第一話「悪夢の幕開け」
ボクの名前はニシ。
メガネとそばかすが特徴のデブでのろまな四十二歳のブ男だ。
職を転々としながらある人物を探す生活を送っていたのだが、最近はまったく進展せずにイライラする毎日だ。
今日は面接に行った工場で若い面接官に罵倒された挙句、見事に不採用になった。
再就職に不利になるであろうブランクの期間は広がる一方だ。
激高してやけ酒を飲みながら歩いていたら、追い打ちをかけるように帰りの夜道で迷ってしまった。
その後、いくら歩いても、周りは来た時と違う景色ばかり。
足もかなりふらついてきたし、これは野宿するしかなさそうな感じだ。
「はぁ、ついてないなぁ。せめて、車でも通れば、ん? 待てよ」
そういえば、道路を歩いているはずなのに、さっきから車とまったくすれ違わない。
それ以前に標識らしきものもないし、下のコンクリート部分はやけにボコボコしている。
わけが分からず、不安が消えずに歩いていると、目の前に自動販売機を発見。
少しほっとしたのも束の間、そのラインナップに驚愕した。
右からナイフ、弾丸、メリケンサック、ガスマスク。
しかも価格はどれも万単位で、売り切れが半数をしめていた。
「ナイフ一本が五万って高すぎるよ。あ、いやいや、突っ込むのはそこじゃない。なんでこんなものが自販機で売られて、しかもこんなに売れてるんだ!」
困惑しながら立ち尽くしていると、ある事に気づいた。
自販機の所々には血が付着しており、横面には何かがひっかいたような痕もあった。
急にこわくなったボクは全速力で逃走した。
「これは夢だ。夢に決まっている」
祈りながら走っていると、ドンと何かにぶつかった。
「ん? これは、あ、ああああああ!」
ボクの目の前にいたのは、見たことのない黒くて目つきの悪い謎の化け物だった。
あんなに勢いよくぶつかっても目が覚めない辺り、これは夢ではないだろう。
もはや、言葉にできなかった。
ボクはおそらく、日本ではないどこか別の場所に迷い込んでしまったようだ。
「い、いつからだ。いつから、あ、あああああ!」
考えるヒマすらなく、化け物が襲い掛かってきた。
さっきぶつかったのを怒っているんだろうと必死に謝るボクだったが、聞き入れてくれる様子はない。
そもそも人間の言葉が通じているのかすら分からなかったが、このままでは殺されてしまう。
ボクは持っていたバッグを振り回しながら抵抗するが、化け物は左手をナイフに変えてさらに攻撃を激化させた。
「がるるるるる」
「う、うわぁぁぁ!」
ボクはナイフによる一撃で後ろへと吹き飛ばされた。
幸いにもバッグが盾になってくれたおかげで傷は負わずに済んだが、腰が抜けて立てなくなってしまった。
「う、うう、どうすれば、ん? ああ!」
振り向くと、そこには別の化け物が立っていた。
姿が似ている点から考えて、仲間がやってきたといったところか。
絶体絶命かと思われたが、何と化け物たちはボクそっちのけで戦い始めてしまった。
獲物をめぐる仲間割れかどうかは定かではなかったが、好都合なのは確かだ。
ボクは気づかれないようにそーっと移動し、何とか逃げのびた。
しかし、それから一分と経たないうちに別個体と思われる化け物がこちらへと近づいていた。
「は、あ。も、もう無理だよ。いい加減にしてよ」
無我夢中で動き続けたボクの体力は、限界に達していた。
そうでなくても、下手に進んだり戻ったりすれば化け物たちにまた遭遇してしまうので、近くの草むらに身を隠すことにした。
その後、こちらへ迫っていた化け物たちはボクに気づかずに行ってしまったが、ここはしばらく身を潜めていた方がよさそうだ。
とはいえ、寝るのはさすがに危険すぎるため、睡魔と空腹に耐える辛い戦いがはじまった。
正直、ここまで時間がたつのが遅く感じるのははじめてのように思う。
しかし、そんな必死の持久戦もむなしく、おなかの鳴った音が原因で化け物に発見され、再び追い回される羽目になった。
もはやダウンしてもおかしくない状態だったが、とにかく走り続け、ようやく見つけたボロ小屋に身を隠した。
「はぁ、はぁ。こ、ここなら、う!」
小屋の中はそれはもうひどいニオイが充満し、暗くて完全には目視できないが、虫のようなものも飛んでいる。
奥には汚れた食器も散乱しているし、誰かが生活しているのかもしれない。
ボクは拾い上げた食器を盾にしながら、さらに奥へと進んでみた。
「ここだけはやけに明るいけど、ん?」
部屋の隅を見ると、体中にケガをした青年がろうそくの横に寝ころんでいるのを発見した。
化け物ばかり見てきたボクにようやく希望の光が差し始めたようだ。
「はぁ、やっと人間に会えた。よかった」
「フフ、俺も同じ気持ちだよ。人間を見たのは本当に久しぶりだな」
「あの、キミはこの家の住人なの?」
「いや。はぁ、俺を助けに来てくれたというわけじゃなさそうだな。そりゃ、そうか」
青年はしばらく黙り込んだ後に体を起こし、話し始めた。
彼もあの化け物たちに追い回されて、ここにたどり着いたのだそうだ。
そこに至るまでの経緯もボクとほぼ同じ。
会社の同僚と居酒屋で酒を飲んだ後、夜道を歩いていたら、いつの間にか知らない場所に迷い込んだのだという。
同僚の人はあの化け物たちに殺され、彼自身もまともに歩けないほどの深手を負い、この小屋で一週間も助けを待っているのだそうだ。
「一週間もか。 ん? あ、キミ、スマホを持っているじゃないか。なぜ、それで助けを呼ばなかったのさ?」
「とっくにやってみたさ。だが、どこにも繋がらない上にマップすら表示されないよ。少なくとも、ここは日本でない事は確かだろうな」
「日本じゃないとしたら、外国? い、いや、ただ歩いていただけで日本から出れるわけがない。ここはどこなんだよ?」
頭の中を整理しようとしていると、あの化け物たちが横壁を壊して入ってきた。
ボクは青年を背負い、裏口から外へ出るが、とても走れる状態ではない。
あっという間に化け物たちに追いつかれてしまった。
「う、あ」
「おっさん、もういい。俺を置いて逃げてくれ」
「そ、そんな、でも......」
「でもじゃねぇ。二人とも殺されるよりマシだろうが」
「がるるるる」
化け物のうち一体が青年を踏みつけて動きを拘束すると、ナイフの柄についた口のようなもので吸い始めた。
そして、残るもう一体はボクの方へと迫ってきている。
「がるる」
「ボクは、ど、どうすれば......」
「とにかく走れ! 走って走って......そして、日本へ帰れたら、俺の家族に伝えてくれ。あい、あああああ!」
青年は化け物のナイフに吸収されてしまった。
ボクは崩壊しかけそうな精神を支えつつ、落ちていた石を夢中で拾い、化け物たちに投げつけた後、逃走した。
「う、ああああああ」
目の前で人が一人死んだ。
ボクの人生の中ではじめての経験だった。
そして、化け物たちに捕まれば、ボクにも同じ末路が待っているのだ。
「嫌だ、嫌だ。ボクにはやらなきゃいけないことがあるんだ! あの男を見つけるまでは!」
ボクは目の前に何があるかなど確認もせずに、ただ走り続けた。
だが、それが祟り、落ちていたバナナの皮を踏んでしまい、転倒した。
「だ、誰がこんなところに。あ、あ、こんなみじめな死に方、う、うう」
化け物たちが迫ってくる音が近づいてくるが、もうどうしようもない。
目が霞んでいき、ボクは意識を失っていった。
「う、うう。ここは?」
目を覚ましたボクはベッドの上に横たわっていた。
横にはおばあさんがニコニコしながら座っており、これまでの経緯を話してくれた。
倒れていたボクは、偶然通りかかった親切な人に助けられ、近くの村に運ばれたのだという。
すでにケガの手当てもされており、横には食事も用意されていた。
「あ、ありがとうございます」
「いいんじゃよ。うちは宿屋じゃ。あんたはお客さんなんじゃから、ゆっくりしていきなさい」
まさに、地獄に仏だった。
ボクは食事をいただきながら、おばあさんに何度もお礼を言った。
「う、うう。本当に感謝してもしきれないです」
「お礼はもう十分じゃよ。しばらく寝ときなさい」
おばあさんは、仕事があると言って退室した。
ボクは深呼吸しながら、やっと訪れた平穏を心から喜んだ。
この世界が何なのかという疑問は残っているが、今はゆっくり体を休めるのが先決だ。
まぁ、ケガの具合もそれほどではないみたいだし、これなら回復に何日もかからないはずだ。
「あのおばあさんには何かお礼をしないとね。ええっと、ん? あれ?」
ボクはここで、持っていたバッグがなくなっている事に気づいた。
その中には、二十万以上の現金が入っていて、失くしでもしたらシャレにならない。
必死にベッドの周りを探すも、見つかる事はなかった。
少なくとも、バナナの皮で転んだ時点では持っていたはず。
ボクは外で洗濯物を干しているおばあさんに聞いてみることにした。
「化け物にやられた傷痕がついている古いバッグです。見ていませんか?」
「ん? ああ、それなら前払いとしてもらっておいたよ」
「前払い? え? どういう事です?」
「何を驚いてんだい、お前は。善意で助けてやったとでも思ったのかい?」
「ま、まさか」
ここでボクはようやく状況を理解した。
助けておいて、金目の物をすべて巻き上げるのがこの店のやり方だったのだ。
どの道、お礼はしようとは思っていたけれど、さすがに全財産をとられては困る。
せめて、一万くらいでいいので、返してほしいと手をついてたのんだ。
「何とか、何とか。お願いします」
「あ?」
さっきまでニコニコしていたおばあさんは急にドスの利いた声でキレはじめた。
そして、宿屋の中に戻った後、屈強な男たちを数人連れて戻ってきた。
「さぁてと!」
「お、おばあさん、何する気ですか?」
「この生きるか死ぬかの世界でね、ただで何かしてもらおうなんて甘いんだよ。お前たち、やっておしまい」
おばあさんに命じられた男たちは一斉にボクに襲い掛かった。
無抵抗なケガ人相手だというのに容赦は全くない。
次々と激しい拳の雨が降り注いだ。
「フー。オーナー、こんなもんでどうでしょうね?」
「よかろう。お前たちはもう戻ってよいぞ」
「う、うう、お願いです。せ、千円でもいいから返して」
「きぇぇぇぇぇ! まだ言うか、この死にぞこないのブタ野郎が!」
おばあさんはボクの顔を足蹴にし、散々に踏みつけまくった後、宿屋に戻っていった。
結局、ボクはここに来たことでさらなるケガを負う事になったのだ。
何だか、いろいろショックで立ち上がる気力すらない。
なんて思っていると、おばあさんが戻ってきて、罵声と共に冷水をかけてきた。
とりあえず、ここを離れた方がよさそうだ。
その後、辺りを見渡しながら村の中を進み、店や民家を回った。
せめてケガの手当てだけでもしてもらいたいとたのむも、門前払いされるか、罵声を浴びせられるかのどちらかだった。
最終的にはすべての村人に拒絶されたため、村のはずれにある木にもたれかかり、ケガの手当てを始めた。
服を破って止血に当てていたが、疲れから途中で手が止まってしまい、しだいにうとうとしはじめてしまった。