堕天使奪還戦Ⅱ ①
「最悪のタイミングよ」が事情を話した際のライラの言葉だった。
「何が最悪なんだ?」
分からず聞いた声は、静かな聖堂に響いた。
「いい? 事が事だから隠し事無しで話してあげる」ライラは胸を支えるように腕を組む。「氷月千早だけど、今はどこに居るかは分からない」
でも、とライラは続ける。「協力者がいるの。あなたが来る少し前に情報が入ってね。サウジアラビアの砂漠の中にある軍事基地」
「確か、ベクターの試験運用基地だったな」
「ええ。その基地指令、氷月千早の協力者よ」
「まさか。接点が無いだろう?」
「接点なんて幾らでも作れるわ。基地司令には、氷月千早に協力してメリットがあるのよ」
メリット。考え、すぐに結論は出た。
アルシエルの力だ。
「分かるでしょ? アルシエルの力。魅力的でしょう? 氷月千早からすれば、サウジアラビアの基地は初期拠点の様なモノよ」
「利用価値が無くなれば?」
「消す。切り捨てる。どちらかでしょうね。でも、まだ氷月千早の手の内にある以上、基地司令は情報を少なからず握っている筈よ」
向かい合う準一を見る。「どうする?」
「どうするもこうするも、行って確かめたいが……あんたの言うタイミングが気になるな」
よくぞ聞いてくれました。とライラは笑みを浮かべる。「あなたの所属する機甲艦隊、サウジアラビア基地の護衛任務に当たってるの」
「期間限定のだけどね」
期間限定、短い間だろうが、事態は急を要する。
攻め入りたいが、問題だ。
機甲艦隊が居れば、強行したとして、交戦してしまいかねない。
それに、そこに行くまでだ。
不法入国に近い形になる為、どの国の部隊と当たってしまうか見当が付かない。
「氷月千早の情報は外部に漏れていないようだな」
「ええ。だからこそ、サウジアラビア基地の要請に機甲艦隊は出向いたのよ」
「聞くが、サウジアラビア基地はどういった目的で護衛を?」
「決まっているでしょう? あなたが居るのよ?」
成程。と準一は息を吐く。
機甲艦隊は、準一の所属する部隊だ。
置いておけば、それなりに時間が稼げると思ったのだろう。
「まぁ、関係ないがな」
「攻め込むにしたって、大っぴらには行けないでしょう? 手を貸してあげなくもないけど」
言うと、ライラは資料を見せる。
受け取り、見ると種子島のロケット発射基地のそれだ。
「……おい」
「何かしら?」
「何かしら? じゃねえよ。まさか」
「そのまさかよ」
ライラは楽しげに笑みを浮かべる。「弾道ミサイルの気分を味わってみるのもいいかもね」
種子島へ出向いた時、既にシスターライラの根回しが正常しており、ロケットは準備されていた。
その為、すぐにロケットにアルぺリスを乗せ、発射台へ入った。
アルぺリスを搭載したロケットは、時刻が午前0時を回った頃打ち上げられ、あっという間に高度は100km以上になり、目的地まではどんどん近づいている。
メインタンク・外付けエンジンの切り離しが行われ、ロケットは一瞬加速を止めたが、すぐに別エンジンが始動し、加速に入り、目的地上空が近づくと、アルぺリスの入ったコンテナと、ロケット胴体部を繋ぐロッキングボルトが爆薬で爆ぜると、コンテナは高度を下げる。
コンテナは大気圏突破時の熱で赤くなるが、表面の幾つかが解けただけでほぼ無傷だ。
『アルぺリス。コンテナパージに入って下さい』
「ラジャー」
コクピット内の準一はビリビリと来る衝撃に揺られながら、右の操縦桿を握る手を離し、その横の突貫外付けパネルの赤いボタンを押す。
コンテナは炸薬でパージされ、アルぺリスが姿を現す。
現在のアルぺリスは、八王子工場での強化装備を積んだまま、姿を隠す為に巨大な布を羽織っており、姿はほぼ見えない。
これに鎌を構えれば死神だ。
そんなアルぺリスは純白の翼を広げ、体勢を立て直す。
羽織った布は、ある程度だがステルス性を高める。
周辺軍の旧装備なら誤魔化しがきく。
下を見ると、夕刻の陽に染められたダカールが見え、方角を確かめる。
次はサウジアラビアの砂漠。
基地滑走路は砂漠に面していた。その滑走路には、案の定、戦艦大和を載せたフェニックス。
他にも、日本国籍の機体が幾つも展開し、サウジアラビアのベクターと混合している。
「面倒だな」
そう呟いたのは準一。彼の乗るアルぺリスは砂丘に寝そべり、リニアレール砲のトリガーに左の人差し指を掛けている。
スコープには、サウジアラビアのベクター。
既に射程内だ。
だが、向こうからはアルぺリスの発見は困難だ。風が割と強く、砂が舞っているからだ。
さて、どうしてやろうか。
準一は心で呟いた。
「4日目……いや、5日目か」とカノンはフェニックス主翼に立つベクター、フォカロルコクピット内で呟いた。
「準一君が消えてからかい?」
九条は艦橋から無線で聞く。「ええ」とカノン。
「カノンちゃん。碧武には何か情報は?」
「いえ、全く無いです」
答えたカノンは息を吐いた。
兄が消えて5日目。
自覚はあった。自分が兄に依存している、という自覚だ。
レイラ・ヴィクトリアの時は2週間居なかったが、消えたりはしていなかった。
今回は違う。
兄はいない。
「兄さん……置いていかないでよ」
本音が漏れたカノンは、操縦桿から手を離し、瞼を閉じる。
今は、エルシュタも消えている。
碧武には、結衣にエリーナ。
兄とエルシュタ、2人が消えたのだ。
残っている2人は悲しんでいる。
本音は主に兄にしか吐かない様にしていた。
兄の居ない状況では、結衣はかなり弱ってしまうから本音は吐けない。
どこに居るの? 置いていかないでよ
声には出さず、心中で呟く。
その直後だった。
滑走路周辺に展開していたサウジアラビアの旧型ベクターが、黄色の閃光に撃ち抜かれ、爆発した。
「何が!」
カノンは索敵を始めるがレーダーに何かが干渉し索敵できない。
大和や基地レーダーも同じだ。
一種のジャミングに似たソレ、と考える間に次々と撃ち抜かれる。
「兄さんなら」
兄ならどうしただろう。
兄なら。
カノンは考えを巡らせる。
普段の作戦なら、隣には兄が居り、自分は兄のバックアップだった。
兄無しの作戦は初めてだ。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
「避けろ!」とカノンは響いた声に返答する間もなく衝撃に揺られる。
サブモニターの自機は両腕を刎ねられている。
敵はかなり強いらしい。
すぐに、大和は主砲を閃光の方向に向け、発砲。ベクター隊もミサイルが使えない為、砲狙撃戦に入る。
ついでといわんばかりに誘導性の無いロケット弾が向かい、その下をサウジアラビアの戦車隊が走る。
敵は一体。とカノンが思い始めると『SOUND ONLY』の文字が出る。
この状況下で通信? 開き、識別を見る。
E-03
兄の識別、と脳が追いつくと通信を開く。「兄さん! 兄さん!」
ただ確かめるように呼ぶ。
「カノン。5日ぶりだな」
間違いない。兄だ。カノンは安堵し、息を吐く。
だが兄はどこに?
「兄さん。今どこに?」
「お前の視界の先だ」
先? と聞き返すと、戦車隊が爆発する。
すると、吹き荒れていた砂が止む。
砂丘をゆっくりと歩くのはベクターサイズの巨人。
「悪いな。お前のフォカロルの腕をぶっ飛ばして」
その言葉の後、マントの様に布を巻いた巨人は狙撃銃を肩に背負う。
すると、布がずれ、顔が露わになると、純白の翼が広がる。
鋭いデュアルアイセンサー。威圧的な顔。
機械魔導天使、アルぺリス。
「だが、こっちは急を要する」言うと、準一は大和艦橋に通信を開く。「九条さん」
「準一君か。アルぺリスが居る、という事はジャミングはそれが原因か。では、まず聞かせてもらおう。此方に敵対する様な武力介入はどういう目的が?」
「すいません。言えません。出来れば、機甲艦隊側にはあまり攻撃をしたくありません。退いて下さい」
「出来るとでも?」
「していただかなければ、後々困るのはそっちです。どうか、ご理解いただきたいのですが」
アルぺリスはリニアレール砲を構え、肩のビーム砲を大和に向ける。
「九条さん。あなたの後ろの基地司令を差し出していただけませんか? 無理であれば、その基地は壊滅させなければなりませんので」
「事情説明はないのかい?」
「堕天使絡みです」
前回の堕天使奪還時は、堕天使は使用されていなかったが、今回は違う。
堕天使は機械魔導天使のコアとして機能している。
機甲艦隊は領分が違う。
千早の目的は、不明だが、別に日本を如何こうしようとは考えていない以上、大和の出撃は避けるべきだ。
「先日の九州校襲撃と関係が?」
「大いにあります……九条さん」一呼吸置き、準一は説明する。「堕天使はアルシエルの手にあります。高位魔術師です。戦うには、彼女の居場所の情報が必要だ。それを握っているのがあなたの後ろです」
九条はモニターに映るアルぺリスを見る。「その根拠は?」
「君の言っている事が全て本当かどうか、俺には判断できない」
「そうですか……」
準一は言うと息を吐く。
強硬手段に出ます。と言おうとした瞬間だった。
「兄さん!」
カノンが叫び、アルぺリスは構えようとしたリニアレール砲を下ろすも、準一はそれを無視し、構えなおさせ、発射。
残存のサウジアラビア兵力を削り、戦艦大和各兵装、他兵器がアルぺリスへ攻撃を始める。
アルぺリス周辺は爆炎に呑まれるが、閃光は途絶えない。
次々に攻撃され、サウジアラビアの兵器はほぼ無力化され、機甲艦隊ベクターはコクピットこそ外されるが、手足を撃ち抜かれる。
初めて準一と戦った機甲艦隊、飛行化戦隊側はその強さに驚いた。
敵に回すとこれ程。
ただ怖い。皆がそう思う中、カノンは兄を呼び続けるが、返事は無い。
アルぺリスは煙を翼で裂くと舞い、リニアレール砲を連射しつつショルダービーム砲を2門同時発射。
装甲が開き、小型の短距離ミサイルが飛ぶ。
大和や残存兵力は対空戦闘。ミサイルを幾つか迎撃。
炸裂したミサイルは爆発ではなく、ただ煙をまき散らす。
煙幕だ。
古典的だが、有視界戦闘の幾つかの兵器には有効で、アルぺリスは煙に突っ込むと、レール砲を背中の特設ラックにマウントさせ、ブレード2本を抜刀。
滑るようにベクターを戦闘不能にしていくと、歩兵に向け腕部ガトリングガンを向ける。
歩兵、というより生身の人間はほぼ機甲艦隊の人間。
殺すのは後々マズイと判断し、ガトリングの弾丸を切り替える。
実弾から、歩兵制圧用の空圧縮弾。
発射された空圧縮弾は、蜃気楼に似たモノで、生身の人間はただ弾かれ気絶。
空気を発射するだけで、発砲音は火薬の音ではない為、発砲音はほぼ響かない。
制圧が一通り完了する。
大和は動かない。
味方がいる以上、砲撃は出来ないのだ。
準一はアルぺリスを飛翔させ、基地敷地内に入り込むと、サイドアーマー内魔導砲、ビーム砲、ミサイルを斉射。
一直線上に爆発が広がると、基地司令部は慌てる。
基地司令は逃げよう、と司令部屋上のヘリに向かうが、既に遅い。
司令が屋上に着くと同時、ヘリは爆発。
ヘリポートにアルぺリスが降り立ち、腕部ガトリングガンを司令のガードマンに向け、実体弾で圧殺。
怯える司令にブレードを向ける。
司令は腰を抜かし、基地敷地内兵力は沈黙。
準一はアルぺリスから降り、司令に近寄る。
「氷月千早はどこだ」
初老の基地司令は怯え、懐のハンドガンに手を伸ばそうとする。
準一は加速魔法で抜刀すると、司令の腕を刎ねる。
自分の腕と血液を見て、司令は一瞬止まるが、痛みが追いついたのか叫ぶ。
「もう一度聞く。どこに居る」
「し、知らない! ここは! 私は切り捨てられた後だ!」
腕を押さえ、司令は言う。痛いのだろう。脂汗が滲んでいる。
「切り捨てられた?」
「つ、ついさっきだ! サウジアラビアは氷月千早にとって必要なくなったんだ!」
「本当か?」
「本当だ! 嘘じゃない!」
どうやら本当らしいな、と準一はブレードを左に振り、司令の首を刎ねる。
この男はもう用済みだ。
この一件は、機甲艦隊さえ口を開かなければ、外部に漏れない。
別に漏れても問題はさしてないのだが。
しかし、これで更に面倒になった。
氷月千早の行方が分からなくなった。
その上、あれだけの被害を出させたのだ。
シスターライラが嘘を言うメリットは無い為、黒妖聖教会の情報よりも千早が早かった。という事だ。
次に動きがあるまで、待つしかないか。準一はアルぺリスに乗り込み、夕焼けの空に飛び、各機のレーダーから姿を消した。
フォカロル内のカノンは、置いてけぼりをくらい、肩を落とし、大きく息を吐く。
「兄さん……」
小さく言うと、九条から負傷兵救出命令が下り、残存兵力は負傷兵の救助を開始した。
時間にして、10分足らずの悪夢だった。