第6話 なんなんだこのこのいきものは
ボディビルダーたちは、巨大な筋肉群を維持するために、一日に六回も七回も食事を取ると聞いたことがある。
彼らが口にするのは、粉末プロテインに加えて、鶏の胸肉、マグロ、低脂肪乳など、アミノ酸スコアの高い良質なタンパク質ばかり。脂質は厳禁。炭水化物は玄米、果物、オートミール等で摂取する。効率的にタンパク質を取るため一食にゆでたまご十個(白身のみ)を口にするなんてざらだという。その摂取カロリーは、一般成人男性の倍以上になるんだとか――
やれやれ。自分の名前も思い出せないのに、どうでもいいことばかり覚えているものだ。
俺が昨夜食った分はどれくらいだろうか?
1万キロカロリーは楽に超えていると思う。
あるいはその二倍か。
タンパク質の消化・吸収には胃腸だけでなく、肝臓も使っているはずだが、肝臓を痛めてしまいそうな量だ。
「タカ、昨日より大きくなっている気がするぞ……?」
ピートがしげしげと俺のことを眺める。
「□□□大きくなってるね」
と、暗殺者のように、音もなくスーアインが現れる。
「糞ガキは、昨日まであんたの口元あたりの□□□□□□。それが目元あたりになってる。□も太くなってるようだね」
鋭い観察眼で、俺のことをいぶかしんでいるようだった。
「いや、俺は昔からこれくらいだぞ?」
まるで以前は小さかったような言い方をするのは失礼じゃないか。
たしかに、ローブの裾が縮んだような気がするんだが、むろんのこと気のせいである。気のせいであってほしい。俺は最初から背が高かった。
「タカ、しゃべれたのかい!?」
ピートはまったく関係ないところに驚く。
「しゃべれなかったんだけどね。二人の会話から覚えたんだ」
ピートにこっちの世界の言語――連邦共通語だっけ?――で説明してやる。
「こんなに短い時間で言葉を覚える? そんなの無理に決まってるさね」
相変わらず、疑り深いスーアインちゃんである。
俺のことを殺しそうな目つきで睨んでいる。
でも、それが出来たんだから仕方ない。
むろん、俺は言語習得の天才でも、超絶的な学習速度を持っているわけでもないのだが……ふたつの武器があった。
ひとつはリッシュによる同時通訳である。
もうひとつは、こっちの世界に来てから異様に鋭くなった耳だった。これにより、細かい発音やニュアンスまで余すところなく聞き取ることができるのだ。
言語の学習には、最適の状況と言って差し支えないだろう。
といっても、実際には、こんな流暢に会話してるわけじゃなくて、発音がたどたどしかったり、何度も聞き直したり、単語の意味を勝手に類推したりしているのだが、まあ意思疎通だけはしっかり出来ていると考えていただきたい。
「どういうことさね。まさか、昨夜のうちに□□□□□□□化け物に入れ替わったんじゃ?」
「いやいや、入れ替わったなんてことはないよ」
俺はスーアインを安心させてやる。
「だって、昨日の夕飯が旨かったことまでちゃんと覚えてるんだぜ、若奥さん」
「それはやめろって言ってるだろ、この馬鹿野郎!」
彼女も昨日の会話を思い出したらしく、後ろを向いてしまう。たぶん、赤面してるところを見られたくないんだろうな。
「でも、タカ、なんで一晩でそんなに大きくなってるんだ? □□□□□、腹の傷もすぐに治っていたな……。君はいったい何者なんだ?」
それはこっちが聞きたい。なにせ、記憶喪失様なんだぜ、この俺様は。
たとえば俺の身長は……ほら思い出せない。思い出せないなあ……
「あー、なんだっけ? アヴルナックの祝福だっけ? そいつの効果なんじゃないか。俺には詳しいことはわからない。知りたかったらリッシュに問い合わせてくれ」
水桶で顔を洗うため、俺は外に出る。
「リッシュ?」
「スーアインよりうるさい女が勝手に話しかけてくるんだ。気が休まる暇がないぜ」
といっても、今は話しかけてこないし、いつも話しかけてくるわけでもない。
電話が繋がりっぱなしで、向こうが好きなタイミングで声をかけてくるって感じかな。
まったく自分勝手な女だよ。
「タカ、きみはアヴルナックの使いかなにかなんじゃないか?」
「そういうものがこっちの世界にはあるのか?」
「こっちの世界?」
「だいぶ遠くから来たもんでね。こっちの常識はなにも知らないんだ。まともな問答を求められても困る。いずれにしても、神の使いなんて格好いいもんじゃないと思うよ」
「そうか……。まったく、こんな話は聞いたことがないな……」
ピートは色々思い悩んでいるようだった。
「お?」
俺は足下のそれに気づく。
「ミュー」
という鳴き声。
水場の脇に猫がいた。
と言っても、顔と身体が異様に丸っこくて、地球の猫とは姿が全然違う。でも猫のようには見えるんだ。
なんなんだこの生き物は。
「こっちの世界には、変なのがいるもんだな」
俺は猫(?)を抱き上げる。嫌がらずおとなしくしている。
「タカ、なんだその変な生き物は……?」
ピートが眉根を寄せた。
「………………」
どうやら――こっち基準でも変な生き物だったらしい。
世界には未知や神秘が溢れている。
鹿肉の残りをしこたま食い、袋一杯のトビ豆を担いで宿を出発する。
「ミュー」
と、外で待ってた謎猫がついてくる。
大きな丸顔。猫にしてはやけに毛が短い……高校球児のスポーツ刈りくらいだろうか?
「俺たちはこれから危ないところに行くんだ。町で待ってろ」
と、誠心誠意、説得するのだが、猫は港まで同行したあげく、移動用の小船にまで飛び乗ってきた。
「こら、下りろ」
ここにいて当然といった顔で俺を見上げる。
なんなんだこいつは?
種類も、行動も、今世紀最大のミステリーである。
抱き上げようとすると逃げるので、仕方なく出発した。
船をこいで進み、昨日とは違うポイントに上陸しようとするのだが……
「ミューミュー」
猫が首を振った。
なんだ下りたくないのか?
「ミャッ」
どうも違うらしい。いったいどういうことなんだ?
『その子の言うことを聞いてください』
今日最初の通信がリッシュから届いた。
「どういうことだ?」
『いいから私の言うことを聞きなさい』
有無を言わせぬ命令形だった。まあいい。
「おーい、なんかこいつ神の使いらしいぞ」
「どういうことさね?」
すでに下りていたスーアインが眉をつり上げる。
「さあね、でも今日からこいつが俺たちのボスだ。言うことを聞けってさ」
「だからどういうことなんだい!?」
「タカは□□□だね」
ピートは愉快そうに笑みを漏らす。
この俺なんかよりもよほど正体不明な猫は対岸を眺めていた。
「なんか川の向こうに行けってことらしいぞ」
「あっち? でも、まだ、そんなはずはないんだけど……」
スーアインは悩んでいるようだった。
「よし、じゃあ、対岸に行ってみようか」
「ちょっと! あんた勝手に決めるんじゃないよ!」
などとスーアインが常識的に騒いだものの、俺たちは船に乗り、対岸に向かった。
謎猫が「ここだ」と言ったところ(推測)で下船する。
昨日のように船を隠すと、猫は勝手に歩き出した。
振り返って「ついてこい」と促す。
なら、行ってやろうじゃないか。
「本当にこれでいいんだろうね……?」
スーアインはご立腹のようだった。
もしなんかの間違いだったら、鹿肉の次は猫肉が食卓に並ぶかもしれない。
「ミュー」
猫は声を上げると、軽く駆け出す。
「そっちにネズミどもがいるのか?」
慌てて追いかけると、すぐ広いところに出る。
こいつは……
「なにもないじゃないのさ!?」
スーアインがブチ切れる。
そこは木々の切れ目から太陽が注いでいる明るいところだった。
ちょっとした天然の花畑ができているな。
『それは薬草です』
リッシュが口にしたのは、ヒットポイントが回復しそうな名詞だった。
『スーアインに摘むように言いなさい』
「なんでスーアイン?」
『あなたやピートがやると失敗するでしょうから』
大変失礼な物言いであったが、誠に遺憾ながら慧眼である可能性が少なからず残されていた。
「スーアイン、その薬草を摘めってお達しだ」
「はあ!? 確かにこれは薬草だけど……□□□あんただれの話を聞いているんだい!?」
などと文句を言いながらも、スーアインはリッシュからの指示に従う。
こんな働き者の奥さんをもらう旦那さんは幸せものだろうな。変な男に引っかかりそうで心配だけど。
周囲には似たような薬草スポットがいくつかあり、そちらもすべて平らげる。
採集が終わると再出発。
猫を先頭に森の中を進む。
川から離れてどんどん奥に分け入っていくような感じだろうか。
猫は行き先を知っているようで、脇目も振らずまっすぐ進み……
「ミャー」
けっこう歩いたところで、またも走り出す。
「薬草だったら怒るよ」
すでに怒っているようなスーアインの低い声。
俺もそんな気がしていた。
命の危険を感じつつも、俺は猫を追って走り、その場に到達する。
「こいつは……」
絶句。
どうなってるんだ、これは。
俺はその光景を眺める。
言葉を覚えるのがあまりに早すぎますが、一部に主人公の脳神経系が大幅バージョンアップされているという背景があります。
神経パルスの伝達速度と外部入力に対する情報処理速度が向上。小脳、内耳の運動中枢、平衡覚も強化されているでしょう(思考力、記憶力、情動は大きな変化なし)。SF的な解釈ですがファンタジーです。
実際にはカタコトで話しており、読みやすくするため平易な日本語で表記されているとお考えください。