第10話 ふたりで楽しくショッピング
時刻はおそらく午前九時くらいだろうか。
朝の早い世界であるがゆえ、町はすでに活気がある。
港沿いの小さな市場には、魚や果物が並んでいた。
「塩がずいぶんと高いようですね」
「勘弁してくださいよ、司祭様。年々仕入れ値があがってるんですよ」
「なぜ値上がりしているのですか」
「さあねぇ、海のほうで生産量が減ってるんですかねぇ。岩塩を取るのも危険だと聞きますねぇ」
「ふーむ」
考え込む様子のリッシュは次の店に向かう。
「麦と豆は充分にあるのですか?」
「在庫ですか? 大量にご入り用というのなら、数日待って頂ければ持ってきますよ」
「食料は不足していないと……」
「おい」
「しかし、すべての品が大幅に値上がりしていますね……」
「おいって言ってるだろ」
「――なんですか、さっきからうるさいですよ」
眉をとがらせ、リッシュは俺をにらむ。
「なんなんだ、これは」
「これとは? 買い物してるだけですが」
「なんで買い物なんてしてるんだよ!?」
俺はとうとう叫んだ。
聞きたいことがあったのである――それはもう色々と。
聞くのが怖くて聞くのを避けてきたのだが、本人が目の前にいるのなら聞かねばなるまい。
そう思っていた。
なのに……
「どういうことなんだよ、これは!?」
俺の思いはスルーされ、町の市場でお買い物中なのである。
「豆を二袋ください」
「まいど」
身勝手というかなにを考えているのかすらわからないリッシュはテントの下の商店主に注文を行う。
「お支払いは……銀貨ですか? これは珍しい。ひょっとしたら純銀、連邦時代のものですか」
「連邦銀貨ですが」
「大変申し訳ない、こいつは無理です。銅貨かせめて半銀でないと、うちの店では扱えませんよ。物々交換はどうです?」
「物々交換……」
「もし、どうしてもってんならば、ひとっ走り銀貨を交換してくれる仲間を探してきますが……」
「為替か小切手は使えますか?」
「為替……?」
「銅貨で支払います」
リッシュは文字通り銀色のコインをしまい、別のコインを取り出す。
「ふーむ、こいつも綺麗な値打ちもんですね。こいつ一枚でもう二袋ばかりつけられますが……」
「それでは四袋で」
取引成立。
当然のことながら、俺が持たされた。
五キロの米の袋みたいな感じかな。
それを四つなのでキツいと思ったが、そこまでではない。
他にも、魚とか、塩とか、野菜とか、豚の燻製なんかを買ったところで宿に戻る。
「それくらいの荷物で文句を言わないように。あの子を見なさい」
リッシュが指さしたのは、水を木のバケツで運んでいる子供だった。このあたりでは水くみは子供の仕事らしく、よくすれ違う。
「どう思いますか?」
「どう思うと言われても、手伝い大変だなとか、水が豊富なんだなとしか」
「先ほど私は連邦銀貨で商品の支払いをしようとしました。しかし、この規模の町でも銀貨は流通していないようです。為替や小切手は存在すら知られていない様子。どういうことか、わかりますか?」
「なんで質問形式なんだよ。言いたいことがあったらはっきりと言え」
「文明が退行しています」
「は?」
そこに老婆が通りがかる。
「――ああ、司祭様、地母神のお恵みを」
「あなたと家族にお恵みを」
人差し指で円を描くような仕草。それはこの世界のお祈りの仕方だろうか。
リッシュは俺の方に向き直る。
「いいですか、かつてこの規模の町には必ず浄水施設と水道があり、家の裏手に共同の水場が作られていました。町どころか小さい村にだって当然あるべきものです。水くみする必要なんかなかったんです」
「水道を維持する技術とか資金がないってことか?」
「文明が退行している現れです」
彼女が言わんとしているところはだいたいわかった。
だが、完全に理解できたとは言い切れない……なぜなら文明とか文明の退行といった概念は身近なものとして俺の中にないからだ。
「文明が退行するとまずいのか?」
「文明が退行すると人は野蛮に堕し、獣と成り果てます」
これもまた言ってることはわかるのだが、完全に理解できない話だった。
リッシュはなにをどうしたいのだろう?
宿につくと、リッシュは燻製肉など保存食をバッグに入れる。
どう見ても袋の大きさより中に入れている量のほうが多い。
「そいつは……四次元ポケットか」
「なんです、それは?」
「いくらでもモノが入るんだろ」
そういう不思議な魔法の道具だと推測される。
「内側を広げてあるだけなので限界はあります。整理したので余裕はありますが」
「そんな便利なものがあるなら、俺が荷物持ちをする必要はなかったろう。店先で入れろよ」
「あまり人前で目立たせるようなものでもありませんから」
などと騒いでいると、ピートが部屋から出てくる。
起き抜けのようだった。
まだ睡眠不足であるらしい様子が見て取れる。
昨日はどれだけ遅くまで癒やしの儀式(?)を続けていたのだろう。
「スーアインは大丈夫か?」
「だいぶ熱が下がってる。大丈夫だと思う」
「そいつは良かった」
「ピート。――ラニーという呪術士の持ち物は残っていますか?」
「はい、そちらの部屋に」
「持ってきなさい」
ピートがラニーさんの遺品を取りに行ってるあいだ、リッシュは俺のローブを引っ張った。これも彼の残したものだ。
「なんだよ」
「脱ぎなさい」
「この下、裸だぜ!?」
「恥ずかしがるような関係でも無いでしょう」
「初対面から半日も経ってねぇよ!」
「もっと前から知ってるはずです」
リッシュはスカートのように俺のローブをめくる。
「またセクハラかよ!」
俺はマリリン・モンローのように裾を抑えた。
リッシュはローブの裏地を見ているようだった。洗濯表示のタグを探しているのかもしれない。ローブ類はたぶんドライクリーニングだぜ。
「これはいいものですね。ですが、少しばかり古い」
「いいものを買って長く使ってるのか?」
「五十年近く使ってるのではないでしょうか」
それはヴィンテージにもほどがある。
「呪術士のローブは濡れず、汚れず、痛まないように出来ています。汗が出ても内側から発散するので快適なはずです」
「へぇ、そうなのか」
こっちに来てから暑いとも寒いとも感じず、汗をほとんどかかないのでわからなかった。いまはどの季節なんだろう。
「これを使っていたラニーは、師匠か、その師匠から、ローブを受け継いだのでしょう。本当なら見習いを卒業した時点で新しいものを作るのですが」
そのあたりでピートが荷物を持って戻ってきた。
俺のローブをめくって、あちこち見ているリッシュに驚いたようだが、何も言わずラニーさんの遺品らしきものをテーブルに置く。
目立つのは、魔法使いらしい杖と、魔術書らしきものだった。他には身の回りの品ばかりだが……いかにも何かありそうな腕輪を発見。魔法のアイテムか何かじゃないだろうか?
「これらは私が預かります。かまいませんね」
「は、はい、司祭殿」
リッシュがラニーさんの遺した魔術書に目を通しているあいだ、俺たちは遅い朝食を取る。
「――ラニーがどこで呪術を学んだか知っていますか?」
リッシュは書から目を離さず、ピートに問いかける。
「わかりません」
「彼の師匠や家族については?」
「さあ……そういうことについては話さなかったので」
むむむとリッシュが難しそうな顔をする。
「ラニーについて知っていることは?」
「頼りになる男だったとしか。二年前にヴィースの近くで出会ったんです。わざわざ私の話を聞いて来たと」
「それは聖騎士の噂を聞いて仲間に加わったということですね」
「おそらくは。当時は五人の仲間がいたんですが、残ったのは二人だけです」
生き残った二人。ピートとスーアインというわけか。彼らはどれだけの戦いをくぐり抜けてきたんだろう。それは俺なんかの想像がおよばないものに違いない。
「ならば、大陸の情勢に詳しいでしょう」
「自分が見聞きした範囲であれば……」
「ラットマンは人類の領域によく出るのですか?」
「……そうですね。何回か退治したことがありますが、そこまで頻繁というわけでも……」
「回数は昔より増えているのですか」
「おそらくそうですが、はっきりとは……」
「はっきりしてください」
リッシュは眉を歪めて不満をはっきりと示す。
「私ごときに言えることはなにもありません」
ピートは困惑している。リッシュが聞きたいことと、ピートが知っていることに齟齬がある感じだな。
「質問が曖昧なのが悪い。なにを聞きたいのかはっきりしろよ」
「どれだけ文明が退行しているのかを知りたいのです」
「文明ですか……年々ひどくなっているのは確かですが……」
「人類の領域は狭まっているのですか?」
「おそらくは」
リッシュはバッグから丸めた地図を取り出した。
古めかしい羊皮紙にペンで描いたようなものである。
「アスピケス」
と、今俺たちがいる町の名前を告げると、地図はズームアップする。
高解像度の液晶ディスプレイでもないのに、すごい機能だった。
「なんだよこれ」
「単なる古い地図ですが」
「古いって、地図に載ってる情報が古いのか、それとも古い魔法の道具なのかどっちだ」
「両方です」
ピートも驚いてるので、一般的な品ではないのだろう。
「アスピケスがここ。ヴィースがここになります」
地図がズームダウンして別の都市を指し示す。
ヴィースというのは大きい町のようで、市街地の範囲が広く示されている。
「この川がロティア。古語で大河を意味します。エン大陸における文明の中心です」
俺に対し説明するような口調。
さらにズームダウンすると、やや縦長の大陸が表示される。
ここに俺たちはいるのか。
エンという大陸名らしいのだが、この世界の文字は読めない。
大陸の北から南にかけて、そのロティアとかいう川が流れていることがわかる。ヴィースという大都市は、その川のほとり、ちょうど大陸のど真ん中くらいに位置する。ヴィースはおそらく河川を使った水運の中心地なんじゃないかと想像できる。
「このうち、どのあたりが現在の人類の領域だと思いますか?」
ピートは指で大都市ヴィースを中心に円を囲む。
「ユニス=フロスは入らないのですか!?」
「あそこが文明的とはとても」
ユニス=フロスというのはヴィースから川をさかのぼって北にある都市だった。こちらもかなり大きいようだ。
「本当ですか?」
「ええ、ぼくはユニス=フロス近辺の出身だから確かです。ひどいものですよ」
「どうやら……一度行かねばならないようですね」
リッシュは思案顔になる。
「司祭様……」
我々の後ろから声がかかった。
寝室のドアを開けて、スーアインが出てきたのだ。
まだ調子は良くなさそうだが、昨晩のような苦しさは感じられない。
やつれてて、いつもより美人に見えるな。
「あなたは寝ていなさい」
「司祭様……、アーデムスです」
「なんですか、それは?」
「ラニーの出身地……アーデムスと漏らしたのを以前聞きました」
どうやら、スーアインはリッシュとピートの会話を耳にしていたようだった。もしかしたら、聴力が良くてなにも聞き漏らしたりしないのかもしれない。
「わかりました。アーデムスですね」
リッシュが目配せすると、ピートがスーアインをベッドに連れていく。
「聞いたことのない地名ですが……アーデムス」
と、リッシュが地図に呼びかけると、地図は上半分にズームしかけて――下に戻ってズームインしたりアウトしたりする。
「なんだこりゃ、バグったか?」
「これは困りましたね」
リッシュがあまり困ってないように言った瞬間、地図が燃え上がった。
(現在の身長:177cm)