マルシフ・ノート
「あーらまた一段と背が縮んだじゃないのかしら? 御舩茉那。九州なんて田舎は大変ねぇ。おほほほほほ!」と綺麗な声で高笑い。声の主は金髪長髪、女性用スーツの彼女はまだ20代前半だろう。身長は舞華と同様、高い。
彼女は関東校校長、桜木夏美だ。
「あらあらまた胸だけバカみたいにデカくなっちゃって。何? 何か出すの?」と代理。相手の関東校代理、桜木夏美と同じ、何か対立している。
「あーら。胸どころか慎重でさえまだなお子ちゃまが、何を言ってるのかしら。あたしの胸、羨ましい?」
すると代理は笑顔のまま続ける。「え? ヤダよそんな胸。何? 爆弾ってか、おっぱいミサイルみたいな?」
「わ、私の胸が」と夏美は大きな胸を代理に突き出す。「爆弾? ミサイル? よくもそんな断崖絶壁、空母飛行甲板みたいな胸で!」
「な、何だとー! この野郎! ペチャパイは需要があるんだよ!」
「ふん。そんなマニアックでコアな部類。少数派でしょう? 笑止!」
「言っとくけどな、そんな多重装甲の下にリアクティブアーマー重ねた、みたいなプラ版とパテのオンパレードプラモデルみたいな胸! ただデカいだけなんだよ!」、
「あ、あんたね! 一々例えが長いのよ! 何? 人をプラモデルか何かと思ってるの!?」
「あんただってねぇ! 飛行甲板みたいな胸って! あたしの胸はもうちょい出てるから!」
2人は肩で息をし、一旦停止。「ぜぇぜぇ」と唸っている。
無論、場所はパーティー会場。しかもど真ん中。案の定、注目の的だ。
野次馬に混じる本郷他数名は、事情を知っているであろう千尋に聞く。
「つまりね。ウチの校長と代理はね。逆なわけよ。おっぱいも身長も」
説明を聞く人間は「ほうほう」と頷く。
「んで、前に勉学で勝負したのね。そしたら何と同点。間違えた個所は無し、どっちも満点」
あたま良いんだな、2人とも、と準一は無表情に頷く。
「まぁそこでああなったのよ」と千尋は2人を指さす。
2人は互いに頬を抓り合っている。
微笑ましいのか、そうでないのか、見ていてどちらか迷ってしまう光景だ。
「む、むにぇにゃんてかやりやぁ!」
訳(胸なんて飾りだぁ!)
「しょれをもってにゃいやちゅがほじゃくにゃあ!」
訳(それさえ持ってない奴がほざくな!)
2人は「ほあぁぁぁぁ!」と叫びながら抓る力を強める。
「あ、私飲み物取ってくる」とため息混じりに綾乃が言うと「俺も手伝う」と準一は後に続く。
飲み物を取りに行った準一と綾乃。飲み物の置いてあるテーブルは結構遠く、ほぼ部屋の端だった。
「ねぇ、この青なのか緑なのか分からない色の飲み物って……?」とドレス姿の綾乃はテーブル上のソレを見る。少し前のめりになり、胸が寄り、谷間が強調される。
「試しに飲んだらどうだ? 案外美味いかも」
準一が言うと綾乃は空のグラスを見せる。「サイダー的な」
「飲むの速いなオイ」
「いやー、物は見かけによらないね。試してみると新しい発見があるよ」
と綾乃はもう1つ手に取り、準一に渡す。準一は受け取り「さんきゅ」と言う。
「仲良しこよしと言った所かね?」と急に声が掛り、2人は振り向く。
見た事のある人間。準一は思いだす。校長室の肖像画の老人だ。中腰で、左手には杖。和服だ。
「失礼ですが、あなたは?」と準一。
「おっと。これは申し訳ない。わしは赤羽岬玄武。どんな役職かは忘れたが、碧武じゃ偉い筈」と赤羽岬は親指を立てる。
「ふむ、わしが覚えとる数少ない生徒じゃの、朝倉準一」
綾乃と準一は目が合う。流石に魔術師だって事は知ってるよな。
「おぬしの様に稀な存在は、常に周りに気を付けるべきじゃ。ここには、財界の大物。タカ派の国防族が紛れとる、長されんようにな」
と赤羽岬が言うと、準一は「そうですね」と笑みを向け続ける。「ですが、確かあなたも国防族と関わりが深くなかったですか?」
国防族は、現行日本政府の政権を担う与党内、比較的にタカ派の人間の寄合所。
赤羽岬は目を細め、準一を睨むように見る。「黒妖聖教会の情報かの?」
「そうです。俺の露軍残党狩り、命令を出したのは貴方だそうですね? 今は俺をスカウトしに来たんですか?」
準一は京都から帰り、幾つかの話をシスターライラから聞いた。だから、肯定し、聞いた。
しかし、いいや。違う。が赤羽岬の答えだった。
「すまんが、隣のお嬢さん。わしと朝倉君はちょっと失礼するの」
「え?」
ほぼ置いてけぼりの綾乃は少し、拍子抜けした。
「悪い、綾乃」と準一は赤羽岬に続き、パーティー会場横のテラスに出た。
「丁度夜風が気持ちいいじゃろう」と赤羽岬は一番端の長椅子に腰掛け、準一は隣に立つ。
パーティー会場が建物の5階である為、テラスも5階。すぐそこの海から来る潮風。
準一はネクタイを緩める。
「赤羽岬さん。ここまで俺を連れ出した理由は?」
赤羽岬はほほ、と笑い、目を準一に向ける。「お主は第二次日露戦争中、ロシアが日本に送った要求状を知っておるかの」
「確か、マルシフ長官のマルシフ・ノートでしたか」
そう。と赤羽岬は瞼を閉じる。「日本に向けられて送られたそれは、届かなかったんじゃ」
「届かなかった、とは?」
「行方不明なんじゃよ」
訳が分からず、準一は椅子の手すりに腰掛ける。「だからこそ、あの要求状は役目を果たせず、ロシアは敗戦国になったんじゃ」
「失礼、マルシフ・ノートの内容は、核を後ろ盾にしたロシア側からの要求の筈。戦争行為の停止、財閥解体、首都機能の停止、米軍撤退、装備解体」
他にもある。あまりに不可解な要求だ。正直、このマルシフ・ノートが届いた時、日本は優勢だった。
だからこそ、ロシア側のマルシフ・ノートは思い切った命乞いだった。
と、誰もが思った。
「いいや、それは戦争後に国防族が捏造した物。本当のマルシフ・ノートは日本政府とロシア政府の内約賄賂」
当然、賄賂。に心当たりはない。
第二次日露戦争は、魔術師という戦力を求めたロシアの侵略戦争だから、金は関係ない。
ベクターにしても、互いに賄賂せずとも、性能は高い。
「賄賂の中身は、堕天使と機械魔導天使だったんじゃ」と赤羽岬は風が吹くと同時、準一に顔を向け、準一は驚く。
「ちなみにだ。賄賂内容の堕天使、それはお主のよく知る少女じゃ」
容易に予想が出来た。
無邪気で元気な女の子。
「エルシュタちゃん、じゃったかの」
「届かなかった、と言うのはエルシュタは反日軍へ。では、機械魔導天使は?」
「そこじゃよ」と赤羽岬は立ち上がる。「機械魔導天使も堕天使も、ロシア政府が極秘裏に入手し、日本に必要以上に国土を蹂躙されない為の賃金。渡す際の警備も厳重だった、堕天使の情報は得られた。だが、機械魔導天使だけは見つからない」
「その機械魔導天使。特徴は?」
準一の問い、更に驚く事を赤羽岬は言う。「お主のアルぺリス。それと瓜二つの1号機じゃ」
「アルぺリスは2号機。1号機はアルシエル。アルぺリスをそのまま真っ黒にした様な機体じゃ」
そんな機体の存在は、準一は知らなかった。ましてや、代理も知らない。
恐らく、知っているのは幾つかの魔術師と、黒妖聖教会のシスターライラ、もしかしたら京都の御舩一派。
「お主のアルぺリスの存在が明らかになる前じゃ、アルシエルは飛行化戦隊の主力ベクター部隊に組み込むはずじゃった」
「無理がありませんか? 同じなら、翼が生えているんでしょう?」
「別にそれを使わなくとも、ユニットでカバーすれば良かろう。まぁ、それに代わってお主のアルぺリスには主力に入ってもらいたかった」
赤羽岬は大きなため息を吐く。「まぁ、スカウトはあながち間違っちゃおらんな」
「まぁ、お断りですけどね」
「分かっておる。お主は極力怒らせんようにしとるからの」
戦術も戦略も無意味にする大量破壊魔法兵器。激風碧弓碧滅魔矢。
それを恐れての事もあるからだろう。
「まぁ、わしが恐れとるのはアルシエルが善からぬ者の手に渡る事じゃ」赤羽岬は海を見る。風で水面に波が立ち、月明かりが照らしている。
「堅い話はここまで、このパーティーの後、深夜がお主ら魔術師の本当の会合会じゃぞ」
本当の会合会? またいきなり話がぶっ飛んでそろそろ頭が混乱しそうだった。
「お、おお。そうじゃ、忘れとったわ。マルシフ・ノートの件。内緒じゃぞ」
言えるわけないだろう。と口には出さず、ため息を返し、赤羽岬はパーティー会場へ消え、残った準一も少し経ってから後を追った。