第5話 ちょっとだけパンプアップ
命中と同時に鳴き声が上がった。
不満げに舌打ちするスーアイン。
見事に撃ち抜いたのに舌打ちする必要は無いだろう。もっとも理由はよくわかるけどね。
「□□□」
ピートが何事かつぶやく。
多分、それの名称を呼んだのだろう。
俺もそうすることにする。
こいつは……
「鹿かな?」
ラットマンではない。
森の動物であった。
ウサギなんかよりは大きいが……単なる動物である。
だが、地球の鹿と違って、奇妙な点がある。
「角が一本だけ?」
鹿の特徴とも言える角が額のあたりから空に向かって生えているのだ。枝のように節くれ立った立派なものですね。
『ユニコーンの雄ですね』
「ユニコーン? ユニコーンって馬じゃないのか?」
『馬のユニコーンもいますが、それは鹿の一角獣ですね』
「あ、色々いるんだ……」
矢を食らった鹿(あるいは一角獣)は横にばったりと倒れていた。
スーアインの一撃が見事に急所を貫いたらしい。
それでも地面でジタバタともがいているのが見える。
死にかけているが、まだ完全に死んでいない。そんな状態だ。
とどめを刺したのは、やはりスーアイン。
おもむろに近づくと、短剣で首筋のあたりをばっさりやる。
傷口からびゅくっと血が飛んだ。
ひとつの生命が終わったことが手に取るようにわかる。
わざわざ手にかけることもないと思うが、苦しませるよりはとどめを刺したほうがいいだろうか。
「□□□□□、馬鹿野郎! 間抜けな□□□□□□□。さっさと□□□□□□□□□、□□□□□□□□□」
スーアインは俺に非難の言葉を浴びせる。
前半はいつもの単なる罵倒だろうが、後半は……
「なんだって?」
『もう町に帰るそうです』
「帰るのか!?」
もう少しネズミどもを捜す時間がありそうに感じるが。
『夜はラットマンの天下ですから。最初から早く帰るつもりだったんでしょう』
「そうか……」
ここで今日の捜索は打ち切りとなったが、帰り道、俺は責任を取らされた。
鹿を持って返るようスーアインに命じられたのだ。
どうやら、本日の獲物は、ネズミから鹿に変わったらしい。
猟果を枝と葉っぱで作った雑なソリで引っ張る。ピートも手伝ってくれるのだが――
重い。何十キロあるんだこの鹿は。
ボートまで休み休み運ぶだけで一苦労である。
早めにネズミの捜索を切り上げた理由がわかったぜ。
日が暮れる前に、アスピケスの町に戻ってくることができた。
鹿付きの俺たちを見て、住民たちが声をかけてくる。目立ったらよくないかもしれないので、俺は一応フードをかぶって顔を隠しておく。色々尋ねられたりすると面倒だからな。
川のすぐ横でスーアインが鹿の解体を行った。
「地母神□□□□感謝□□□」
小声でなにかをつぶやいた直後、よく研いだナイフを胴体に入れる。
『地母神の恵みに感謝します』
リッシュが祈るように言った。
鹿の胴体から内臓がどさっと落ちてくる。
見事なスーアインの手際だった。
筋肉に張り付く白い膜のようなものが厄介だったがこれをきれいにさばく。
ともすれば残酷かもしれない光景を俺は見守る。
『当然、残酷な行為です。ひとつの命を奪い、切り刻み、食べるのですから。しかし、それが生命の循環です』
リッシュの言葉は聖職者の説教のようであった。
しばらく水にさらした後、皮を剥いで、切り分ける。
四本の脚、背肉、あばら……鹿はいつのまにか食肉に変わっていた。
真っ赤な断面は牛肉によく似ている。
「これ、生で食べられるんじゃないか」
『病気や寄生虫の危険性があるので無理でしょう。あなたなら平気で食べられますが』
「どういう意味だよ」
そのうち住人たちがやってきて、毛皮や肉を購入する。
取引に使われているのはコイン……銅貨だろうか?
塩やハーブなどの調味料と物々交換している人もいるようだ。
頭部と内臓は犬や豚の餌にするらしい。この町では、あちこちで豚が飼われているのだ(なので臭い)。
最終的に残った肉の部分は、わざわざ背負ってきた分に比して少ない。
大型のオスでもこんなものか。
『その角はあなたが預かってなさい』
「こいつか?」
だれも手を付けなかったユニコーン鹿の一本角を俺は拾い上げる。
「高くて買う人がいなかったのでしょう」
『なにに使うんだ?』
「色々使い道があります」
そうかい。
解体作業が終わると、宿の裏庭でスーアインが肉を焼いてくれた。
バーベキューのような、焼き肉のような、そんな催し物だ。
スーアインは串に刺した鹿肉(腿の部分だろう)を押しつけるように寄越してくる。野趣料理ってやつか。現地ではご馳走なのかもしれない。
口に入れてみると……
こいつは栄養満点だな。
つまり、タンパク質の塊。
脂っこくないのでいくらでも食べられそうだ。
アスリート向きの肉なんじゃないだろうか。
ただ、現地で血抜きしたはずなのに、鉄分が多かった。
血がしたたるというか、レバーみたいになっている。
これは口に合わない人もいるかもしれない。
食べた分がそのまま血肉になるってことでもあるんだけどな。
貧血気味の女性にお勧めしたい。ダイエット中のタンパク質補給にもいいよ。
俺とピートが適当に肉を焼いて食べているあいだ、スーアインは煮込み料理を作る。食べるところのなさそうな前脚、骨髄なんかをぶち込んで、一緒に森で積んできた野草を入れる。
完成したのは、鍋物みたいな澄んだ汁のシチューである。
ぶっきらぼうに突き出された椀を俺は受け取る。
できたてで熱い汁を軽くすする。
「おっ、こいつは……」
いい感じにエキスがしみ出ているじゃないか。
こっちの世界に来てからは、なぜか味よりも栄養分をそのまま感じるような味覚になってしまっているが、これはそのまま旨い。
現代日本人にもおすすめできるメニューなんじゃないでしょうかね?
こんな料理を片手間にちゃちゃっと作ってしまうなんて、
「スーアインはいい奥さんになれるよ」
『そうですね。彼女は、今日一日、かいがいしく働いていましたね』
リッシュが相づちを打った。
「なんて褒めればいいかな」
『地母神の導きがあるでしょう』
「スーアイン。アヴルナック・ミチビキ・アル」
と、精一杯、リッシュの発音を真似る。
これは日本で言う「いいご縁がありますように」みたいな意味なのかな。
「?」
スーアインの動きが一瞬止まった。
そのあいだに発言内容を理解したようで……
俺のことをぶん殴る。
「この馬鹿野郎! ガキのくせに□□□□□□□□!」
ものすごい怒鳴られた。
「□□□□、スー、□□地母神のお導きがある□」
そう言って笑ったピートもまた殴られる。
ん? よく見ると、スーアインのやつ、顔が真っ赤じゃないか。
どうやら照れているらしい。
ぶっきらぼうで怖いお姉さんだと思っていたが、実は萌えキャラだったのか。
スーアインは口ではなんのかんのと言いつつも、上機嫌になったようで、次々と肉を出してくれる。
背ロース、タンなどおそらくはいい部分ばかりだ。
あまりに多すぎて、ピートはすぐリタイアしたが、俺はその分まで食ってしまう。
『たくさん食べなさい』
どんどん肉が消えていくことにさすがのピートも驚愕していたが、スーアインは舞い上がっていて気づいてないようだな。
結局どれくらい食ったんだろう。
大量にあった肉の半分近くがなくなってしまった。
こんなに食べたのは生まれて初めてだ。
人間の胃袋には限界がないらしい。
満腹で眠くなったというわけではないが、俺は後片付けも手伝わずすぐ寝台に横になる。
目が覚めたのは夜中だった。
こっちの夜は真っ暗なんだけど、なにも見えないってわけじゃない。
建物外のトイレに行く。
戻ると、テーブルに食べ残しの肉が積み上がっているのが見えた。
熟成したり、燻製にしたりする予定だと昨日スーアインが言っていた。
現時点ではもちろん生なのだが……
俺は一枚取って口に入れる。
「やっぱり生で食べられるじゃないか」
肉の中の鉄分、亜鉛、ビタミンをしっかり吸収する。疲労回復に良さそうだ。生だと細菌やウィルスで病気になるかもしれないなんてことは、なぜかどうでもよかった。……こんな異世界で病気にかかったら、半端じゃなくやばいんだけどな。なんでだろう。
切り分け済みの肉を次々と口に運ぶ。
夜中に黙って生肉を食べる怪人物……
俺は狼男かなにかか?
あまり食べ過ぎると怒られるかもしれないので、途中で手を止め、肉の代わりにいつものトビ豆を食べることにした。こいつはこのあたりの主食らしく、いくらでもあるんだ。
面白いことに、トビ豆のほうが鹿肉より脂質が多く含まれていたりする。絞ったら植物油になるんじゃないかな。
自分の部屋に戻って豆を腹一杯食べてから眠る。
翌朝。
まだ暗いうちから、俺と顔を合わせたピートはこう言った。
「タカ、大きくなったんじゃないか?」
(現在の身長:174cm)