第4話「灰と消ゆ情景」(5/5)
医務棟の出口へと続く廊下。
療士隊の騎士達とすれ違いながら、新は早足で歩を進めていく。
その中で、彼は療養室における自らの行いを振り返っていた。
……表情には出ていなかったはずだ。
恐らくトロフェ達に察されてはいないだろう。
必死に、それはもう必死に抑え込んだのだから。
湧き上がって溢れ出そうになったのは、極めて個人的な感情。
知り合って数日も経っていない彼女達に知らせ、巻き込む道理は無い。
自分の中だけで噛み砕き、擦り潰し、飲み込めばいいだけのことだ。
何も難しい話ではない。
「新」
ふと、名を呼ばれた気がして立ち止まった。
しかし、周りの騎士達は自分に構うことなく歩き回っている。
たまにこちらを見つめる者もいるが、急に立ち止まった彼が気に掛かった程度だろう。
……幻聴か。
そう結論づけ、前を向く。
と、そこに。
「おお、お帰り新」
「新、今何時だと思ってるの?」
もやのように朧げな輪郭を持った、灰色の人影が2つ立っていた。
顔付きはそれに輪をかけて朧げで、辛うじて口があることが確認できる程度だ。
影は新の周囲に付き纏い、絶えずその名を呼び続ける。
久しぶりに出やがったか、新は小さく舌打ちをし、影に構わず歩き続ける。
次第に足を早め、出入口をくぐり外に出ても、影が消える気配は無い。
それどころか、次第に数を増して新を取り囲み、口々に彼の名を呼び始めた。
「聞いてるの、新?」
「天道、日曜暇だったらゲーセン行こうぜ」
「天道くん、今日の放課後なんだけどさ」
大きな荷物を抱えた、女性の影。
細長い包みを肩にかけた、少年の影。
丸い眼鏡の影が浮かぶ、少女の影。
「新、ちょっとこっち来なさい」
「私、天道のこと結構好きだなー」
「あ、あ、ありがとう……天道君」
恰幅の良い、男性の影。
外にはねた短髪の、少女の影。
猫背で肩を狭める、少年の影。
「天道」
「天道くん」
「天道」
「天道君」
「天道」
「天道」
影。影。
影。影。影。影……。
「…………クソッ!」
ついに影と幻聴に耐えかねた新は、不意に足を止める。
そして、何を思ったか固く握りしめた右手を振りかぶり、自らの頬へ向けてそれを叩きつけた。
その光景に、周囲の人々は驚いて彼に注目する。
新が少しふらつきながら視線を上げると、あれだけ見えた影の姿は綺麗に消えていた。
視界に映るのは、自分へ奇異の目を向け、少しずつ散り散りになっていく人々の姿だけだ。
「チッ……吹っ切ったと思ってたんだがな……」
右頬をさすりながらふらふらと歩き出した新は、足元に点在する赤黒い水滴の存在に気付く。
どうやら、強く殴り過ぎて口の中を切ってしまったらしい。
手の甲で口元を拭い、口内に溜まった血をひとまずハンカチの中へ吐き出して握りしめた。
そしてハンカチを口に押し当て、宿舎への道を再度歩き出す。
その道すがら、先程見えた影達のことを思い出しながら、ハンカチの中へ小さな独り言を吐き出すのだった。
「……思ったより弱ぇな、俺……」
To be continued...
キャラ・メカ・用語
○用語
療士隊
怪我や病気を負った騎士の治療、健康維持を主任務とする騎士達。
白百合色の外套、上着が特徴。
妙齢の女性である療士長は男性騎士達からの人気が非常に高い。