表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人生の意味論  作者: いのうげんてん
5章 人 生
15/27

[1]人間の存在目的

 生命体の存在目的とは一体何でしょうか。


 例えば、花なら花が、何のために存在しているのでしょうか。


 この疑問は、連綿たる歴史のなかに、人間を悩まし続けた難題です。そして、それ自体、哲学的、宗教的内容のものですから、各人の思想によって種々の解答が出て来るでしょうし、なかにはそんなものは無いという意見もありましょう。


 従って、ここでは、「目的」という言葉を、存在目的すなわち何のために存在するのかという意味合いではなく、いかに存在すべきかという意味合いで考察してみたいと思います。


 なぜなら、あるものの存在目的というのは、存在者の次元では明確な解答はありえず、その存在をあらしめた超越者(創造者)のみが答えうるものだからです。


 花を例に上げてみましょう。


 花は何のために存在するのかと問うた場合、それは哲学的、宗教的な内容になってしまい、人間のためにあるのだとか、蜂のためだとか人によって種々の答えが出されるでしょう。


 ところが花の一生は、発芽し成長して花を咲かせ実を結ぶことによって、花として完成することであるとすれば、これが花のあるべき一生であるといえましょう。


 この「あるべき一生」をここでは問題にしようと思うのです。そうすれば、ある程度までは、客観性と画一性が維持されるからです。(宗教的な考察は、「6章 神学的人生の意味論」で行います。)


 それでは、人間の生きるべき一生とは一体いかなるものでしょうか。


 それは、人間という一生命体を完成することです。


 生命体の完成とは、いいかえれば生命体の特性たる主体性、成長性、繁殖性の完成といえるのです。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ