[1]進化論
[1]進化論
チャールズ・ダーウィン(C.Darwin)が、1859年の「種の起源」につぐ第二の著作「人間の進化」を発表した1871年頃から、進化についての探究が本格的になされるようになりました。
現在考えられている進化論を簡記してみますと、宇宙は約150~200億年前、ビッグ・バン(Big Bang)と呼ばれる巨大な爆発とともに始まり、その時、全宇宙の物質や放射物が極めて密度の高い火の玉として一ヵ所に集まりました。
数十億度にも達した最初の数秒間に水素が、30分以内にヘリウムがつくられ、次第に他の元素もつくられていきました。
銀河系は約100~150億年前に誕生し、太陽系ができたのは47億年前といわれています。
進化には、生物進化と生命誕生に先立つ化学進化とに分けられています。
すなわち、化学進化とは、1861年にダーウィンが友人へ宛てた手紙で「もし、アンモニア類とリン酸塩を含んだ温かい小さな池があり、光と熱と電気などが存在したとすると、蛋白質化合物が化学的に合成され、もっと複雑な変化を受けうるでしょう」と述べているように、原始地球での生命の自然発生過程をいうのです。
現在、実験室で原始地球の模型を作成し、太陽光線の代りにアルゴン光源を用いて、ジヌクレオチドまで自然発生的に合成されています。
そして地球上の生命の誕生は約35億年前で、人類の出現は300万年前と考えられています。
生命誕生以後の生物進化については、歴史的に有名なものに、ラマルク(Lamarck) の用・不用説(1809年) とダーウィンの自然淘汰説(1859年) があります。
ラマルクの用・不用説とは、生物の器官は常に用いていれば発達するが、長く用いないでいると退化するというもので、例えば、キリンの首は高い木の葉を食べようと首を伸ばす努力を何代も重ねた結果、長くなったというのです。
しかし、生物が環境の変化に応じて後天的に獲得した形質、すなわち獲得形質は遺伝しないことが明らかになり、この説は否定されてしまいました。
一方、ダーウィンの自然淘汰説は、自然界における生物の生存競争で生活力が強く、より環境に適したものが生存競争に打ち勝って生き残り、子孫を残すというように、自然により、生物が選択されるという考えです。
キリンを例にとると、キリンは個体差で首の長いものも短いものもさまざまいたが、自然界では高い木の葉を食べられる首の長いキリンの方が有利なので、生存競争に打ち勝って長い首のキリンが自然選択されて今日のキリンになったというのです。
この自然淘汰説は、彼の母国のイギリスの産業革命発展期の自由競争という社会的風潮にのって民衆の間に広く受け入れられたのです。
現在では、ネオダーウィニズムが進化論の主流をなしています。
ネオダーウィニズムとは、文字通り新ダーウィン主義ということですが、ダーウィンが唱えた個体差の遺伝は突然変異によって起った場合にのみ子孫に伝えられるため、この突然変異と自然淘汰が進化の原動力であるという説です。
すなわち、古い時代のキリンにさまざまな突然変異が生じ、首の長さに色々なものが生じたが、その中で長い首をもったものが生存競争に有利なので、自然淘汰されて今日のキリンが生まれたというのです。
人類の誕生については、約300万年前といわれていますが、現在でも化石の発掘作業が進められており、続々と新しい説が出されています。
人類の祖先についての論争が起きたのは、ダーウィンが「人間の進化」を発表した年より15年前に、ドイツのネアンデルタール峡谷で古い頭蓋骨が発掘されたのに始まります。
そして、1894年、ジャワでピテカントロプス・エレクトス(直立猿人) が、1929年に中国の北京南方の周口店において、シナントロプス・ペキネンシス(北京原人) が発見され、この両者はいずれも人類の直接の祖先であると認められるようになりました。
この後、南アフリカ、東アフリカからも続々と原始人類の化石が発掘され、人類は東アフリカから中近東を経てパキスタンのシワリック丘陵にいたる帯状の地域のどこかで誕生したと考えられるようになりました。
ごく最近、再び人類誕生の地としてアジアが見直されつつありますが、諸説入り乱れているというのが実情です。
そして、猿から人間へと進化したのは、猿が森の生活から草原に降りて来て二本足で歩いたこと、それにより前肢、すなわち手が道具を使えるようになったことが契機となり、次第に脳が発達してきて人間が生まれたというのです。
現在、宇宙の生成、生命の誕生およびその進化について、物理学、化学、生物学、天文学、地質学などあらゆる方面から研究がなされています。今後研究が進めば、宇宙や生命誕生の謎がさらに解明されていくことでしょう。