第二章 皇帝候補2
一夜明けた昼頃、アレルは城に登城していた。
「あー、えっと、そんなに怒ると思わなかったんだ。だから、その…」
ここは執務室。
オーリンヴェルデの仕事場である。
しかし今、戦場さながらの張り詰めた空気に包まれている。かれこれ三十分も無言なアレルを目の前に、城の主であるオーリンヴェルデは目元に涙を浮かべながら耐えていた。
急いでいたのは事実。だが、いつもの調子で深く伝えることをしなかったのはちょっと驚かそうと考えたからで、まさか怒るとは思わなかったのだ。
「ううぅぅぅ、トウマ、私は一体どうしたらいい?」
なので、側に居る自らの右腕である宰相に助けを求めたのだが。
「日頃の行いを悔い改め、アレル殿に心から謝罪をし、生活態度を改善することが一番の近道かと愚考する次第であります」
笑顔であっさりと切り捨てられた。
「どうして他人行儀なんだ?!ねぇ、見捨てないでぇぇぇっ!」
彼女は冗談抜きでトウマに泣きついたのだった。
*
ライナルは吹き出しそうになるのを必死に堪えていた。
宣下の後、彼はアレルに一晩中ピザを食べるという奇行に付き合わされた。滅多に口にしない愚痴という愚痴をぶつけてくる彼は、普段では考えられないほど饒舌だった。
かなり怒っていたらしい。
アレルは今黙りを決め込んで一言も話さない。
皇帝の大雑把な伝達に腹が立ったのと、自分だけ蚊帳の外に置かれたことが癪に障った様だ。
(目を掛けている奴に手酷い仕打ちをされるとこうなるのか)
この遣り取りを最後まで見ていたいが、何時までもこうしてはいられない。
仕方なく、ライナルは女帝に助け舟を出すことにした。
*
「もう止めてやれ。そっちも懲りたなら、二度と連絡の不備が無いように頼む」
「全くです」
オーリンヴェルデは項垂れながら謝った。
「悪かった。何の説明も無く呼び出したのは反省している」
アレルは彼女を一瞥し、多少大人げなかったかと思い直す。
「……俺も少し周りが見えていなかった。トウマ殿、申し訳なかった」
いきなり謝られたトウマは目を見張った後、頭を横に振った。
「いいえ、こちらの不手際の所為ですので、気になさらず。陛下と違ってアレル殿はちゃんとしている方で嬉しい限りです、安心しました」
感心した様に言うトウマに、アレルは顔を引きつらせながらオーリンヴェルデを見た。
(一体どんな生活をしてるんだこいつは)
「オーリン、お前な……」
一度、膝を突き合わせて話をする必要がありそうだ。
その時、クスクスとした笑い声が聞こえた。
「アレルはかなり丸くなったんだね。昔の君なら、既に陛下を城の外へ殴り飛ばして城壁に大穴を空けていただろうに。あー、お腹が痛い」
アレルは不自然に固まった。
油の切れた機械の如く首を回すと、見知った人物が立っていた。
この二日で昔なじみとまた遭うとは、作為的なものを感じずにはいられない。
「お前までいるのか、フェルス」
「ライナルだけだと思ってたでしょ」
アレルにフェルスと呼ばれた青年は、ライナルと同じく昔に知り合った友人だ。
シンプルな服装なのはライナルと同じだが、それは赤色の外套によって隠されている。頭の後ろで一つに結んでいる絹の様に柔らかい薄金の髪の毛と中性的な顔立ちでの所為で、よく女性と間違われていたのを覚えている。
昔より髪が長くなったぐらいでライナルと同じく彼もあまり変わっていなかった。
「君と陛下の関係性がとても面白いのは理解出来たよ。今度詳しく教えてね」
「聞きたいなら普通に教える。ライナル抜きで」
「何故仲間外れにする?」
この顔触れで会うのも久しぶりだ。
「ゆっくり話をしたいところだけど、本題に入らないとね」
「結局俺は何で呼ばれたんだ?」
ライナルだけでなく彼まで居るこの状況は、偶然にしては出来過ぎている。
ということは、必然ということになる。
「陛下から大体の事は聞いてるよ。よくも理由を知らずにのこのこやって来たね」
「本人に聞いた方が早いと思ったんだ」
「性格も相変わらずかぁ、そろそろ禿げるよ?」
「禿げない。でも、胃に穴は空くと思う」
「うわー、ご愁傷様」
「うるさい」
本当に変わっていなくて心配になる。
「あのね、簡単な話で『依頼』したいことがあったんだ。特に君は適任でね」
「『俺』が、適任?」
わざわざ自分を指名してくる辺り、十中八九良くない事に違いない。
アレルは無意識に身構えた。
そんな彼に、笑みを浮かべたフェルスは歌う様に『依頼』について告げた。
「アレル、君には《選定者》として次代の皇帝を見極めてほしいんだ」
アレルは悟った。
本当に胃に穴が空く日は近い、と。