第二話「絶望の先に」
「う、ううう。はっ」
目を覚ました時、ボクは木に寄りかかっていた。
つまり、眠りに落ちる前と全く同じ状態。
ほっぺたを思いっきりつねっても何も変わらないので諦めはついていたのだが、やはりこれは夢ではないようだ。
化け物に襲われ、この村でリンチされ、無一文という現実。
これからどうしようかと途方に暮れていると、いきなり近くの民家から怒鳴り声が聞こえ、傷だらけの少年が飛び出してきた。
ボクがその様子を見ていると、少年はしばらく歩いた後に倒れ、動かなくなってしまった。
「う、うう」
「あ、キミ、大丈夫?」
「だ、大丈夫です。こんなことしょっちゅうですから。ハハ、やっぱりこの金額じゃ無理だったか」
この少年、勤めている酒場から肉を買ってくるように言われたのだが、少ししか金を持たせてもらえなかったため、肉屋から激怒されて追い返されたのだという。
村中回ってみた限りでは、どこの店も売る側と買う側の一歩も引かない戦いが日常となっているようだが、板挟みになってしまうこの少年のような者は本当に不憫だ。
「そうか。キミもこの村の人に助けられたんだね?」
「はい。空腹で倒れているところを酒場の主人に拾われました。でも、俺が無一文だって分かると、急に怒り出して、半年間ただ働きさせられることになったんです」
「は、半年間ただ働き!」
「でも、ご主人は俺の仕事に難癖つけて一年以上の間、一日に十五時間以上働かせているんです。食事は朝に一度だけで病気しても休ませてもらえない」
「う、ボクはまだましな方だったのかもしれないね」
「でも、俺はへこたれませんよ。この世界で生きていくためには甘えていられないんですから」
「この世界か。キミはこの世界の事について何か知っているの?」
「聞かない方がいいと思いますよ、多分」
嫌な予感しかしなかったが、ボクは覚悟を決めて話を聞くことにした。
少年はうつむいたまま、今まで酒場で聞いた情報を話してくれた。
この世界の事、あの化け物たちの事、元の世界に帰る方法があるのかという事。
それらをすべて聞き終えたとき、ボクは恐怖のあまり、震えが止まらなくなっていた。
「あ、あああ、そんな、そんな......」
「だから聞かない方がいいって言ったでしょ。俺を恨まないでくださいね」
そう言い残すと、少年は逃げるように去っていった。
「う、うう」
少年からこの世界の事を聞いたボクは村を出て、どこに繋がっているかも分からない道を歩いていた。
もはや、ケガの苦痛が気にならなくなるほどの重圧が今のボクにのしかかっていたのだ。
しばらくすると歩く気力すらなくなり、地面にドンと座り込んだ。
「どうすればいい。ボクはどうすればいい。うう」
ボクは少年から聞いた話を思い返していた。
今更だが、本当に聞かない方がよかったのかもしれない。
まず、ボクを絶望させたのは、この世界が地球上のどこでもなかったという事。
ここは、イノグチ博士という科学者が作った転移装置によりたどり着く事が出来る異世界リャリャジアだった。
イノグチ博士は違法な発明ばかりをしてお尋ね者となったため、誰にも追われることなく研究や発明が出来るこの世界へやってきたと伝えられる。
彼のその後の動向は分かっていなかったが、問題は地球に残された転移装置の方だった。
秘密裏に回収されたそれは、裏社会の人間たちの手に渡ってしまい、悪用され始めたのだという。
その手口は人間を捕えて装置に入れ、このリャリャジアに送るというもの。
被害者たちの共通点は、おもに夜中に殴られて気絶した後、もしくは泥酔していた後にこの世界にいたという事。
たしかにボクもひどく泥酔し、夜道を歩いていたところ、気がついたらこの世界に来ていた。
つまり、あの夜道でボクは知らないうちに転移装置に入れられていたという事になる。
謎は解けたが、なぜボクが選ばれたのか、それ以前にこの世界に人間を送り込む目的は何なのかは不明だ。
さらに理解に苦しむことに、中には自分から転移装置に入ってこの世界に来た者もいるというのだ。
だが、これは元の世界に戻る方法があるかもしれないという事だ。
こんな得体のしれない世界に帰る方法もなく進んでくるとは思えないし、可能性は十分にあるとも思える。
もっとも、その方法を得られるまでこの世界で生きていられるかというのが重要な点だ。
ボクがいた日本のような平和な世界ならまだしも、この世界にはあいつらがいる。
ボクを襲ったあの不気味な化け物たちだ。
奴らはデビレンといって、この世界に太古から住みついている生物で、人間を理由もなく襲い、所有する武器についた吸引口で捕食する習性をもっているのだという。
知性や理性はほとんどなく、目の前の者を攻撃し、時には同族同士で殺し合う事もあるほど凶暴なのだそうだ。
こんな奴らがうろついているというだけでも絶望的だったが、それだけではなかった。
奴らの数は、いまやこの世界に住む人間の数を上回っているという。
さらには、前にボクを襲った個体は単なる雑兵であり、はるかに別次元の強さを持ったデビレンもいるらしい。
故にこの世界では、金を使って強い者を雇うか、自分自身が強くなるしか生き残る道はない。
あの村人たちがとんでもない守銭奴だったのも、強い者たちを常駐させていたのも納得のいく話だ。
だが、分かったところで、今のボクにはどうしようもない。
ボロボロの服を着て一文無しでさまよう四十二歳の戦闘能力皆無の男。
悲しいが、それが今のボクの現実だった。
「はぁ、はぁ、う」
歩き始めてどれくらいたっただろうか。
ボクは今が何時何分何秒で、どこにいるかも分からずにただ呼吸しているような状態だった。
この先で待ち受けている運命はおそらく二つ。
飢え死にするか、小屋で出会った青年のようにデビレンの襲撃におびえながら助けを待つかのどちらかだ。
そういえば、ボクはあの青年に家族への伝言をたのまれていたが、名前も住所も聞いていないため、不可能だ。
だが、それはそれでよかったかもしれない。
たとえ悲しい知らせでも真実を知りたいという人もいるだろうが、ボクが遺された家族だったら、そんな知らせは聞きたくない。
行方不明のままなら一パーセントでも生存の希望はあるが、死んだ知らせが届いてしまったらその希望はなくなってしまうからだ。
「知らぬが仏か。でも、ボクがあの青年の立場だったら、そんな事考える必要もないんだよね」
ボクには帰りを待ってくれる人間なんていなかった。
唯一の肉親だった父親とは疎遠で、友達も恋人もいない。
つまり、ここで死んだとしても、誰にも何の影響もないまま、存在が消えていくというわけだ。
そう考えると、急に情けなくなり、涙が止まらなくなった。
「ボクは、ボクは、ここで誰にも気づかれずに生涯を終えるのか。う、うう」
ボクは地面を何度もたたき、力一杯泣いた。
ここまで救いがない事があっていいのか。
いくらなんでもあんまりだ。
せめて、生まれた日本の地で死にたかった。
しかし、そんな思いを踏みにじるかのように、一発の銃弾がボクの頬をかすめた。
「う......あ!」
振り向くと、一体のデビレンが銃を構えていた。
もはや、この状況では悪あがきなどしても見苦しいだけだ。
それにここで助かったとしても、デビレンはこの世界に数えきれないほどいるのだ。
「これまでか。さぁ、ひと思いに、う!」
急にボクの脳裏にあの男の姿が浮かんだ。
ボクの人生を滅茶苦茶にした絶対に許せない男。
奴を探し出せないまま、ここで諦めて人生を終えてしまっていいのか。
死を覚悟したボクの心は大きく揺らぎ始めた。
「や、やっぱりだめだ。ボクはこんなところで終われないんだ」
ボクは拳を握りしめ、力一杯走り出した。
体力はとう限界を迎えているはずであり、本当に気力だけで動いている状態だ。
だが、デビレンも容赦なく発砲しながら、しつこく追いかけてくる。
何とか振り切ろうとするが、無情にもボクが行きついたのは崖だった。
「はぁ、はぁ。う、うわぁぁぁぁ!」
あの男が目の前にいると思え。
そう自分に言い聞かせながら、ボクはデビレンにタックルした。
そのまま押し倒し、激しい反撃を受けながらも何とか食らいついた。
そして、しばらくもみ合った後、落下寸前の地点まで移動てしまった。
「しま、あああああ!」
ボクはデビレンと共に崖下に落下した。
ボクの方が上になったおかげで致命傷が免れたが、決着はまだ着いていなかった。
デビレンは片手を損傷してボロボロになりながらも生存しており、銃を構えながらボクにせまってきた。
おそるべき生命力だったが、さすがにもう限界だったらしく、動きが少しずつ鈍くなった後、ようやく倒れた。
「やった......のかな。あ!」
デビレンの体はボロボロに崩れていき、その後には残骸と黒い玉が残った。
しかし、それから十秒と経たないうちに別のデビレンが二体現れた。
そう、この世界ではこれが当たり前なのだ。
「敵は待ってはくれないか。ん? あ、目がくらむ。だ、ダメだ」
この場で倒れればどうなるかは分かり切っている。
しかし、体はもう言う事を聞いてくれなかった。
「ここは......あの世......ではないみたいだな」
目を覚ましたボクは、テントが張ってある河原のような場所で寝ていた。
隣には帽子をかぶった細目のおじいさんが座っている。
どうやら、彼がボクをデビレンから助けてくれたようだ。
しかし、前回の宿屋のおばあさんとの一件で懲りていたボクは素直に礼を言う事が出来なかった。
「ボク、お金持ってないですよ。この格好見ればわかるでしょ?」
「ハハ、見返りなど期待しとらんよ。まぁ、これでも食いなされ」
おじいさんは、真っ黒で怪しい模様のキノコを差し出してきた。
普通なら、食べないところだが、さすがに空腹には勝てなかった。
「じゃあ、少しだけ、ん? うぐぐ、おえぇぇぇぇ!」
何とも口では表現できないような渋みがボクの口に走った。
それはもうまずいなんてものではなく、食べ物かどうか疑いたくなるような代物だった。
「み、水をください」
「ほれ」
「あ、あぶ、ぶーっ! あっつ! お、お湯じゃないですか!」
結局、このバカ騒ぎで傷口が開いて散々だった。
しかし、傷口以上に口の中に残ったキノコの渋みの方が気になってしょうがなかった。
多分、餓死する寸前でもあのキノコをまた食べたいとは思わないだろう。
「うう、はやくあの味を忘れたい。う、ええ!」
何と、ボクの横ではおじいさんがあのキノコをばくばく食べていた。
無理して食べている様子はないし、その表情はいたって普通だった。
「こ、この人、味覚あるのかな? それとも、ボクが変なのか」
「ばくばく、ぐう」
おじいさんは目の前に会ったキノコをすべてほおばりながら、木に立ててあった槍の手入れを始めた。
それが終わると、今度は槍を手に持ち、突きの練習をはじめた。
「ふっ、ほっ!」
「あの、その槍でさっきのデビレンたちを倒したんですか?」
「いや、さっきお前さんを襲った連中は素手で倒した」
「す、素手であいつらを」
見たところ、おじいさんの体には傷らしきものはないし、傍らにあるバケツにはデビレンたちを倒した後に出る黒い玉もたくさん入っている。
これはそうとうな手練れであるようだ。
その事に安心したボクは警戒心を少しずつ解いていき、おじいさんについていくことを決めた。