勇者の天敵と書いて、魔王と読むのです?
一度やってみたかったのですが、「正義の勇者と悪の魔王」ネタって何か原典があるんでしょうか?
「ぴんぽんぱんぽーん! お客さまのお呼び出しを申し上げまーす。現在、当館にお越しのお客さまの中に、魔王や悪の帝王になってみたい方はいらっしゃいませんか~?」
その日、最寄りの駅から三つ先の駅に併設された大型デパートに、雑誌でチェックしていた春物のニットを買いに来ていた大学二年生の木下春菜は、目当てのショップでみつけたそれを眺めながら、ライムグリーンとラベンダーのどちらがいいかを真剣に悩んでいた。
好みなのはライムグリーンの色合いなのだが、胸元に当てて鏡で確認してみた感じでは、自分の肌色を明るく見せてくれるのはラベンダーの方である。
服というのは、本当に気に入ったものを買わなければ結局タンスの肥やしになってしまうだけだ。
マークシート式のテストのときに分からない問題にぶち当たり、二択までは絞り込むことができたのだけれど最後の選択がどうしてもできないでいるときと同じくらい真剣に悩んでいた春菜は、しばらくの間その妙に楽しげな声で流れる館内放送に気付かなかった。
しかし先ほどからもう何度目になるのか「魔王や悪の帝王になってみたい方はいらっしゃいませんか~?」という楽しげな――聞く者によっては、実に脳天気そうでイラッときそうな声が流れていることにようやく気付いたとき、春菜は小さく笑ってしまった。
春菜には、今年五歳になる可愛い盛りの甥がいる。
もしかしたら、体のどこかにターボ機能がついているんじゃないだろうかとどきどきするほど、いつも元気いっぱいの彼が最近とみにお気に入りなのが「悪の帝王に立ち向かうなんとかレンジャー」なのである。
長兄一家が両親に孫を見せに来るたび、なんとかレンジャーに扮した甥が「はるなちゃん、あくのていおうやって!」とせがんでくるため、彼に厳しく演技指導をされた春菜はすっかり「悪の帝王ごっこ」が得意になってしまった。
このデパートでは時折子ども向けのイベントもやっているし、きっと今日は観客参加型の催し物があるのだろう。
そんなことを考えながら、やはり自分に似合うものを買うべきだろうか、と再びラベンダー色のニットに目を向けた春菜は、可愛い甥の笑顔を思い出してにへらと口元を緩めた。
(あーもー、みっくんの可愛さは本当に世界一だと思いますッ。この木下春菜、みっくんのためだったら魔王だろうが悪の帝王だろうがどんと来いなのですよ! 『オロカなる人類なぞ皆殺しなのだー』なんてセリフだって、いくらでもふんぞり返って言ってあげますともー! ふはははは、は……?)
――それは、一瞬のこと。
本当に瞬きひとつの間に、春菜は見知らぬ場所にいた。
高い高い、ドーム型の天上。精緻な紋様の浮かぶ白い壁。磨き抜かれた滑らかな床にもびっしりと複雑な紋様が描かれていたけれど、それらはすぐにすべて幻だったかのように消えてしまった。
ただ白いばかりになった床に、しばらくの間立ち尽くしていた春菜は、ぎこちなく辺りを見回した。
「……みっくん?」
少し離れたところにいたのは、春菜が携帯端末の待ち受け画面にしている笑顔のままの甥だった。
見慣れたTシャツに半ズボン姿の彼は、春菜に向けてにこりと笑みを深めた。
(……違う)
瞬間、ぞわりと背筋が粟立った。
なんだ、これは。
この甥と同じ姿をして、まるで違う大人びた笑顔を浮かべるコレは、一体なんだ。
とてつもない生理的嫌悪感に襲われて後ずさった春菜に、甥の姿をしたモノは少しだけ困ったような顔をした。
小さく息をついて、ひょいと細い肩を竦める。
「うーん。もしかしてきみって、ひとの気遣いを相手の目の前で踏みにじるタイプだったりする? 大事な人間の姿だったら、少しは安心するかと思ったんだけど……さすがは魔王さまだね。こんな小細工には引っかからないか」
そう言って楽しげに笑った甥の姿をしたモノは、ぱちんと指を鳴らした。
(な……っ)
甥の姿が揺らいだ、と思ったとき、そこにいたのは中肉中背の青年だった。
身につけているのは黒いシャツに黒いズボン、足下の黒いブーツの留め金さえも黒一色。
春菜は一瞬、イニシャルGを連想した。……せめて、烏にしておけばよかった。
顔立ちはいまいち日本人らしくはないものの、実にさっぱりとしたもので、少し垂れ目がちなところ以外これといって特徴はない。
薄い唇に浮かぶ笑みはひどくやわらかく、そして冷たい。
「それじゃまあ、改めて自己紹介からだね。ぼくはロン。きみをここに呼んだ張本人。ぼくはきみを魔王にするため、ここに呼んだ」
春菜は黙って、110番をしようとした。
残念ながら、圏外だった。
(うぬぅ……電波が繋がらなければ、不思議な電波さんに出会ったときの対処法を検索することもできないじゃないですか。――文明の利器って、非力だ)
悲しくなった春菜は、とりあえずロンと名乗った相手から距離を取ろうとした。
しかし、いつの間にかすぐ近くまで来ていた相手の左手が、ぐっと春菜の肩を掴んだ。
痛くは、ない。
けれど本能的な恐怖に体が強張り、瞬きさえできなくなる。
そんな春菜に、ロンはにこりと微笑んだ。
「ごめんね、なんて言わないよ。ぼくはきみのすべてを否定する。そして、魔王になってもらう。これはもう確定事項。何故なら、きみは必ずそれを選ぶから」
アンタ何言ってるの、という言葉は、がちがちと震えて音を立てる歯に噛み潰された。
「ぼくが召喚式に組み込んだ条件はふたつ。ひとつは、ぼくの声に気がつくだけの魔力を持つこと。もうひとつは、人を殺すことに快楽を覚える者であること。きみは世界を越えて、ぼくの呼びかけに応えてくれた。……ありがとう、は言っておくべきなのかな?」
やさしげな――まるで蔑むような声音に、春菜は目を見開いた。
頭の中で、ぷちっと何かが切れる音が聞こえた気がした。
すう、とひとつ深呼吸。
「……ロンさんとやら。ちょいとよろしいか?」
「うん。何かな、魔王さま?」
春菜は、にっこりと笑ってやった。
「先ほどからなんだかいろいろとわけの分からないことをほざき遊ばしてくれ倒しておられやがりますが、これだけは訂正させていただきましょうかヒトとして。わたしは確かにしょっちゅう可愛い甥っ子の正義の味方ごっこにお付き合いして『ふはははは、オロカなる人類なぞ皆殺しなのだー』とふんぞり返って高笑いしておりましたが、実際にそんなことをしようだなどとは一度も考えたこともないどころか、道ばたで潰れているカエルの内臓にさえびびって遠回りしてしまうような小心者なのですが何か?」
ぽく、ぽく、ぽく、ちーん。
そんなBGMが似合いそうな沈黙の後、ロンの目がぱっくりと丸くなった。
「……えええー」
「そこで思いきり驚いた顔をしないでくださいびっくりしているのはこっちですよ、ただもう驚きがぐるっと一周してそれ以上メーターが回らなくなっているだけで」
「……そんなー」
「そこで思いきり傷ついたような顔をしないでください傷ついているのはこっちですよ、初対面の相手に快楽殺人狂呼ばわりされたわたしのブロークンハートは一体どうしてくれるんですか」
「……とりあえず、DOGEZAさせてください。魔王さま」
「魔王じゃないです、春菜です」
本当におばかなんですよ、とロンはしみじみと溜息をついた。
春菜はうなずいた。
「うん。あんたほどのおばかさんを、わたしは初めて見ましたよ」
「そうですね、すみません。つまり、このぼくを一億倍ほどレベルアップさせたおばかさんが、現在この世界の半分を率いている人間だと思ってください」
「何それ怖い」
春菜はおののいた。そうなんです怖いんです、とロンは重々しくうなずいた。
どことなく学校の教室を連想させるような小さな一室で、春菜はロンの淹れたお茶を一口啜った。
色はレモンを入れたローズヒップティーに似ているが、味は梅昆布茶だった。……なんだか、もの凄く騙された気分になった。
ロンはふう、と溜息をついた。
「この世界には、ときどき違う世界の人間が落ちてくることがありましてね。まあ、大抵はばらばらの肉塊になって落ちてくるのでちょっぴり迷惑なだけなのですが、極々たまーに生きたまま世界を越えていまう人間がいるのです」
「……わたしは?」
「そういった人間が伝えるものの中には、今でも残っているものがいくつかあるのですよ? DOGEZAもそのひとつらしいです。それはそれとして、今から一年ほど前のことです。……そうやって落ちてきた人間が、突然魔の者を虐殺しはじめまして」
「ねえ、わたしは? ひょっとして、一歩間違ったら肉塊コースだったの?」
「そりゃあ、昔から人間と魔の者は仲良しこよしって関係じゃありませんでしたよ? でもそんなの、種族と価値観が違ってお互い譲れないものがあるなら、仕方がないことじゃありませんか。人間は人間の、魔の者は魔の者の土地でそれぞれ生きて、たまーにどつき合いの喧嘩をして勝った方がしばらくの間は威張っていると、ずっとそれを繰り返してきたんです。そもそもこの世界では、人間の吐き出した醜い感情から生まれた瘴気を、魔の者が結晶化して自分たちの力にしているんです。どちらかが滅びれば、もう片方もいずれ滅びる。ずっとそうやって共存してきたんです。この世界の人間と魔の者は」
「分かった、とりあえず五体満足だから置いておくことにしとくけど、後で覚えといてね」
ロンの手の中で、カップにびしっと罅が入った。
「なのにあの異世界人は『穢らわしい魔の者なんて、このユウシャがすべて抹殺してくれる!』などと言って一部の人間たちを煽動し、宣戦布告もなしに当時不可侵条約を結んでいた魔の者の土地に侵攻し、ただでさえ個体数の少なかった彼らを問答無用で殺しまくったのですよ! おまけに見目の良い魔の者の女性たちを捕らえては、酷い辱めを……そればかりか、人間の女性たちまで! あのユウシャという異世界人は、とんでもない外道なのです!」
「すいませんごめんなさい」
どうやら一年前にこの世界に落ちてきた人間とやらは、春菜と同じ地球人、しかも恐らくは日本で重度の中二病に冒された男性だったようである。
顔も知らない同胞のあまりに恥ずかしくも酷すぎる所行の数々に、春菜はその場で土下座したくなった。
その自ら勇者名乗りをしている中二病末期患者は、間違いなく現代国語の偏差値は最底辺だったことだろう。
「郷に入れば郷に従え」という先人の教えを守らず、殺戮と悪逆非道の限りを尽くして世界規模の迷惑を掛けまくるとは――もしかしたら中二病などという生ぬるいものではなく、もっとずっとヤバい病に罹患しているのかもしれない。怖すぎる。
「魔の者が激減したせいで、バランスの崩れたこの世界ではもうあちこちで歪みが生じています。魔の者が結晶化しなくなった瘴気が大量に大気中に溢れ、作物の生育が滞ってしまったために丸ごと餓死した村さえある。ぼくはユウシャも、ユウシャを讃える人間たちも憎くて仕方がない。殺してやろうと、何度も思いました。……けれど、ぼくは臆病な人間です。殺したいと願うことと実際に殺すことはまったく別の次元のものなのだと、何度も思い知りました。だから――呼ぼうと思ったんです。ユウシャと同じ、他者を害することをなんとも思わない異世界人を。そして魔の者の王に仕立て上げ、正義の味方の英雄気取りでぼくらの世界を滅茶苦茶にしたユウシャを殺させてやろうと……そんなことを、思ってしまったんです」
春菜は、そっと涙を拭った。
「そっか……気持ちは分かるよ……そうやって呼んだのがなんの罪もない人畜無害のわたしじゃなければ、心から同情しちゃうところだよ……」
だがロンはそんな春菜にHAHAHA、と笑った。なんというムカつく笑い方だろうか。二秒前の同情を返せ。
「人畜無害だなんて、そんな謙遜しなくても。ハルナさんはあの卑劣外道なアタマに咲き乱れる煩悩お花畑に虫の湧いたユウシャなんかより、ずっと強大な魔力をお持ちじゃないですか。それで人畜無害だなんて、何をおっしゃるうさぎさん。思わず愉快な笑い方をしちゃいましたよ」
どうやら、今のHAHAHA笑いはネタだったらしい。ますますムカつく。
とてもとてもムカついたが、それ以上に春菜は、現在進行形でこの世界に迷惑を掛け倒している自称勇者の方にムカついた。
ふっと息を吐き、腕を組んだ春菜はじっとりと半目になってロンを見遣った。
「そこまで言うのなら、ロンさんや。わたしにその魔力(笑)の使い方とやらを教えなさい。同胞というのも腹立たしいそのオロカなるユウシャは、同郷のよしみでこのわたしがきちんと叩き潰して差し上げようじゃあーりませんか」
「ほ……っ、本当ですか!?」
そこできらきらと目を輝かせて身を乗り出したロンは、本当に素直な性格(或いは純粋、ときにおばかさんともいう)をしているのだな、と春菜は思った。
もし自分がロンから魔力(笑)の使い方を学んで、こんなところに問答無用で連れてこられた腹いせにぷっちり叩き潰そうとしたら、一体どうするつもりなのだろう。
人間というのは、ものごとを自分の都合のいいように解釈しがちなのである、というこの世の真実を再認識した春菜は、厳かにうなずいた。
「本当ですよ。ただしこっちにもいろいろと都合があるし、大学の講義が最優先だから、そこんとこよろしく」
「わ、分かりました! よろしくお願いいたします!」
――それから一月後、とある動画サイトに『勇者○×△のアブナ異世界❤』というタイトルの動画がアップされ、一部地域で話題を呼んだ。
「この○×△って、去年失踪した□□高校のヤツじゃね?」
「勇者自分てw」
「中二臭がヒド過ぎる」
「カンペキ目イッっちゃってんじゃん。キモー」
「なんかヤバいもんでもキメてんじゃねーの」
「実名主人公とかwwマジウケルwww」
「ヒロイン誰ー?」
「コスプレオタ? この世界観にナースとCAと婦人警官はどうかと思う」
「恥ずかしがってる女の子可愛いから許す」
「全員別に本命がいるって誰得?」
「寝取られたい願望か」
「若いのにディープなシュミだなΣ(・ω・;|||. 」
「CG技術には素直に感心する。ストーリーはクソ」
「この衣装、某有名ゲームのパクリじゃねーか。訴えられろそして○ね」
「なんか、見てて痛くなってきた(´・д・`○)」
「安心しろ、お前は一人じゃない( ´・ω・)y━。 」
更に数日後、とある世界の小さな部屋に、塩せんべいを囓る音が響いていた。
「ハルナさん? ユウシャが突然、自室に籠もって出てこなくなったらしいのですが……一体、何をしたんですか?」
「ん? 彼は遠い世界で、嫌がる女の子たちに無理矢理恥ずかしいコスプレをさせて楽しんでますヨーってご家族とご近所の方たちにお知らせしたことを、本人にみなさんからのメッセージつきで教えてあげただけだよ?」
ぽりぽりぽり。
……ぱりーん。
魔王「そういや、ロンさんや。あんた最初、自分も死ぬつもりだったでしょ」
ロン「そりゃまあ、召喚式の条件付けが条件付けでしたし。その場で殺されても仕方ないかなーとは思っていましたけど」
魔王「ばかめ。そんなおばかには、こうじゃ」
ロン「ああぁッ(やめられないとまらないアレを没収された)」