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歌に恋して

作者: 文野麗

 大学三年の夏だった。東京駅八重洲口前の通路を、私は無気力に歩いていた。大きなバッグを抱えて、これから実家まで帰らなければならないのだった。高速バスに一時間半乗りっぱなしの道のりを考えただけで憂鬱になった。身動きがとれない状態で、ひどく退屈な時間を過ごさなければならない。当時は現在使っているTwitterのアカウントはなかったから、適当な暇つぶしの手段がなかった。


 東京駅は相変わらず人でごった返していた。無秩序に入り乱れ、各々が周りの人とぶつかりそうになっては間一髪で避けることを繰り返していた。人々は談笑を続けながらも警戒心を全開にして足を進めていた。

 彼らをかき分けて出口まで辿り着き、あのベトベトに指紋が付着したガラス戸を通って私は外へ出た。湿っぽい熱気が身体を包み込んだ。七月の東京は無料のサウナであった。

 下を向いて、自分の濃い影を眺めながら、陽炎の中へ突入した。


 すると突然辺りに音楽が満ちた。

 演奏が始まったのだ。八重洲口の2階にあるレストランでラテン系の音楽が生演奏されているらしかった。私は思わず立ち止まった。ときめきは全てを忘却させ、私の心を支配した。

曲調はすでに記憶から消えてしまっているが、あの胸のときめきははっきりと覚えている。管楽器の軽快で情熱的な音色が私の心を捉えたのだ。

 メインの歌声が、足を止めてから数秒後に聞こえてきた。今でも覚えている。だがここにはあえて歌詞を書くまい。歌手は男性であった。若々しいテノールで、観客を自分たちの音楽へと誘っていた。

 恋をしたのだ、歌声に。ずっとその場にいたかった。



 陶酔に浸っていられたらどんなによかっただろう。しかし時間になればバスは来てしまうのだった。一歩踏み出すごとに音楽も彼の声も遠ざかっていった。離れてしまえば二度と巡り会うことはないだろうと思うと泣きたいくらい名残惜しかった。消えてゆく虹のようにあっけない出会いだった。


 バスの中で、どうにかしてバンドの名前を知ることが出来ないかと、スマートフォンでいろいろな言葉を検索したけれど、結局わからなかった。


 八重洲中央口を通る度に期待してしまう。あの歌声と再開することを。

最後までお読みいただき感謝の念に堪えません。


カクヨムにも同内容で投稿しました。

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