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 それは何度も見慣れた光景だった。


 


 気がつけば私は教室の中央に立っていた。




 机の上に広げられた教科書や、筆記具。

 微妙に引かれた椅子。秒針が止まった時計。



 さっきまで誰かがいた痕跡はあれど、誰もいない。

 そんな閉鎖的な空間。




「…誰か、誰かいないのか?」




 まるで私を嘲笑うかのように。


 絞り出すようにして発した声は何度も反響した。










「……」



 それからどれくらい時間が経ったのか。



 私は椅子の後ろ足二本でバランスを取りながら、時計を眺めた。


 時計の針は相も変わらず頑なに動こうとしない。

 自分の呼吸音だけが微かに聞こえる、無音の世界。

 


「……」



 既に私はここに来るまでの記憶を取り戻していた。

 私は消えたのだと理解していた。




 だからこそ、この空間にいるのだろう。




 視線を向けた先にあるのは『森島由宇』の名前が記されたロッカー。

 『森島由宇』が消えたあの世界では決して存在しない物。


 

 この他にも、辺りを探ってみれば幾つかの『森島由宇』の痕跡が存在した。



 つまりここは、存在が消えた物が行き着く場所なのだろう。





 ーー私はこれからどうなるんだろう。




 ふとそんな疑問が頭に浮かんだ。


 分からない。



 このまま静かに消滅して消えるのか。



 それともこの空間に留まり続けるのか。

 永遠に、一人で。





 なんてぼんやり考えて、



「あれ?」



 視界が滲んでいることに気がついた。




 消えてもいいと思っていた。消えたいと思っていた。

 私が忘れ去られた世界でなんて生きていても仕方ない。これ以上辛い思いをするなら消えた方がマシだと。そう思っていたのに。



「なんで…こんなに………」


 ーー後悔しているのだろう……。






 そしてーー。














「あ、ここにいたんだ。探したよ『私』」


 




 私の思考は、突如聞こえたあどけない声に強引に掻き乱された。



「…ヴェーチェル…?」


「うん私だよ。初めまして『私』」



 ニッコリと笑い、どこからか机の上に降り立ったその者は、この六日間ですっかり見慣れていた姿をしていた。


 間違いなく、本物のヴェーチェル・ディザスタなのだと直感的に理解した。




「ヴェーチェル……」


 故に、私は問いかけた。



「どうして…私は貴女になったんだ……」


 ヴェーチェルは人ならざるモノ。

 彼女なら知っている。そう一縷の期待と望みをかけて。



 しかし、ヴェーチェルの反応は私の期待するものではなかった。

 困ったように眉を顰めただけ。



「うーん。ゴメン。それは私にも分かんない」



 けど、とヴェーチェルは続けた。




「きっと『私』なら理由を見つけられるよ。なんて言ったって主人公君が側についているんだから」


「主人公…くん?」


「すぐ分かるよ。じゃあ早速だけど選手交代だね」


「…!? 待って」



 ヴェーチェルが言う選手交代の意味。

 その意味が分からない私ではなかった。


「私に戻る資格なんてない」



 後悔はしてる。

 だけど、私は破壊衝動のままに世界を壊そうとした。

 自分がいない現実を受け入れられずに。


 そんな私に戻る資格なんて。




「大丈夫、君のせいじゃない。元々私たちの破壊したい欲求はね。人間に耐えられるようなものじゃないんだよ」


 不意に背中に腕を回され、引き寄せられる。

 強く抱きしめられ、ヴェーチェルの体温と鼓動が直に伝わってきた。


「けど……また衝動が来たら…私には抑えられない…! 抑えられる気がしない…」


「大丈夫。その時は私が抑えてあげる。元々あれは私のものだからね。抑えるくらい表に出ていなくてもお茶の子さいさいだよ」


「でも……でも……」


「大丈夫。大丈夫だから……安心していいよ」



 いつまでそうしていたのか。

 正確な時間は分からない。


 ずっと抱きしめていたヴェーチェルは、ゆっくりその力を弱めると、「柄じゃないことしちゃったなぁ」と小さな声で呟いた。



「話したいことは沢山あるけど……これ以上時間を取り過ぎると主人公君に悪いしさ。そろそろお別れだね」


「ーー」



 口を開く間も無く。

 パン。そんな乾いた音が聞こえると同時に私の意識は急速に薄れていった。




「頑張ってね。負けるな『私』」





 意識が消える寸前。

 ヴェーチェルが投げかけた言葉は、確かに私の耳に届いた。














「ん……ここは…ーーうぐっ」

「起きたのか!」




 意識が覚醒した私は、強烈な圧迫感に息を吐き出した。

 何事かと視線を下げれば、映るのは男の頭部。次いで、私の体に巻きつく男の腕が見えた。

 


「うわっ!?」



 え、私今抱き締められている?


 実感した瞬間、私は咄嗟に男を振り解いた。


 あまりにも慌てて振り解いた所為か少し風が乗ってしまったらしい。



 ビタン、と勢いよく砂浜に突っ込む男ーー矢野の姿を見て反省する。

 

 や、やり過ぎた…と。

 


「ごめん…大丈夫?」

「だ、大丈夫だ。問題ないよ」


 しかし矢野は怒ることなく、寧ろ嬉しそうに砂塗れの顔を上げた。



「君は『もりしまゆう』…でいいんだよな?」



 そう訊ねる、矢野の目には縋るような思いが混じっていた。


 別にもう隠す理由もない。


 私は肯定を示すように大きく頷いた。


「うんそうだよ、矢野さん」

「そうか。よかった……本当によかった…」



 心底ホッとした様子を見せる矢野は、途端大きくよろめいた。

 私は瞬時に彼の肩を支える。


「…大丈夫? 矢野さん」

「あ、あぁ。すまない」


 どうしたの? 続けて問いかけようとして、私は気づいた。


 矢野の目の下には大きなクマが浮かんでいること。押したら倒れそうなくらいに憔悴しきった状態だということに。




 ーーまさか。




 改めて周りを見渡す。


 そして、海が視界に入った私は、思わず矢野に訊ねていた。




「ヴェーチェルを…止めたの?」

「まぁな…」



 ーーあぁ……なるほど。ヴェーチェルが言っていた主人公は彼のことだったんだな。


 そう察知するまで時間はかからなかった。

 


「そっか……ヴェーチェルをね…」



 ヴェーチェルがまさしく主人公だと認めた男。


 彼になら。

 私の全てを話してもいいんじゃないか。

 自然とそう思うことができた。




 過去を話すことは怖い。

 圭介の時のようになってしまうかもしれない。

 だけど。


 他の誰でもない『私』が信じる男を信じてみたくなった。



「ねぇ、矢野さん…」

「ん?」

「私の話を聞いてくれる?」

「あぁ。聞かせてくれ」

 











 それから私は全てを話した。

 都内の学校へ通っていた普通の学生だったこと。本名。もともと住んでいた家。皆に忘れ去られたこと。


 話終わる頃には、視界がぼやけていた。一人で抱え込んでいたことを全部吐いた所為なのか、涙が溢れていたらしい。


 手で拭い、失敗する。大粒の涙は手だけじゃ抑えきれなかった。


「あ…」


 今度は服の裾で拭おうとして、矢野に抱き締められた。


 今度は振り解けなかった。

 あんなにボロボロの姿を確認した後では。流石に強引に退けることは出来なかった。



 否ーー。違う。それは言い訳だ。



 本当は、人の温もりをただ感じていたかった。


 ヴェーチェルといい、矢野といい、今日は抱きしめられてばっかりだ。

 


「よく一人で頑張ったな。お前は本当に大したやつだよ」

「…………」

「これからはオレも支えていくから。二人で一緒に手掛かりを見つけような」

「………」

「だからさ。もう泣いても大丈夫だよ」



 優しく投げられたその言葉に私の涙腺は崩壊した。



 涙がポロポロと落ちる。嗚咽が溢れる。

 こんなに泣くのはいつぶりだろう。


 嗚呼、泣けたんだ私。



 人の温もりを感じながら、私はそんなことを考えていた。




「無理しなくていい。由宇ちゃんは普通の女の子なんだからさ」




 少し涙が引っ込んだ。



 あれ? 性別って伝えてなかったっけ……。

 うん、まぁいいや。こんな泣き顔晒しといて「元男です」だなんて恥ずかしくて言えないし。



 当分黙っておこう。心に決めた。


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