ヒーローside: バタフライ/Dream to "float like a butterfly"
煌めく空で蝶が舞っている。
人々が眩しそうに見上げる中、ひらひらと優雅な動きで舞い踊っている。
踊りのパートナーは人と同じ大きさの鳥。人間の住む世界とは違う世界からやって来る魔物。翼をはためかせ縦横無尽に空を飛び回りながら、風の刃を巻き起こす。蝶はそれを優雅な動きで避けながら尚も踊る。
小太りの全身タイツで背に安物セロファンの羽を貼りつけた中年の蝶が踊る毎に、輝く鱗粉が撒き散らされ、空は虹色に煌めいていく。鳥は虹色の鱗粉を浴びる毎に動きが鈍り、次第次第に弱っていく。
蝶の鱗粉は更に増し、鳥の衰弱は更に加速する。
誰もが踊りの終わりを予感する。
だが踊りは終わらなかった。
人々の間から驚きの声が上がる。
鳥が人々目掛けて落ちだした。衰弱して落ちているのではない。明らかに自分の意志で見上げる人々へ落ちている。
誰もが理解する。ヒーロー物のお約束、敵は卑怯にも人質を取ろうとしているのだと。けれど誰も動けない。人質なんて画面の向こうのお話。画面の向こうにどんな危機が訪れたって、テレビの前の者が実際に逃げようとするだろうか。
呆然としている人々に向かって落ちていく鳥。蝶はそれを踊る様に回転しながら優雅に追った。
鳥が地面に着地し、傍に居た怯えた女を掴むと、その首に鉤爪を当てる。女は恐怖で悲鳴すら上げる事が出来ない。これで手出しは出来ない。勝ち誇った様子で鳥は追ってくる蝶を睨む。そこにある絶望の表情を見ようとして。
蝶はあくまで優雅だった。
慌てる事無く美しく、まるで世界に己しか存在しないかの如くして、鳥にも人質にもまるで注意を払う事無く着地すると、踊りの一環だと言いたげな様子で、実際に踊りながら鳥と人質まで近寄り、何か喚いている鳥と泣き叫んでいる女を無視して地面を蹴って飛び上がってから、空中で回転しつつ鳥の脳天に足を叩きつけた。
鳥は意識を失って崩れ落ちる。鳥と一緒に倒れそうになった女を蝶が抱きとめる。
女は混乱した様子で、抱きとめてくれた蝶を見上げ、そこに居る中年小太りの全身タイツに安っぽいセロファンを背中に張って脂ぎった満足顔を晒している変態男に悲鳴をあげると、思いっきり股間を蹴りあげて一目散に逃げ出した。
しばらく悶絶していた男がようやっと回復した頃に、警察のサイレンが聞こえてきた。
私服姿の男は憮然として肩を落としながら歩いていた。
魔物を倒し、人々を助けたのに何処からも賛嘆する声が上がらなかった。それどころか何故か警察に格好の事を聞かれ、無礼な説教をされた挙句、危うく連行されるところだった。
勿論、男は自分に問題がある事は分かっている。どんなに人を助けても、魔物を倒して、犯罪者を捕まえても、感謝をされず、むしろ悲鳴を上げられ、不信の目で見られて嫌われる理由は分かっている。それは自分が未熟だからだ。ヒーローとしてまだ認められていないからだ。
先程もそうだった。油断から魔物に人質を取られ、どうしようもなくなって、人質を見捨てて魔物を倒す事を優先した。糾弾されてしかるべきだろう。人質の女性に怖がられ攻撃された事も頷ける。そんな未熟な自分だから嫌われている事自体に文句は無い。
けれどヒーローの中には明らかに自分より劣った者が居る。実力拙く、人々を危険に晒し、むしろ迷惑を掛けているヒーローが沢山居る。それだというのに、彼等が魔物を倒すと賞賛の声が上がる。それどころか失敗しても、次は頑張れよという応援の声が上がる。
明らかに劣る彼等よりも一等低く見られている自分。そこが腑に落ちず、自分と彼等の何が違うのだろうという疑問は、男の中でずっとわだかまっていた。
最近は娘にも白い目で見られ始めているしなぁと溜息を吐きながら、泊まっているビジネスホテルに向かっていると、ふと女の子の消え入りそうな声が聞こえてきた。
ヒーローの勘が警鐘を鳴らす。事件だと。
男は急いで蝶へと変身し、声のしている方へ優雅に向かう。細い路地の奥まった所に辿り着くと、そこに黒い服を着たがたいの良い男達とそれに囲まれたまだ小学生位の女の子が居た。
黒服の男達は何か女の子に話しかけている。女の子は首を振ってそれを否定している。病院をそのまま抜け出してきた様な格好をしている。
状況は不明瞭。だが小さな女の子が男達に囲まれている。この状況を救わずして、何のヒーローか。
蝶は回る。回って踊る。
男達が蝶に気付き顔を向けた時にはもう遅く、生み出された鱗粉が男達の意識を奪い取った。
地面に倒れ伏して眠りこけている男達を無視して、蝶は女の子に近付いた。
「お怪我は無いかね、シニョリーナ」
女の子は蝶を見上げ、辺りを見回し、また蝶を見上げた。蝶はじっと女の子の返事を待つ。女の子はまた辺りを見回してから、無表情で自分を指差した。
蝶は笑う。
「そうだよ、シニョリーナ」
「私シニョリーナなんてじゃない、です」
「いいや、シニョリーナだよ。恐らく、ね」
「シニョリーナじゃない」
「君みたいな子の事をシニョリーナっていうんだ」
「そんな名前じゃないもん」
女の子が泣き出しそうになったので、蝶は慌てて言った。
「分かった。俺が悪かったよ。それじゃあ君の名前を教えてくれるかな?」
「私、名前は七」
「そうか、ナナちゃんか」
「シニョリーナじゃない」
女の子が涙を浮かべ始めたので、蝶はなだめる様に女の子の頬に手を添えた。
「分かった、それは分かったよ。それでどうしてこんなところに? 親御さんは?」
「おやご?」
「両親は?」
「両親は知らない」
ナナが首を振って否定する。蝶は複雑な事情がありそうな事を予感して、益々放っておけなくなった。
「それじゃあ、何処から来たの? お家は?」
「その前に、誰ですか。名前を言わない人には教えちゃいけませんって本に書いてあります」
「ああ、しっかりしてるね。えっと、じゃあ、君は蝶を知ってる?」
「本で読んだ事あります」
「それが俺さ」
ナナが無表情で蝶を見た。
「本の蝶々さんと違う」
「その本には沢山の蝶が居なかった?」
「居た! 沢山!」
突然大きな声を出したナナに面食らいつつ、蝶は自分を指差した。
「本当は他にももっと沢山の蝶が居るんだよ。その一人が俺なんだ」
ナナはしばらく考えこむ様に下を向いてから、顔を上げた。
「それじゃあ、名前は?」
「柴田、平治」
「ヘイジ蝶?」
「ああ、平治ちゃんだ。さて、それでナナちゃんは何処から来たの?」
「私は第二研究所から逃げてきた」
「第二研究所?」
きな臭い単語に平治は顔をしかめる。そういえばと噂を思い出す。この魔術都市には人道に背く様な研究所があるという噂。魔検の主導で様々な人体実験が行われているとか。良くある噂なので気にも留めていなかったがもしや。
平治が険しい表情で考え込んでいるのを見上げて、ナナが泣きそうな顔になった。
「やっぱりヘイジ蝶も怒る、ですか?」
「え?」
「怖い顔してる。研究所の人みたいに怒るですか?」
「いや、そんな事は」
平治は慌てて自分の眉根を揉みほぐして笑顔を作った。
「勿論、そんな事無いよ」
「逃げたの、怒ってない?」
「怒ってないから大丈夫」
研究所がどんな場所だかは分からない。本当に怪しいのかどうかも、けれど目の前の女の子にとって研究所というのは怖くて逃げ出したくなる様な場所らしい。だったらヒーローの取るべき道は決まっている。
「ナナちゃんは研究所から逃げてるんだよね」
「そう、です」
「何処か行きたい場所でもあるの?」
ナナは首を横に振った。
「じゃあ、とにかく逃げたいんだ」
「うん。あんなところ戻りたくないです。苦しいから」
平治は思わず涙が出そうになり、目頭を押さえた。さっきからナナはずっと無表情で、時折見せる感情は泣き顔だけ。一体研究所でどんな仕打ちを受けたのか。
平治のぼやけた視界の中、ナナは無表情で尋ねてきた。
「もしかして助けてくれる、ですか?」
「ああ、勿論。俺はヒーローだ!」
ナナにそう告げた時、平治は本当の意味で自分がヒーローになった気がした。
何があっても守ってみせる。どんな敵にも打ち勝ってみせる。沸沸と正義の心が湧き上がっていく。
「あの、お腹が減った。です。走ってて。何も食べてなくて」
「ああ、それは大変だ! 何が食べたい?」
「天然極上本マグロ。今日テレビでやってた」
「ああ、望むところだ!」
男はぐっと拳を握りこんでポーズを決めてから、自分の耳がいかれたんじゃないかと、少女にもう一度何が食べたいのかを尋ねてみた。