[2]生命とは何か
[2]生命とは何か
(1) 生命の語義
生命について考察するときはっきりしておかなければならないことは、“生命” そのものの語義です。日常生活ではこれがさまざまな意味に用いられているからです。
その意味が混同されたり拡大解釈されてしまっては生命を定義づけることは不可能です。そこでまず生命という言葉のもつ意味から検討してみます。
まず第一に生物学、生理学が対象とすべき“生命” があります。これは本論で取り組むものなので、ここでは言及しないでおきましょう。
次に、“最も大切なもの” という意味もあります。「これは私の生命です」というのがその例です。
広辞苑にはこれら二つの意味しか記載されていませんが、もう一つ文学的芸術的な意味でも生命という言葉が使われます。水の生命云々というのがそれです。
この生命は、“精” とか“生き生きしていること” を意味するのでしょう。芸術家にいわせれば、水も生きており、森羅万象が生きていると感じられるようですが、本論での生命はこれを含みません。なぜなら本論で論ずる生命は、現代科学が実証している範疇のものに今は限定したいからです。
(2) 本質と現象
生命そのものを定義することはなかなか困難なことで、現代医学でもいまだ明確なる定義は
つけえていません。
全ての分野についていえることですが、物の本質を論ずることが難かしい場合、表われた個々の現象を捉え、それから本質へ迫るという帰納的な方法が取られます。
たとえばリンゴを例に上げれば、リンゴの本質とはリンゴそのものですが、それを説明するのに、赤い色をした、甘い味のする、サクサクとした触感の果物というような、リンゴの表われた性質を上げて、リンゴの本質に迫ろうとするのです。
生命の表われた現象とは、まさしく生命現象です。この生命現象を捉えることにより生命とは何かを考察するのです。
生命とはその言葉自身抽象的な概念です。より具体的な言葉としては、生物あるいは生命体という言葉が使われます。
従ってここでは、生物、生命体、生体を同義語的に使用し、その諸々の現象から抽象される一般的概念を生命ということとします。
(3) 生命現象
現代生理学で解かれている基本的生命現象には、被刺激性、適応、物質代謝、形態変化が上げられます。
被刺激性とは、外界の刺激に対して生体が反応する性質です。この被刺激性の結果として適応があります。
すなわち、適応とは生体が外界の変化に対応してそれに適合するように変化することをいい
ます。
例えば、人体についていうならば、高山のような酸素濃度の低い地に住む人は、体内の赤血球数が増加してそれを補ないます。あるいは、低温環境下においてはふるえをもって熱を産生し、体温を一定に保とうとします。
ところで無生物でも外界からの作用に対する反応はあります。例えば質量m の物体にF の力を加えればその物体は加速度a=F/m で運動します。これも外力F に対する物体の反応と考えられます。
しかしそれは単なる物理的な反応であって、その個体の刺激に対する主体的な反応ではありません。
このように、生体は外界からの刺激を受け入れ、それに対して主体的に反応する性質をもっています。
物質代謝とは、生体内の諸物質が分解、合成などによって変化する生活現象をいい、生体の構成物質を合成する同化作用と、分解する異化作用とがあります。
生体は、この物質代謝によりエネルギーを貯えたり放出したりして生命を維持しています。
形態変化とは、生体が常にその形態を変えることをいいます。すなわち、成長・分裂増殖、退行、死滅などの生体の時間的変化をいうのです。
(4) 生命体
前述したような生命現象の中にみられる、生命体の一般的特性について考えてみます。
①主体性
主体性とは、他者とのやり取りを自主性をもって行う性質をいいます。
主体性をもつためには、まず生命体が独立的に存在するものでなければなりません。従って外界からはっきり区別される個体でなくてはなりません。
そのために外界とその個体を区別する境界が必要です。細胞なら細胞膜、人体なら皮膚が外界とその個体とを区別しています。
そして生命体は、物質により構成されています。例えば植物細胞は、細胞膜に囲まれ、細胞質、核、ゴルジ体、ミトコンドリアなどから構成され、各々が有機的に統合されて機能しています。
このように主体性をもった存在である生命体は、まわりの環境と絶えずやり取りをしています。
無生物においてもこのやり取りはあります。例えば全ての物体は、万有引力の法則にもとづいて相互に力を及ぼし合っています。しかしそれは単なる物理的な法則にのっとったやり取りであって、主体性とはいえません。
これに対し生命体は、環境に対し主体性をもってやり取りします。すなわち、外界からの入力を自己の内で消化し、それに主体的に反応するというもっと高次のものなのです。
また、生命体は、個性体であって、個々に独特な個性をもっています。原子、分子にはそれが同種のものである限り個別性がないということが一つの原理であり、その原理の上に物理学は成り立っています。
しかし生命体の場合では、たとえ同種であったとしても、それぞれ主体性をもつ限り全く同じものはありえません。
②成長性
成長性とは、時間的経過に伴って絶えず生命体が成熟に向って変化することをいいます。また、その延長を老化とみなせば、老化も成長性の一面といっていいでしょう。
生命体は、その誕生以後、絶えず細胞分裂を繰り返し、発育し成熟し、老化して行くのです。
③繁殖性
繁殖性とは、自己と同種の別の個体を産み出すことをいいます。
無生物では自己から他のものへと変化することはあっても、新しい別の個体を産み出すことはありません。繁殖性は、生命体の最も重要な特徴です。
成長性をもつものは必ず繁殖性をもっています。なぜなら、成長性のみで、繁殖性をもたないものに、永続性はありえないからです。
(5) 遺伝
以上述べてきた生命体の特性である主体性、成長性、繁殖性の根底にある基本的なしくみとして、現代分子生物学はデオキシリボ核酸(DNA) を中心とする遺伝機構を上げています。
すなわち、遺伝の担い手は、細胞の核内にある染色体上の遺伝子で、その実体は、デオキシリボ核酸(DNA) 分子です。
それはアデニン(A) 、チミン(T) 、グアニン(G) 、シトシン(C) の四種の塩基が、リン酸とデオキシリボースに結合し、いわばその化学的な四文字の配列により記された文章のようにして、遺伝情報が内蔵されています。
単に文字をでたらめにならべただけでは文章とはならないように、この塩基も一定の配列になっており、それによってそれぞれの情報を正しく伝達しているのです。
このDNA のもつ遺伝情報は、リボ核酸(メッセンジャーRNA)分子の塩基配列にいったん写され、この塩基配列に従ってアミノ酸配列が決まりタンパク質が合成され、生体が造られたり、生体の反応の調節機構の基本として作用したりしているのです。
一方、親から子へとその形質が遺伝するしくみも、このDNA 分子にあります。すなわち親のDNA が全く同じものに複製され、子に受けつがれることにより親の遺伝情報が子へと伝わるのです。
このようにDNA→RNA→タンパク質という横的な流れと、親のDNA→子のDNA という縦的な流れにより、生命体は存続しているのです。
現代では、遺伝子の塩基配列が、日進月歩の勢いで解読されています。既存の生物の遺伝子の塩基配列を手本にして、このDNA の人工的合成が成されるまでになっています。
ここで、DNA イコール生命体かどうかを、もう少し掘り下げて検討してみます。
遺伝の担い手であるDNA は染色体にあり、この染色体は細胞の核内に存在します。核は分裂する細胞には必ず存在し、細胞を二分すると核のない方は死滅してしまいます。核内には核小体という小器官があり、RNA を合成しています。
このように細胞内ではDNA の遺伝情報をもとに、リボゾームで蛋白合成が行われ細胞の代謝をコントロールしているのです。従って生命体ならばDNA and/or RNAをもつといってもいいのです。
しかしその逆は必ずしも真実ではありません。すなわち生命体とは、DNA 、RNA のレベルでいうならば、前述したように、DNA→DNA の縦的な流れと、DNA→RNA→タンパク質の横的な流れを基本とした、細胞、組織、器官の有機的統合体をいうのであって、これらがばらばらに存在しても単なる化学物質というだけで、全く生命体とは別のものなのです。
以上をまとめてみますと、生命体は、Macroscopic(肉眼的) には、主体性、成長性、繁殖性の特性をもち、Microscopic(顕微鏡的) には、DNA→DNA の縦的な流れと、DNA→RNA→タンパク質合成の横的な流れを基本とした、細胞、組織、器官の有機的統合体であると要約できるでしょう。
具体的に無生物と生物の境界線をどこに引くかを考えてみますと、現在ではウィルスが最も原始的な生命体と考えられています。
ウィルスは、語源的には病毒という意味で、19世紀に入りパストゥール(L.Pasteur) やコッホ(R.Koch)一門によって多くの伝染病の病原体(細菌) が確立されたが、どうしてもはっきりしない未確定の伝染病の病原体に対して総称されていたものです。
ウィルスの特徴は、大きさが10~400mμと小さく、特定の生物の細胞内に寄生して初めて増殖し、自力では増殖できないことです。
その構造は、タンパクの外殻にDNA またはRNA の核酸が包まれたかたちとなっています。
現在総括的に、ウィルスとは、DNA またはRNA のいずれか一方をもつ感染性核タンパクで、その核酸の遺伝的情報によって宿主内で増殖し、自身のみでは分裂も増殖もしないものと定義されています。
このように見てみると、ウィルスは本論で述べた生命体の特性である主体性、成長性、繁殖性を低次元にしろもっており、ウィルスが最も原始的な生命体といわれるのは妥当なことといえるのです。
生命体には、ウィルスのような原始的なものから、人間のような高次のものまでさまざまなものが存在します。
人間を例にとって生命体の構造を考えてみますと、まず人体の基本的な構成単位は細胞です。まわりにある体液にひたった細胞が集団となり相互に作用して、一定の形態をとり、一定の機能を営むように分化し、組織を形成します。
組織は現在、上皮組織、結合組織、筋組織、神経組織の四つに分類されています。これらの数種の組織が、一定の配列をもって組み合わされることにより、心臓、肝臓などの器官を形成しているのです。
これらは、機能の面から、神経系、消化器系、呼吸器系、循環器系、泌尿生殖器系、内分泌系、運動器系というように系統的に分類されています。
これらの細胞、組織、器官は、いずれも有機的な相互関連性をもち、統合的に活動し、人体を構成しているのです。