演奏する巫女さん
「はい、それでは1曲弾いてみましょうか。 まずは前坂さんから」
そう森田先生が言うと、初音ちゃんは少し考えて返事をします。
「はい、では鶴の声を」
「はい、ではお唄は私が」
そう言うと先生と初音ちゃんは姿勢を正し、演奏を始めます。
「軒の雨 立ち寄るかげは難波津や 芦葺く宿のしめやかに
語り明かせし可愛いとは 嘘か誠か その言の葉に 鶴の一声幾千代までも 末は互いの友白髪」
初音ちゃんのお箏と先生のお歌が部屋にしみいるように響きます。
ではこの曲の説明をしましょう。
鶴の声とは『黒髪』と並ぶ、代表的なお三味線の手ほどき曲でもあります。
『鶴』『幾千代』『友白髪』などいかにも縁起のよいお言葉が出てくる事からご祝儀の場でも弾かれることも多いと思います。
歌詞の内容は、夜目遠目傘の内など申しますけれども、たまたま雨宿りに立ち寄った宿で共に一夜を明かし、行く末を誓い合う仲になりました。という元祖一目惚れのお目出度いお唄です。
地歌(地唄とも表します)の端歌ものは、恋の思いを述べたものが多く、次に四季の風物や祝賀慶福の心を表したものが多いようで、この曲も鶴の鳴く声に寄せておめでたい気持ちを唄っています。
ちなみに地歌とは、江戸時代には上方を中心とした西日本で行われた三味線音楽であり、江戸唄に対する地(地元=上方)の歌。
当道という視覚障害者の自治組織に属した盲人音楽家が作曲・演奏・教授したことから法師唄ともいう。
長唄と共に「歌いもの」を代表する日本の伝統音楽の一つ。 また三曲の一つ。(Wikipediaより)
そして三曲とは、地歌三味線、箏、胡弓は江戸時代の初めから当道座の盲人音楽家たちが専門とする楽器であり、総称して三曲と言います。
4分少々で弾き終わり、初音ちゃんと先生がお辞儀をして終わります。
その後は、良かった所そして良くなかった所をおっしゃり、修正するべき点などをお話して初音ちゃんの番は終わりです。
「ではお次は白石さんお願いね」
「はい」
さてなにを弾きましょうか。 初音ちゃんが鶴の声で一目惚れのお唄だったし。
「では黒髪で」
「あら? よいでしょう。 お唄は私が」
では姿勢を正して、集中しましょうか。
「黒髪の 結ぼほれたる 思ひをば 解けて寝た夜の 枕こそ 独り寝る夜の 仇枕 袖は片敷く 夫じゃと言ふて 愚痴な女子の心と知らず しんと更けけたる 鐘の声 昨夜の夢の 今朝覚めて ゆかし 懐かし 遣る瀬無や 積もると知らで つもる白雪」
とりあえず8分ほど弾き、ミスはなかった…… と思います。
では曲の解説を。
地唄の中で、最も愛されている曲の一つです。
恋しい人に捨てられた女の淋しさを舞います。
雪の降る夜、一人で過ごしながら、女は、黒髪をくしけずります。
そして、昔のことを思い出し、去っていった人のおもかげを求めても得られぬわびしさに、そっと涙します。
外には雪が、しんしんと降り積もります。 という内容です。
昔逢った男に捨てられ、今は独り寝をする女の悲しく切ない思いを切々と歌っている歌なのです。
歌詞にある徒枕とは、愛人と別れて一人寝をする、寝る人のいない枕という意味です。
片敷くというのは昔、男女が共寝する時は二人の衣を重ねて敷いたことから、自分の衣だけを敷く。 もしくは、片方の袖を下に敷くという説もあります。
この曲は、「大商蛭小島」という芝居の、めりやす(下座音楽)でした。
この「大商蛭小島」という芝居は、曾我狂言の発端に該当する曾我兄弟の父の河津三郎の最後から、源頼朝が源氏再興の院宣を受けて旗上げをするまでの芝居で、『黒髪』は伊東祐親の娘・辰姫が恋慕っている頼朝が2階で政子と逢っているのをじっと耐え忍んでいるという凄艶な場面でいわゆる歌舞伎の髪梳きの場の下座音楽として使用されたそうです。
伊豆に流された源頼朝は、身元引き受け人の伊東祐親の娘・辰姫と恋仲になります。
しかし源氏再興には関東武士の力が必要でした。
源氏復興という悲願を求め続けてきた頼朝の気持ちを慮り、辰姫は自分の気持ちを押し殺して、頼朝に北条時政の娘・北条政子との結婚を進言したのです。
とても切ないお話だと思いますし、これを知ってからはこの曲が大好きになりました。
ちなみに『黒髪』は昔から日本女性の代名詞でもあり、黒髪(若い頃)から歌詞が始めり、終りに白雪(白髪を暗示させる)を置くことで女性の一生を歌っているのではないか、とも考えられています。
「はい、結構でした」
「ありがとうございました」
その後は初音ちゃんと同じく良かった所、直した方がいい所を説明されもう一度今度はお唄なしで弾きお稽古は終わりました。
そもそもお稽古は1時間ほどなのであまり長くはないのですが、いつも時間が足りなく感じてしまいますね。
道具を片付けて、先生にご挨拶をして今日のお稽古は終わりです。
次回のお稽古の日時を確認したら帰りましょう。
「森田先生、ご指導ありがとうございました」
「はい、お疲れさまでした」
初音ちゃんと二人先生にお礼を言って教室を後にします。
地下鉄に乗り、自転車を置いてある駅に到着し、ここで初音ちゃんとお別れします。
「じゃあマリアお疲れ!」
「おつかれ初音ちゃん また明日ね」
また明日! と言いながら自転車を勢いよく漕ぎ出す初音ちゃんに、もう一度手を振り私も帰りましょう。
続く