(3)キリストによる救済
旧約聖書には、人間始祖のアダムとエバ(=イブ)の堕落以後、その子孫が増えてユダヤ民族となり、堕落によって追放されたエデンの園(現在のイスラエル辺り)に、再び帰っていく歴史が書かれています。
ユダヤ民族は、神の国(地上天国)を建設するために、神に選ばれた選民であるとしています。
そして、堕落人間を救済するために、神からイエスキリストが、救世主としてユダヤ民族に遣わされました。
しかし救世主を待ち望みながらも多くのユダヤ人たちは、イエスを救世主と認めず、十字架につけて殺害してしまったのです。
ユダヤ教では、イエスキリストを救世主とは認めず、一人のラビ(ユダヤ教の教師)と見なしています。
ユダヤ教の教典は、『タナハ』(キリスト教の『旧約聖書』と同じ書物)で、その内の『モーセ五書』はトーラーと呼ばれ、教典の重要部分になっています。
これに対して、イエスキリストの説いた教えは『新約聖書』となり、キリスト教の教典になっています。
旧約、新約ということばは、キリスト教的な表現なのです。地上天国へユダヤ民族を導くと、神と交わされた契約を「旧約」とし、イエスキリストを信じる者を神は救済するという契約を、「新約」といっているのです。
キリスト教では、生まれながらに原罪を持っている人間を救済するために、神から、イエスキリストが遣わされたとしています。
イエスキリストは、人類すべての罪を自らが背負って十字架上で亡くなり、3日目に復活しました。
そのイエスキリストを信じることによって、人間の原罪は贖われ、神に許されるというのが、キリスト教の救済論なのです。
イエスキリストによる贖罪(罪のあがない)を受けなければ、何びとも天国に入ることはできないのです。
人間は死ねば霊界に行き、その人間の生き方の良否によって、それぞれ、天国・地獄・煉獄・リンボーに行き、永遠にその領域にとどまらなければならないのです。
したがって、「キリスト教における人生の目的」は、洗礼を受けることによって死んだ後、霊界の天国に入ることにあります。
そのために、聖書を読んだり、教会の礼拝に参加することにより、イエスキリストの教えを信じて実践し、洗礼を受ける必要があるのです。




