに」
「ああすることがもともとの計画?」
「まさか! その、殿下が、逃げるマリーを捕まえて突然…」
「逃げたということは、彼女はパーティに出席するつもりは?」
「…ない、と言っていました」
「連れていくことに、彼女の保護者の許可は?」
「…取ってない、です」
誘拐、確定。
「何をしている!?」
コソコソと話し続ける私たちに第一王子が怒鳴る。
思わず「こっちの台詞だよ!」と言いそうになるのをぐっと堪えて王子に向き直るが、その左小脇にあるものが気になって仕方がない。どうやら私が思っていたような関係とは違うようだし、早いところなんとかしてあげたほうがいいだろうか。
それにしてもなんでこの王子は人を小脇にかかえて堂々としていられるのだろう。小柄な女性とはいえ人一人を片手で小脇に抱えられるその腕力は立派なものだが、貴方に求められている手腕はそういうものじゃない。
「バーナード・カーク・エメランド殿下」
ため息をつきたいのを堪えて王子に呼びかける。
バーナードの「バー」とカークの「カー」をやたら強調したのはわざとである。
「いくつか質問をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「ふん、いいだろう。なんだ?」
やたら上から目線で偉そうなのが気に食わないが、言質は取れた。
「そちらの方は、どなたでしょうか?」
「聞いていなかったのか?俺の愛しのマリー・モルト子爵令嬢だ」
「その殿下の愛しい方が、なぜそのような姿に?」
「マリーが俺の愛を確かめようとして逃げるものだからな。わからせるために愛の力で捕まえたのだ」
「…殿下自ら、ですか?」
「当たり前だろう!俺の愛を伝えるのに俺が動かなくてどうする!?」
ビシッと決めポーズ付きで言い切った王子。
王子とは対照的に彼の側近候補たちは私の後ろで頭を抱えていた。
どうやら王子は「貴族令嬢を無理矢理連れ去ってきました!」と自白したことに気付いてないらしい。
「そうですか…。それでは殿下、まずはお話の前にそちらの愛する方を自由にして差し上げたらいかがでしょう?」
「…マリーに何をするつもりだ?」
「何もいたしません。いくら殿下の愛を感じているとはいえ、そのような姿勢を取り続けるのは辛いのでは?」
周りから「え?そこ?」「もっと他にあるだろ」と言いたげな視線を感じる。
私も自分で何言ってんだと思ってしまうが、何考えてるのか、というか頭の中何で出来てるのかわからない王子にヒロインを解放してもらうには、一先ず王子の言い分は否定しないほうがいい。これ以上愉快な展開は御免である。
幸い王子もヒロインの身を引き合いに出されれば私の言葉とはいえ無視できなかったようで、ヒロインをそっと床に降ろして布を解き始めた。
そこからの出来事はあっという間だった。
ある程度まで布が解かれ体を動かせるようになった途端、ヒロイン・マリーは自分に手を伸ばした王子から距離を取り、猿ぐつわを投げ捨てると舞台から飛び下りこちらに向かって走ってきて。
「大変申し訳ありませんでしたー!!」
私に向かってスライディング気味に土下座をかましてきた。…え?
「リベルバー様!このようなことになってしまい本当に申し訳ありません! ですが私は第一王子殿下の恋人などでは決してありません! そもそも殿下のことは好きじゃないし、王族や王妃の位にも興味ないんです! それに、自分から殿下に話しかけたこともありません!」
マリーは土下座の体勢のまま怒涛の勢いで私に謝りだした。
正直、殿下に抱えられてるのを見て私の知ってる乙女ゲーム的な関係ではないのだろうと思っていたが、この行動は予想外である。
というか、ぐるぐる巻きに縛られて体固まってた状態から、解かれてすぐに飛び退くようにその場離れるとか、見事なスライディング土下座決めるとか、この娘、身体能力高くない?
動揺してちょっと関係ないことが頭を駆け巡るが、公爵令嬢として、将来の王子妃としての教育の賜物で幸い表には出ていない。
…うん、まぁ、こんな事態を想定しての教育ではなかったんだけど。
「どういうことだ、マリー!君はいつも俺の傍にいてくれたじゃないか!?」
王子のその言葉にマリーはゆらりと立ち上がると、彼の方を振り向いた。
私には振り向く前に一瞬見えただけだが、彼女の目は据わっていた。決意したものの目とも言える。とてもヒロインがヒーローに向ける目じゃない。
「それは殿下が私に出来るだけ傍にいるよう命じたからですよね?おかげで私の昼休みと放課後は潰れました」
「そんな!俺たちは恋人同士だろう!?」
「なんでですか!?そもそも告白すらされてませんよ!」
このあたりは貴族としての常識がまだ足りていなかったマリーと王候貴族の常識しか持っていない王子の勘違いとすれ違いによるものだろう。
そもそも貴族は子供時代を除けば未婚の男女の距離は平民に比べて遠い。学院は共学だしクラスも男女一緒に授業を受ける。男女の友人関係が成立することも何の問題もない。だが、たとえ友人だとしても婚約者でもない異性と人目のない場所で二人きりになるのは有り得ない。
逆に言うと、人目のない場所で二人きりで過ごすことを相手が許す、イコール、自分たちは相思相愛だと捉える貴族もいる。
現に、ここに、舞台上に一人いる。
一方で平民の場合は、告白があって初めてお付き合いに発展するとか。
ゲームでは互いに仲を深めていく過程で王子からあきらかな愛の言葉があり、ヒロインもそれに応えるので相思相愛であることが共通認識になっていたのだろう。
王子、この様子だと二人きりで過ごすも愛の言葉は言えてなかったな。おそらく、何かを察したマリーが上手く逃げて言わせてもらえなかったんだな。
ところでこれは私にとっては幸運では?
こんなのどう考えたってゲームのストーリーから外れている。今までどう足掻いても絶対に崩すことはできないと思っていたものがぼろぼろガラガラと崩れ落ちている。主にヒロインの手によって。
いける!
もしかしたらこれであの王子と結婚しないでいい上に断罪もされないかもしれない!
よし、がんばってヒロイン!できる限り助けるから!
卒業生の前で自分たちが恋人でないこと、そもそもマリーに自分への恋心がないことを暴露された本来のヒーローである王子は、茫然とした顔で口をパクパクさせていたが、思い出したかのようにマリーの隣に立っていた私を見つけこちらをビシッと指さしてきた。
お?どうしたどうした。
「ダリア!お前はマリーに嫌がらせをしていただろう!」
たしかにゲームの悪役令嬢、ダリア・リベルバーはヒロインのマリーにちょっとした嫌味から犯罪じみた嫌がらせまで行っている。その断罪も婚約破棄とセットになっているのがゲームのお約束のストーリーなわけだが、そもそも悪役令嬢がヒロインに嫌がらせを行っていた主な理由は。
「何故、殿下の恋人でもないマリー様に婚約者の私が嫌がらせをしないといけないのでしょうか?」
これ。
悪役令嬢の婚約者である第一王子の恋人となったヒロインへの嫉妬が嫌がらせの理由。
あなたの恋人じゃないんだから、嫌がらせする理由ないでしょ?の意味。
…実際のところ私はゲーム通り二人は恋人同士なんだと思ってたわけだけど、そんなことは黙っておこう。嫉妬なんてしたことないのは事実なんだし。
私の発言に少なくない人数が失笑をもらしたのが聞こえたが、幸か不幸か顔を赤くしてわなわなプルプル震えている王子の耳には届いていない。
「だが実際にしているだろう! 俺が教室までマリーを迎えに行ったら、彼女の机が倒されて中身がめちゃくちゃになっていたのだ。インク瓶まで割れて、ひどい有様だったんだぞ!お前がやったんだろう!」
そういえば、ゲームの中で悪役令嬢がヒロインにそんな嫌がらせしてたかもしれない。でも私はやっていない。
「それ、殿下から逃げようとして慌てていたら机にぶつかって倒してしまっただけです。余裕がなくて後で片付けようとそのままにして逃げました」
ヒーローから逃げるのに必死だったヒロインによるものでした。
「それだけじゃない!先日マリーは何もない階段から転落したのだ!お前がやったんだろう!」
それもゲームであったな。もはや定番の階段落ち。もちろん私はやってない。
「それ、私を探し回り追いかけてくる殿下から必死で逃げてて階段踏み外しただけです」
ヒロイン追い詰めるヒーローのせいでした。
ヒーロー、思った以上にヒロインに嫌われてるじゃないですか。
ヒーローに対するヒロインの好感度が低すぎる。
現実が思っていたものと違ったことに動揺を隠せないヒーロー。私をビシッと指していた指が勢いを失って下を向いているぞ! ここまでか、ここで終わってしまうのか、ヒーロー!
なんて馬鹿なことを考えていた罰が当たったのかもしれない。
王子の泳いでいた目がマリーをとらえた瞬間、彼は何かに気付いたように目を見開いた。そしてニヤリと口元を歪めると再び私をビシッと指差してきた。
好きだな、そのポーズ!やりすぎると小物感が増すぞ!
「ダリア!やはりお前は罪を犯しているな! 俺は今朝マリーの家に今日のパーティーのためのドレスを届けさせたのだ。それなのに、今のマリーの格好を見てみろ。平民のような服装ではないか! ダリア!お前が盗んだのだろう!」
え、なにそれ? 知らない!
もちろん私はそんなことしてない。それ以前に、ゲームにもそんな内容の嫌がらせはなかった。
ヒロインは豪華なドレスを着て王子の横に守られていたし、それならドレスはきちんとヒロインの元に届いたということだ。
そして、これはちょっと不味い。
何故かというと「婚約者以外の女性に贈ったドレスが紛失した」となれば、まず疑いをかけられるのは婚約者だからだ。
王子とマリーが恋人同士かどうかは関係ない。王子の片思いでも構わない。
ゲーム通りであれば、そのドレスは王子の髪色と同じ黄色の生地に王子の瞳のようなサファイアの飾りが付いた豪華なものだ。王子から贈られた王子の色のドレスをまとった女が、万が一王子にエスコートされて登場したら、その時点で私の立場は崩れ去る。婚約者としても、貴族令嬢としても。
やってないから当たり前だけど、証拠はない。しかし、私には動機がある。
内心焦る私と、余裕の表情で私を睨み付ける王子。自信の表れなのか私を指している指が上に反り返っている。
そんな張り詰めた空気をぶち壊したのはマリーだった。
「えっ!あのやたらでかい箱、殿下だったんですか?中身、ドレスだったんですか!」
「…は?」
マリーの言葉に固まる王子。
「…マリー様。いくらなんでも、贈り物が届いたら開封して中身を確認してお礼状を書くのがマナーですわよ?」
「ですが、通いのお手伝いさんの話によると、朝来たらドアの傍に置いてあったそうなんです。カードから私宛らしいことはわかったんですけど差出人の名前は書かれていなくて。そうしたら祖父が危険物かもしれないから開けてはいけないと」
【悲報】 王子のプレゼントが危険物扱いされた件。
まぁ、王子が差出人の名前を書かなかったのはわからないでもない。婚約者がいる身で他の女性にドレスを贈ったと知られれば、不貞を疑われても反論できない。配達人を使わずにドアの前に置いたのも差出人が自分であることを隠すためだろう。
多分、ゲームのヒロインとヒーローのように仲を深めていれば、ヒロインはカードの文字から送り主が誰なのか察することが出来たのだろうけど、王子から必死で離れようとしてたマリーが気付けるはずもない。そもそも、ドレスを贈られるとも思ってなかった様子。
さすがに可哀そうになってちらりと舞台上の王子を確認すると、表情がごっそり抜け落ちていた。指も下を向いている。
「そ、それでは、そのドレスは今もマリー様の家にあるのかしら?」
がんばれ王子!着てはもらえなかったけど、受け取ってはもらえてるはずだから!これを受け取りと言っていいのかわからないけど!
「あの、それが…」
さきほどまで王子のめちゃくちゃな言い分にも動じることなく言い返していたマリーが、とても言いづらそうにしている。
「祖父が憲兵に連絡して、引き取っていただきました…」
ドサッ! バタン。
私はこの日、生まれて初めて人が膝から崩れ落ちるのを見た。
あれから三ヶ月後。
私はリベルバー公爵家の自室でのんびりと過ごしていた。
「ダリア様、お茶の用意ができました」
「ありがとう、マリー。あなたも付き合ってちょうだい」
「かしこまりました」
そう言って私の向かいに座ったのはマリー・モルト子爵令嬢。現在彼女は私の家で行儀見習いとして働いている。
「今更なのですが、入ったばかりの私がダリア様の部屋付きとなって良かったのでしょうか?」
「いいのよ。人手不足だったから丁度良かったわ」
三ヶ月前の学院の卒園パーティー。
自分のプレゼントが危険物扱いされた上に憲兵に引き取られていったと知った第一王子が膝から崩れ落ちた後のこと。
私もマリーも、なんなら王子の側近候補をはじめとしたパーティーの出席者たちも、これからどうしたものかと焦っていたところで国王陛下が登場した。
そこからは速かった。
まず、第一王子と私の婚約は第一王子側の有責で破棄となった。
知らせを受けた父もそれを希望したことに加え、学院の卒業パーティーという貴族の子弟とその親、国の要人もいる衆人環視の中で、王家の許可もなく私に婚約破棄を言い渡したこと。有りもしない罪を訴え貶めたこと。第一王子が今日までは学生とみなされる貴族令嬢を、本人の意思も保護者の承諾もないままに拉致したことが理由として挙げられた。誘拐については大勢の前で自白したようなもの。言い逃れはできない。
バーナード・カーク・エメランド第一王子は期限未定の謹慎と再教育が言い渡され、卒業後に行われる予定だった立太子礼の無期限延期が決まった。
ほとぼりが冷めない限り日程は決まらないだろうが、騒動の内容ももちろんだけど、あの登場は視覚的にインパクトが強かったからなぁ。しばらく目撃者の記憶から薄れることはないだろう。
マリーについては特にお咎めはなかった。公の場で王子に反論した言葉の数々は王子の恥を晒したという意味で不敬と言えなくもないが、彼女は王子に拉致されたれっきとした被害者。王子に対しての発言内容については王子にも問題があった。はやい話が帳消し。
正確には拉致されたことに対する慰謝料が発生して、それがなかなかいい金額だったのでマリーもそれで納得した。
多分、拉致されてきた様子がアレなので、国王としてもなんとかそれで早急に収めたかったのだと思う。息子の名誉のためにと争えば、王子が令嬢を小脇に荷物抱えるかのように登場した奇行にも触れなきゃいけなくなるし。
実はマリー、卒業パーティーには出席しないで、もともと住んでいた田舎に戻るつもりだったらしい。
両親が事故で亡くなり身寄りの無かったマリーが困っていたところ、彼女の祖父を名乗る紳士が現れた。彼女はそのとき初めて自分の父親が貴族だったことを知ったそうだ。平民である母と結婚するため二人で駆け落ちしたとのこと。
未成年の少女が一人で暮らしていくのは難しかったため、せめて成人するまではとモルト子爵に引き取られ身分的には貴族令嬢となった。しかし彼女自身は貴族として生きるつもりはなく、学院の卒業と共に貴族をやめるつもりで、モルト子爵も理解を示していた。
卒業パーティーの直前、まだ貴族籍を抜ける手続きは済んでなかったが、最近特にしつこくなった第一王子から逃げるために先に田舎に帰ろうとしていたところを捕まってしまったそうだ。
そのせいで予定が変わってしまった。
パーティーには卒業する貴族の子弟のほか、その家族と国の重鎮が数名出席していた。つまり、国内の貴族、数十家がいたのである。
そんな中でマリーは第一王子に小脇に抱えられて登場し、王子に付きまとわれていたことを暴露し、その上王子から贈られたドレスを危険物として憲兵に引き渡したことを明らかにしてしまった。王家からお咎めがなかったとはいえ、その話は出席した貴族からあっという間に広がり…。
帰ろうとしていた田舎の村長と領主から連名で、要約すると「ごめん。お願いだからしばらくうちに来ないで」という手紙をいただいたらしい。
うん。王家としては許してるけど第一王子から個人的な恨み買ってるかもしれない少女なんて、とんでもない爆弾。マリーには悪いが、その手紙はどうしようもない。
もうしばらく貴族令嬢を続けることになり、行儀見習いとして受け入れてくれる家を探したが、残念ながら彼女は爆弾である。どの家からも断られ、リベルバー公爵家で受け入れることにした。
もともとうちは第一王子の婚約者に選ばれるほどの家柄。くわえて今回の件については第一王子から一方的に迷惑かけられた側でもある。マリーを受け入れても王家の反応なんて怖くない。
あと単純に人手不足。私は卒業と同時に王宮に移って王子妃教育の仕上げを行うことになっていたので、私付きになっていた大半の侍女やメイドにはそのタイミングで暇を出したり他家へ移ってもらうことになっていたのだ。
それが突然の婚約破棄。家から追い出される予定もなし。結果、私付きの侍女、メイドが人手不足。猫も杓子も、爆弾でもいいから連れてこい!と、お父様からお許しが出た。
仕事をしてもらってわかったのだが、彼女は貴族としての常識が備わっていなかったものの、決して馬鹿ではなかった。いわゆる「お花畑系ヒロイン」のような愉快な頭もしていない。
田舎で両親と慎ましやかに幸せに暮らしていた、公爵令嬢の私よりもよほど世間を知っているきちんとした少女だった。時には家事を手伝ったり、食卓を彩るために父親と雉狩りをしていたらしい。たくましい。
そんな話を聞いて、ふと「見た目はお花畑に佇んでいるような儚げなかんじなのに」と呟いたら、「お花畑ですか?高く売れる生薬探して野山なら駆け回ってました」という返事が返ってきた。
…王子から逃げ回ったり、ぐるぐる巻きから解放されてすぐに動き回れた身体能力の謎が解けた。
「マリーはこれからどうなさるおつもり?」
「これから、ですか?」
私の質問にこてんと小首を傾げながらおうむ返しするマリー。
本来それは攻略対象たちにしてあげる仕草じゃないだろうか?
「しばらくは貴族令嬢としてやっていくのでしょう?結婚は考えていないの?」
「…しばらくはいいです」
「結婚」という言葉を出した途端、明らかに渋い顔をしたマリー。どうしたのかと詳しく聞いてみると、学院での出来事がなかなか根深かったらしい。
「そりゃあ私だって最初は貴族の男の子とか王子様って響きにドキドキワクワクしましたよ!?顔立ちだって見たことないくらい綺麗で格好良くて、そんな人たちに話しかけられて優しくされてトキメキもしましたよ! でも…」
「でも?」
「あの人たち、人の話聞かないんですよ…」
あー。
「婚約者がいることを知って、誤解されたくないから構わないでほしいって言ってるのに『無理して我慢しなくていいんだよ』って何ですか!? 用事があるから行けないって言ってるのに『誰かに何か言われたのか。大丈夫だ、来い』って!違うんですよ、そうじゃないんですよ!」
マリーの言葉に思わず私も額に手を当ててしまった。
攻略対象たちは皆タイプは違えどハイスペック。自分に話しかけられて嫌がる女などいないと思っている節がある。
そんな男たちに囲まれ付きまとわれていたマリー。常識的な考えを持ってるだけに大変だっただろう。
これは少し…いや、かなり?私の責任でもある。
というのも、ゲームのストーリーでは攻略対象が悪役令嬢の攻撃からヒロインを守ることで二人の愛が芽生え、キャラによっては性格矯正が行われる。
第一王子なんてその代表格だったのだが、悪役令嬢が仕事しないで放置した結果がこれだ。
まあ、性格矯正しても卒業パーティーで婚約破棄騒動なんて馬鹿なこと起こすし、まともだったはずのヒロインがその馬鹿をうっとり見つめるくらいにまともではなくなるのだから、いいのかどうかはわからないけど。
ただ、悪役令嬢の仕事放棄から全てが変わったことは事実なので、責任は取りたいと思います。
「あのね、マリー…」
「なんでしょう?」
「まだ決定ではないのだけど、うちで持ってる誰も使っていない子爵位を私が継いだらどうかという話が出ているの」
「ダリア様、女子爵になるのですか?」
「将来的な話よ?与えられる予定の領地は田舎の方なんだけど、まずは領主代行の手伝いをする予定なの。早くて今年中にはそちらに行くことになりそうなんだけど…」
「はい」
「あなた、来る?」
「いいんですか!?」
数日考えてもらおうと思っていたら、マリーはまさかの即答だった。
一先ず、これでマリーの結婚問題はどうにかなるだろうか?
最初は公爵家の使用人の誰かとも思っていたけど、うちの使用人はシェフや庭師などの専門職を除けば、基本的には貴族の子弟か代々うちに仕える家のものばかり。貴族との恋愛に根深い苦手意識が出来てしまったマリーには残念ながらオススメできない。
どうか貴族なんて滅多にいない領地で素敵な人を見つけてほしい。
「ところで、ダリア様」
「どうしたの?」
「お聞きしづらいのですが、ダリア様こそご結婚はどうなさるのですか?」
「うっ…」
「私の知る限り、社交界にも出席されていませんよね?」
「うぅっ…」
言えない。
実は私もマリー同様に爆弾だなんて。
公爵家という家柄で被害者側でもあるので表立っていろいろ言う人はいないけど、第一王子と婚約破棄して因縁まで出来ちゃった私を娶ろうなんて勇者は国内のマトモな貴族の中にいるわけない。
じゃあ国外? あと一歩で王子妃教育完了するような者を国外の貴族に嫁がせることを国が許すはずがない!
詰んだ! 見方によってはマリー以上に厄介な爆弾ではないか!
結局、修道院に行くか女子爵を目指すかどちらか選べと言われ、こうなった次第です。
いいのよ!こうなったら、私も向こうで好い人探すから!
私が爵位継ぐなら、相手は最悪平民でもいいのよ! マリーじゃないけど私もあの第一王子のせいで話聞かない身分の高いイケメンには苦手意識を持っていたのだ。マトモな人であれば多くは望まない!
乙女チックなゲームの展開と比べると、現実は斜め上に飛んでった。
おかしな方向だけど、下でも横でもなく上方に飛んでいったのなら、きっとゲームよりいい方向なんだと思う。
…そういうことにしておこう。
お読みいただきありがとうございます!