それ以上でもそれ以下でもない
私、佐瀬巴は、踏切の前で遮断器が下りるのを見ている。
それから、踏切の遮断器をくぐって、電車に轢かれるのを待っていた。
特急電車がどんどん近づいてくるのが、振動と音とでわかった。
私は、親友も失った。好きな人も、私のことを何とも思っていない。
私にはもう、生きている意味がない。
私が目を閉じた、そのときだった。
「巴ー!!」
その声にはっとして目を開けると、雪乃が遮断器を飛び越えて、こちら目掛けて突っ走ってきていた。
間に合うわけがない。私は、死ぬんだから。
何だか、しょうもない人生だったなあ。
失恋するし、大好きな親友には恋愛感情持たれたと思ったら絶縁されるし。
あーあ。
プアアアァン、と警笛が鳴って、私は再び目を閉じた。
すると、私は雪乃に抱きつかれて、ごろごろと地面を転がり回った。
特急電車がそのすぐ横を駆け抜けていって、ああ、生きているのだ、と思った。
そう思った瞬間、ぼろぼろと私の瞳から涙が溢れてきた。
「っ、何で…何で止めたんだよお!」
私は、雪乃の腕の中で泣き叫んだ。
雪乃はゆっくりと身体を起こし、私の肩を抱いた。
肩を震わせてしゃくりあげている私の肩をさする。
「私、失恋して…親友も失って…もう、もう生きてる意味なんかないよ…!」
紫藤先生は、私じゃなくて雪乃が好きだった。
雪乃は、私のことが好きだった。
でも今は違う、ただのクラスメイトってだけだ。
ちょうど、踏切の遮断器がようやく上がった。
雪乃は、立ち上がって制服の汚れをぱんぱんと払ってから、私に手を差し出す。
意味がわからなかった。
「行こ、巴」
「どうして、どうして雪乃は…」
「あんたが好きだからだよ」
私は、雪乃の手を取った。
雪乃の手はかすり傷だらけで、ところどころ血が滲んでいる。
私は、ぎゅっとその手を握り締めた。
踏切を越えて、私のマンションへと向かっていく。
私たちは言葉も交わさないまま、ただ手を繋いで歩いていた。
懐かしい。もっと幼い頃、喧嘩して仲直りしたけれどまだ微妙な空気が流れている、あの感じを思い出す。
私がそんなことに思いを馳せていると、雪乃はそっと手を離した。
雪乃のほうを見ると、彼女はかすり傷をさすりながら言った。
「ほら、もうマンション目の前でしょ。帰んな」
「あ、うん…」
気がつけば、私の住むマンションはもうすぐそこだった。
風が吹いて、雪乃のセミロングの髪をふわりと揺らす。
ものすごく幻想的だと思った。
「じゃ」
雪乃は踵を返して、踏切のほうへと歩いていこうとした。
その手を、私ががしりと掴んで引き止める。
「待って!」
「…」
「雪乃は…雪乃は…」
その後の言葉が、まるで続かなかった。
私には、雪乃に言いたいことがたくさんある。
なぜ私を助けたのか、なぜ私なんかを好きなのか、紫藤先生のことをどう思っているのかーーー。
「…雪乃はさ、先生のこと好き?」
「ぜんっぜん。大嫌い」
あまりにもバッサリと言われて、私は筆舌に尽くしがたい気持ちになった。
自分が好きな人を否定されるのって、こんなにもつらいことなのか。
私は乾いた笑いを漏らしてから、聞いた。
「じゃあ、なんで私を助けたの?」
「さっきも言ったでしょ。巴が好きだからだよ」
「…それは、友達として?それとも、ひとりの女の子として?」
雪乃は、ハ、と鼻で笑った。
そんなこともわからないのか、と言いたげに。
雪乃の顔を見つめると、その瞳はかすかに潤んでいた。
「あんたは、私の最高の友だち。それ以上でもそれ以下でもない」
「雪乃…」
「そういうことだから、また明日ね、巴」
雪乃はそう言うと、私の手を振り払って走っていった。
遮断器がまたしても閉まろうとしている。
私は線路を渡る雪乃を追いかけるべく、遮断器を乗り越えた。
カンカンと鳴っている踏切を無視して、周りの訝しげな視線も無視して、私は雪乃を追いかける。
雪乃はまだ走っているが、さっきよりもスピードが落ちていた。
「雪乃!待って!」
「うるさい!来るな!」
「っ、待ってってば!!」
私はラストスパートをかけて、雪乃の肩を掴んだ。
ようやく雪乃は立ち止まり、ゼイゼイと肩で息をしている。
さすがの私も、額から汗がダラダラと流れていた。
「…っ何で、嘘、つくの」
「…嘘?何が?」
雪乃は努めて冷静に言った。
私はまだ荒い息を整えながら、雪乃の肩から手を離した。
その手を膝に置き、息を吸う。
「だから、私のこと…友だちとしてじゃないんでしょ?」
「………」
「ひとりの女の子として、好きなんでしょ?」
雪乃はゆっくりと振り返る。
私と同じく汗を流していて、首筋がきらりと光っていた。
雪乃はそれを拭うと、こう言った。
「そうだとして、それで巴はどうするの?私のこと、紫藤のことみたいに愛してくれるわけ?」
「………それはーーー」
「ほらね。だから、私とあんたは友だちのままがいいんだよ」
雪乃はそう言うと、そっと笑んでから踵を返した。
私は、彼女を追いかけられなかった。
だって、雪乃の言っていることはそのとおりだったから。
私は、雪乃のことが大好きだ。
でもそれは親友としてであって、恋人とかそういう意味合いでの好きではない。
そんな中途半端な気持ちで私が傍にいたら、傷つくのは雪乃だ。
「ごめん…ごめん雪乃…」
私はその場にへたりこんだ。
私には、雪乃を追いかける資格はない。