第6話「臙脂の盾、山吹の槍」(3/6)
『……で? “エルパーグ”を放棄しておめおめ逃げ帰ったと?』
『は、ははっ! 面目次第もございません!』
『それもたった1機を相手に、我が軍の最新機をもって挑んだ上で敗れたと?』
『はっ! お、恐るべき相手でありました!』
《ラミーナ》首相官邸の一室に、男女が会話する声が響く。
しかし室内には女性1人の姿しかなく、男の姿は通信用モニターの向こうだ。
女性……レウルク・セスラッグはあからさまに苛立った様子を見せ、机の上を指でコツコツと叩いている。
ふと男性……ノイザップ・ムラが顔を上げるが、その姿を見てまた素早く頭を下げた。
『……まあ、奴らに“エルパーグ”のデータを渡すまいと自爆を敢行したことに関しては、一定の評価は下しましょう』
『首相……!』
『それに加え、その鉄騎のデータを収集・提出した点に免じて今回は不問とします。《ドネスロン》より早急に帰還なさい』
『はっ、了解しました! では、失礼いたします!』
レウルクの言葉にノイザップは威勢よく返事をし、通信を終了させた。
暗転した画面を見つめながら、レウルクは深い溜め息を吐く。
溜め息の元凶は主に2つ。
1つは言うまでもなく、今回の敗北だ。
3隻もの砲艦と10機以上の魔導鉄騎、更にはそれを陽動にしてロールアウトしたての新型機まで投入した、勝てるはずの戦闘だった。
しかし、その目論見はたった1機の魔導鉄騎によって無惨に打ち砕かれたのだ。
人格面に難こそあれど腕は確かな部下に預けた新型機、“エルパーグ796”。
そして、腕利きの双子の兵士。
敵の蒼と黒の魔導鉄騎は、それらをいとも容易く打ち破ってみせたという。
詳細こそ不明だが、間違いなく今後の障害になる。
なんとかして、早期にこれを取り除かねば……。
「フウ、フウ、首相」
その時、扉を軽く叩く音と共に声がした。
どうぞ、と短く答えると、小太りで平たい鼻を持った男が頭を下げつつ室内へ足を踏み入れてきた。
男は肩で息をしつつ、手拭いで額ににじむ汗を拭いている。
「どうしました?」
「フウ……《セリトペー》からセンダム・エケイプ姫がご到着されました。ただいま、応接室へご案内しております……フウ、フウ……」
「……はぁ、もうそんな時間ですか……。分かりました、すぐに向かいます。料理は間に合いますね?」
「無論でございます。では、失礼いたします……フウ、フウ……」
男が贅肉を揺らしながら小走りで去っていくと、レウルクはまた大きな溜め息を吐いて席を立った。
これこそが、溜め息の元凶の2つ目。
連合国家加盟国の1つ、《セリトペー》の姫であるセンダム・エケイプによる会食の申し出だ。
来訪の理由など、おおよそ察しがつく。
おおかた、貴金属の関税を引き下げろ、という要望への返答を長く先延ばしにしている件だろう。
しかし、こちらは連合国家中心国として、為すべきことが山のようにある。
そんな些事に構っている暇は無いのだ。
それくらいのことで国家主席自ら出向いてくるなどと、余程の暇人なのだろうか。
愚痴を噛み殺しながら、レウルクは廊下をツカツカと進んでいく。
あの女はしつこく、また同時に陰湿だ。
出会い頭に皮肉の1つも飛ばされるのは、まあ間違いないだろう。
『申し訳ありません、繰り返しお話しさせていただいたのですが、どうも聴こえてらっしゃないようでして……』
『もしやわたくしの声が小さかったのではと、直接伺った次第ですの』
『それとも……レウルク様のお耳が遠くなられましたかしら? ウフフ……』
まあ、こんなところか。
脳内に描いたセンダムが、こちらへ嘲りの混じった微笑を向けてくる。
その姿を想像するだけではらわたが煮えくり返り、苛立ちで足取りも荒くなっていく。
……いや、待てよ。
レウルクはふと足を止めて考えた。
そして、程なくうすら笑いを浮かべながら静かに歩き出す。
今回ばかりは、あの小娘を黙らせてやることが出来そうだ。
何故ならば、3日前。
センダムは自ら軍を率いて《ユースティル》への攻撃を敢行しておきながら、《ウィノロック》の鉄騎擬きによって撃退されたというではないか。
その事を話題に挙げれば、あの皮肉屋といえど大人しくなることだろう。
……もっとも、《ユースティル》攻略を失敗したのはこちらも同じなのだが。
ともかくそれは今日、しかもつい先程のこと。
あの女が知るはずもない。
ほくそ笑みながら足を早め、やがてセンダムが待つ応接室の前に辿り着いた。
数度扉を叩いて中に入ると、部屋の中央に1人の少女が座り、目前の豪勢な食事には目も暮れずカップを傾けていた。
ゆったりとした衣服に身を包み、髪を短く切り揃えた、青柳色の肌を持つ少女。
彼女はレウルクに気付くとカップを置いて立ち上がり、レウルクへ向けてうやうやしく頭を下げた。
「ご機嫌よう、レウルク様」
「……お待たせしました、センダム姫。どうぞおかけください」
「ふふ、さほど待ってはおりませんわ」
センダムの向かいに腰掛け、レウルクも同じようにカップを傾けて中の茶をすする。
チラリと視線を落とせば、センダムは左手や首周りに包帯を巻いている。
脱出装置が作動する前に負った傷だろうか。
「そのお怪我は……3日前の?」
「ええ、黒鉄の君はなかなか激しいお方でしたわ」
「くろが……何です、それは?」
「そうですわね……愛しい好敵手様、といったところでしょうか」
微笑みながら、センダムは左手の包帯を愛おしそうに撫でる。
自らを負傷させた相手が愛しいなどとは、相変わらず理解し難い感覚だ。
怪訝そうに目を細めながら、レウルクは再度茶をすすった。
ふと、センダムがレウルクを見つめ返してふっと微笑んだ。
「時に、そちらはいかがです?」
「いかが、とは?」
「《ユースティル》を攻め損ねて、兵の皆様もお怪我を負われたことかと思いますが……」
「なっ……!?」
その言葉に、レウルクは目を見開いて驚愕した。
《ラミーナ》軍の敗走がレウルクに伝えられたのは、つい今しがたのこと。
ほんの少し前に《ラミーナ》に到着したセンダムが、その情報を知り得るはずがない。
その時、ある仮説がレウルクの脳裏をよぎった。
可能性は極めて低い、しかして皆無ではない仮説。
口に出せば自身、ひいては自軍全体の無能を認めることになりかねない仮説。
「あら、どうかなさいました?」
「……随分と、優秀な諜報員をお持ちのようで……」
「ウフフ、お褒めに預かり光栄ですわ」
センダムの微笑みが、レウルクの仮説を決定づけた。
我が軍の中に《セリトペー》の諜報員が紛れ込み、絶えず機密情報を送信し続けている……そういうことなのだろう。
口に出せば簡単だが、実際に行うとなるとそうも行かない。
そもそも、《ラミーナ》人と《セリトペー》人では、外見的特徴からまるで異なる。
硬い鱗を持つ《セリトペー》人が、柔らかい毛で包まれた《ラミーナ》人の中に紛れ込むなど、生半可な工作では不可能だ。
そして何よりも、同じ連合国家の加盟国に対して諜報員を潜り込ませるなどという行為をしておきながら、全く悪びれもしないその態度。
これがたかだか19歳の小娘がなせる胆力なのか……。
「……ところで、そろそろ本題に入ってもよろしくて?」
レウルクの苦悩する表情を眺めながら、センダムは笑顔で茶をすする。
人が苦しむ姿を肴に酒でも呷るかのようなその姿は、レウルクの目にはまるで悪魔のように映った。
「……先に食事はいかがです?冷めてしまわないうちに……」
「ええ、それもそうですわね。いただきますわ。ウフフ……」
互いにカップを置き視線を飛ばし合う、およそ食事の直前とは思えない張り詰めた空気の中。
2国家首脳による会食が今、始まった。
数週間後、《ラミーナ》政府は《セリトペー》への貴金属輸出の関税を引き下げる決定を下すこととなる。
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