カノン・ローレイン⑤
戦わせるつもりなかったんですけど、役者が揃っちゃいました
夕暮れの中、ベリーニュ基地での用事を済ませたフランセットは基地ゲートの守衛に敬礼した後、パーカーのポケットに手を突っ込んで携帯を取り出した。チカチカと光る携帯、ちょうど誰かから連絡が来ている。出てみると、知った声だった。
『あ、急にごめんなさい。カノンです』
「姉さん。どうしたんだ電話なんて」
『はい、実はまだ町のほうを探検させてもらってて、もう少し帰るのが遅くなるかもしれません』
「そうか……言ってくれれば私が案内できたんだぞ?」
『ごめんなさい、気になっちゃってて』
「いや、別に攻めているわけじゃないんだ。でもわかった。母さんたちには私から言っておく、気をつけてな」
はい、とカノンからの返事。『ありがとう、フランセット』のあと、通話が終了。携帯を耳から話したフランセットは「フランセットか……」と名前を呼ばれた事が嬉しく、ちょっとニヤニヤしながら家へと帰るのだった。
携帯をポケットに押し込んだカノンは、たどり着いた行き止まりで力なく岩壁にもたれかかる機械魔導天使を見上げた。「こんなところでも携帯の電波が入るんですね」カノンの呟きに「だね」とシミオンが頷きながら、機械魔導天使に近づく。
「何かしらの工事が地下でも行われるはずだったんだ。だから、携帯や外との連絡のための電波中継機器がその辺にいくつか置かれているんだよ」
「そうなんですか……それより、この機械魔導天使、どうするんです?」
さぁ、とシミオンはバッグを置くと足によじ登り、そのまま器用に胸部ハッチの前まで。そこでハッチに手を触れるが「開かない?」と、手を離す。
「もしかしたらもうこの天使には契約した操縦者がいるのかもしれない」
こいつに? カノンは天使を見る。魔法で岩壁や天井が青白く光っているからよく見える。この天使はボロボロだ。各所の装甲が剥げ、フレームはむき出し。それに頭部、メインカメラのバイザーもヒビが入っている。
「てっきり搭乗者が死んで無人かと思ったんだけど」
「乗るつもりだったんですか?」
「まさか、巨人同士の戦闘に巻き込まれるのは御免だよ」
困り顔で言うと、シミオンはバッグを拾い上げるとカノンに近寄り左手を差し出す。
「この手は?」
「調べ物は終わったからね。そろそろ地上へ戻ろうかと」
成程、魔法を使うわけか。理解したカノンはシミオンの手を握り、マシンガンを地面に置く。
「よろしい」
シミオンは空いていた右手を上に向け、指をパチンと鳴らすとあたりの光が消え、次の瞬間にはベリーニュの教会、礼拝堂に立っていた。今現在、既に日は落ち辺りは暗い。礼拝堂には誰もおらず、外の外灯からの明かりが中に差すだけ。
「あの」とカノンは隣に立っているシミオンに声をかけたのだが返事がなく、手も繋いでいる感触がないので横を見るがシミオンはおらず、カノンは「何だったんだろ」と、軽く溜息を吐いた後にベーカリーのほうへと戻るのだった。
巨大な不死鳥が弩級水上艦艇を背負ってニューベリー基地滑走路を視界に捉えていた。その独特のエンジン音、ベリーニュに住む人々は外に出て、早朝の空に見える巨大なそれに目を奪われていた。それは自分と再会できた事を喜ぶ両親と夜遅くまで会話していたカノンの耳にも当然聞こえており、フランセットから借りたパジャマのままカノンは外に飛び出した。
「カノン……?」
扉の音で目を覚ましたフランセットも、そのエンジン音を聞き外に飛び出すとカノンの隣に立って、彼女の視線の先を見る。
「あれ……!」
山のほうからこちらに迫る巨大な航空機、それは戦艦を背負っている。バカみたいな光景だ。
「どうして、大和とフェニックスが」
見覚えのあったフランセットは、カノンが呟いた単語で納得する。日本の部隊、それが何故ニューベリーに。その疑問はカノンも同じだったが、今は任務から外れている身、答えが出ることはないし与えられる事もないのだろう。と、町の真上に差し掛かったフェニックスを見上げるのだった。
フェニックスはベリーニュ基地のどの格納庫にも入る事ができない大きさなので、滑走路の隅に駐機することにした。その周りでは護衛のベクター、悪鬼、ミゼルが立っており、椿姫だけはフランス側のベクターの物資搬入作業を手伝っていた。
ベリーニュ基地司令ロランドに出迎えられた九条は、彼と並んで物資搬入作業を眺めていた。
「こっちが基地に近づいたところで照会するとはいえ航空機をあげてくるかと思いましたが」と九条。「あげませんでしたな」
「各種手続き済みの、日本機甲艦隊艦艇を背負った化け物みたいな航空機ですよ。警戒機なんて上げる必要はないと思いますがね」
そんなもんなのか、と九条は帽子を脱いで髪を撫でる。
「そう言えば、丁度今町の方にそちらのパイロットがいるんじゃなかったですかな?」
ロランドに言われ、カノンの事だと思い至った九条は椿姫を見る。朝倉準一に言うべきか、ここにはカノンちゃんがいるんだよ。と。
「会って行きます?」
「いえ、やめときます。ただでさえあんな機体が基地に来てるんですから、我々が町の方に出ると不安がるでしょう」
「田舎町ですから、きっと何だあれはって興味津々で聞かれると思いますがね。……九条艦長、例のブツの方はどうですかな」
ああ、と九条は笑う。
「それはもちろん、新鮮な状態で運んで来ています。えっと」と、ポケットから物資搬入リストを取り出した九条は読み上げる。「福岡の明太子、長崎カステラ、下関のフグ、熊本の馬刺し、呼子のイカ、宮崎地鶏、大分のお土産用冷凍とり天、鹿児島の桜島大根。で間違いないですかな」
「間違いない。ありがとう」
「それはいいですが、何で九州各県の名産品を?」
「この間ケーブルテレビで九州のこれらが紹介されてたんですよ。で、取り寄せようにも量が量ですから」
「成程、それでこの密輸に便乗したわけですか」
確かにロランドから注文のあった各食べ物はかなりの量だ。フェニックスでの食材保管庫冷凍、冷蔵庫の半分をこれらで使った。
「全部お一人で?」
「まさか、今夜にでも基地でパーティーをやるんでそこで食べますよ。折角ですし、食材の調理法なんかもお聞きしたいんですが」
「それは作業の進捗状況次第ですかね」
ベーカリーではフランセットがジョゼフと共にパンの配達に出かけており、残ったカノンはキャサリンと共にパン焼きオーブンでパンを焼いていた。操作盤に手を当てながら、中のパンの焼き加減を見、ここだと言う所でパンを取り出したカノン。
「覚えが早くて助かるわ。それにしてもカノン、パンを焼いた事があるの?」
「日本でパン屋さんを手伝った事があって、その時に教わったんです」
「そうなのね。本当に、日本で色々な事を覚えたのね」
カノンは昨日の夜遅くまで両親と日本の事、日本で覚えた料理、家事、学業、運動、それにちょっとした旅をした事なんかを話していた。
「カノンの話を聞いてたから日本が気になって仕方ないわ。そうだカノン、今度家族旅行する時は東京に行くから案内してもらおうかしら」
「私東京じゃないところにいたので」
「そうだったわね……じゃあ東京は一緒に回りましょう」
それなら、とカノンは返事しながら作業に戻ったキャサリンの顔を見る。本当に、カノンといるのが嬉しそうな顔、それはそうだろう。行方不明だった娘が帰ってきたんだから。でも、でもまだ帰ってきたわけじゃない。
「あ、あの……実は」意を決し、カノンは言うことにする。「私はまだ本当に帰ってきたわけじゃなくて、あの」
「分かってるわよ。……私達のところに居るか、日本に帰るかっていうのを決めなきゃならないんでしょ?」
はい、頷いたカノン、それに詰め寄ったキャサリンはカノンのほっぺを引っ張って目を合わせる。
「母親として我儘を言うのなら、家族四人に戻れたらって思うわ。でも、あなたには日本で過ごした時間もある。だから一番良いのは両方選べたらって、でもそれはできないのよね」
カノンは無言でうなずく。
「だったら」ニコッと笑ったキャサリンはカノンのほっぺから手を離す。「ローレインの方に残ってくれるように、私たちは全力を尽くすまでね」
キャサリンのその言葉にカノンは「期待してますね」と笑顔で返し、焼きあがったパンを棚に並べるのだった。