[2]人間の主体性
[2]人間の主体性
『1章生 命[2]生命とは何か』 で、生命体の特性として主体性、成長性、繁殖性を上げましたが、最も高等なる人間も一生命体である以上、これらの特性をもつことは当然です。
すなわち、外界と絶えず相互作用をもつ主体性、時間性とともに刻々と変化する成長性および子孫を産み増す繁殖性を備えているのです。
しかしながら、人間はこのような生命体全般についていえるような特性だけでなく、人間特有ともいえる内容の主体性、成長性、繁殖性をもっているので、それについてここでは述べてみます。
人間には、顔形という外形的な個性だけでなく、性格という精神的な個性もあり、万物の霊長といわれるように、その精巧さも群を抜いています。
個性があれば必ず主体性があり、従って、他者との相互関係、すなわち、人間関係とか、自然との関係をもっています。
人間関係のうち最も小さく基本的な単位は家庭です。そこには、親子、夫婦、兄弟姉妹という人間関係があります。
そして、それが拡大されて社会、国家、世界というように、次第にその版図が広がって行くのです。
社会的な人間関係とは、隣人関係、会社の上司と下司の関係、学校の教師と生徒の関係など、さまざまな人間関係があります。
このような、上下、前後、左右の人間関係が交錯して成り立っているのが、この人間社会です。
また、人間は自然と深い係わりをもっており、自然なくして人間の存在はありえません。
人間関係のような相対関係には、必ず主体と対象という位置関係があり、主体的位置には、家庭では親、夫婦では夫、学校では教師、会社では上司があたり、対象的位置には各々子供、妻、生徒、下司があたります。
もし、両者ともに、主体的位置または対象的位置に立った時は、正しい相互作用は行われず、かえって反発、衝突、混乱が起ってしまいます。
また、主体と対象が本来の位置と逆転した時は、全く方向性の狂った結果が生まれてしまいます。
人間が万物の霊長といわれるのは、万物に対する統治性があるからです。統治するには、その主体が対象以上の能力をもち、対象をよく知らなければ不可能です。
人間がより下等な万物の要素を集約的に内包していると前述したことは、ここで非常に重要になってきます。なぜなら、その要素を集約的に内包しているからこそ、万物と相対し統治できるからです。このことを「人間は小宇宙(Mikro Kosmos)である」といったのです。
また、万物に対する統治性には、物質的統治性と心情的統治性の二面性があります。それは、人間の心と体の二面性に由来するものです。
物質的統治とは、科学技術の開発を中心とした自然界に対する物質的な統治であり、心情的統治とは、学問的、芸術的な統治で、例えば、自然の美に対する統治がそれです。
犬が、きれいな花壇の中を走り回って荒らしてしまうのは、花の美を統治する能力をもたないからです。人間の心情は、星空を見て詩を詠じ、山河を眺めて絵を画する能力をもつのです。