(3)人間の堕落と原罪
①キリスト教教義の見解 まとめ
『旧約聖書』の創世記第3章には、人間の始祖であるアダム(男)とエバ(=イヴ、女)の失楽園の物語が、次のように書かれています。
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アダムとエバは、エデンの園で、神から取って食べてはならないと言われた「善悪を知る木の実」を、ヘビの誘惑によって食べてしまいました。
神の戒めを破るという罪を犯してアダムとエバは堕落し、神によってエデンの園(地上天国)から追放されてしまったのです。
天使を象徴するヘビは堕落して悪魔となり、堕落したアダムとエバの子孫 (すなわち全人類)は、神の戒めを破ったという罪すなわち原罪を、生まれながらにして負っているのです。
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キリスト教教義では、人間始祖の堕落以後、原罪を負った人類が繁殖し、地上界を支配することにより、神の地上天国実現の道は閉ざされ、堕落した現実世界を築いたとしているのです。
そして、堕落人間が死後に行く霊界には、天国と地獄という二極の場所と、その中間に、煉獄、リンボーと呼ばれる場所が造られたとしています。
地獄は、悪魔(堕落天使・サタン)が支配しています。
原罪を負った堕落人間が、キリストの救済を受けずに死んで霊界に行くと、天国に入ることは出来ず、各人の人生の生き様によって選別され、地獄、煉獄、リンボーのいずれかに行くのです。
②『神との対話』の見解
1)失楽園の物語は「最初の祝福」
『神との対話』では、エデンの園の失楽園の神話は、人間始祖の堕落ではなく、神の「最初の祝福」を意味しているといっています。
「本章[2](2)宇宙の創造目的」にも書きましたように、自らの神性を体験したいと考えた神は、相対性の理論をもって、物質的世界と霊的世界からなる、宇宙を創造しました。
その宇宙の中に、神は神自身の性質と能力を分与した魂を、創造されました。魂は神の分身(分霊)といえます。人間は、魂-精神-身体という3層からなっています。
神の分身である魂が、物質的世界の人間に宿ることにより、いろいろな体験をします。
魂自身が神性を体験的に知ることによって、神自身も自ら(神性)を体験的に知ることができるのです。
魂が宿った人間は、現実世界(地上界)の人生の中で様々な出来事に遭遇しながら、無数にある神性を体験します。アダムとエバで象徴される最初の人間は、相対的な世界すなわち現実世界で、ゼロから神性の体験を始めたのです。
旧約聖書の失楽園の神話にある「善悪を知る木の実を食べた」という出来事は、人間始祖の堕落ではなく、相対的世界で人間が、善なることと悪なることを自らの自由意志で選択し経験し始めたという、「祝福すべき船出」を意味しているのです。
従ってその行為は、神性を体験するという神の創造目的にかなったことであり、決して創造目的から逸脱したという堕落を意味してはいないのです。
2)人間に「堕落」や「原罪」は無い
人間始祖の堕落はありませんから、キリスト教教義で説かれる、「原罪」や「悪魔」、「地獄」は存在しません。霊界には天国(神の国)のみがあるのです。
人生で神性を体験して成長した人間の魂は、死後に霊界へ行きます。
霊界では、思いや考えが、即、現実となりますから、魂の成長レベルに合わせた現実が展開されます。
成長の低いレベルの魂は、自ら低いレベルの現実を創り出します。その最悪のレベルの経験が、「地獄」と表現される経験なのです。
すなわち地獄は、霊界の場所として存在するものではなく、低位の魂が自分自身で創り出し、経験するものだといっているのです。




