ヒーローside: 法子/ヒーロー
マンションの入口の影に隠れて、道一つ越えた先の広場を観察していたアイナは長く息を吐き出した。
今、広場は銃を持った男達に占領されている。彼等の目的は未だ分からないが、物騒な事だけは間違いない。
広場が危険に晒されている様子を眺めながら、アイナは不思議に思う。何故男達は広場を占拠出来たのか。
この広場には警備員が居たはずだ。その上、ヒーローを擁する魔検の事だから、ヒーローだって配備していただろう。それなのに何故男達は物々しい銃を持って広場に入り込めたのか。そもそも警備員達は何処に居る。隠蔽して入り込んだにしても結界を破って転移してきたにしても、それなら警備員達が集まってくるはずだ。未だに警備員が現れないという事は既にやられたのか。だとしたら何故その前兆が無かった。複数の報道機関が中継していたこの一帯で、誰にも気が付かれる事無く警備員を黙らせたというのか。
不信の念が拭えずに、背後に居るサクラに向けて声を掛ける。
「サクラ、何だか様子がおかしいよ」
そこでアイナの言葉が止まった。背後にサクラ以外の気配を感じて。
背筋が凍る。
無防備を晒していた自分に対して誰かが刃を向けている。
そんな気配。
自分は捕捉されている。
その事に気が付いて、怖気が走った。喉が鳴る。
一体いつの間に。サクラはどうした。何者だ。
ちりちりと背後の気配から発せられる気に晒されて、後頭部に嫌な感覚がわだかまる。いつでもこちらを殺せそうな程の強い気配が背後からやってくる。
だが敵意が無い。
敵か味方かは判別が付かない。けれど向こうは攻撃する気が無い様だ。
瞬間的にそこまで思考したアイナは敵意が無いのであれば話し合いの余地がありそうだと判断した。
だがサクラの方はそう判断しなかった様で、唐突にサクラから凄まじい殺気がほとばしる。
アイナは慌ててサクラを止める。
「サクラ、待て」
「分かっています。アイナ様」
殺気に反して優しげなサクラの言葉にアイナが振り返ると、サクラが自分を庇う様にして立っていた。その肩越しに男が見える。三十路頃の少し不精な印象を受ける男が無表情でこちらを見つめてくる。目の色に敵意は無い。だが空恐ろしい感じがした。
「サクラ、向こうに敵意は無い様だ。だから」
「分かっています。敵意がある様なら既に引き裂いております」
サクラから笑いの気配が漏れてくる。顔は見えないが凶暴な笑みを浮かべている様だ。
「サクラ、ここは穏便に」
「ええ、分かっています。このまま戦えばアイナ様が傷ついてしまうのは必至。ですから、ご許可を頂けないでしょうか」
「駄目だ」
不満そうな顔でサクラが振り返る。それを無視してアイナは男を見据えた。
「それであなたは?」
男はしばらく黙っていたが、やがて懐から一枚のカードを取り出して、見せつけてきた。
「日本魔術検定協会の徳間真治だ」
聞き覚えのある名前に、アイナは少し考え、思い当たった。もう一度カードを眺めて、それが本物である事を確認する。途端に全身から力を抜いた。
「ああ、名前だけは聞いているよ。日本最強のヒーロー、魔検の切り札、だったかな?」
「色々と誇張が入っているが、恐らくそれだ。で、あんたらは?」
「私はアイナ・テイラー・ブリッジ。そちらはサクラ。コンサルタントみたいな事をしているよ。魔検とも多少は関わりがある」
「ああ、あのお嬢様か。随分とこの業界じゃ顔が効くらしいな」
「誇張が入っているね」
アイナは一つ微笑んでから、サクラを睨み殺気を収めさせると、徳間に尋ねた。
「それで、一体何故ここに?」
「こちらの台詞だ。この辺りは作戦区域。何故ここに居る」
「何故と言われてもこのマンションは私の家だ。咎められる謂われはない」
「ああ、そうか。だがとにかく邪魔なんだよ。下手な事はしないで、大人しくしていてくれ」
徳間のぞんざいな言葉にアイナはむっとして言い返した。
「だったらさっさとあの広場を奴等から取り返したらどうだい? 向こうじゃビルが未だに爆発を起こしている。ヒーローだというなら指を咥えて見ているんじゃなく、人々を救うべきだろう?」
徳間が面倒そうに溜息を吐く。
「救うって何から何をだ?」
「だからあのテロリスト崩れから人質達を」
「人質なんて何処に居る?」
「だったらあの広場に居るのは一体」
そこまで言って、自分の言葉に疑問を持った。あそこの広場に居るのは、誰だ。何故目の前のヒーローは人質を前に飄々としている。先程抱いた不信を思い出す。警備員やヒーローは何処に居る。
「分かったか? だったら大人しくしていろ」
そう言って、徳間はぶっきらぼうな笑顔を浮かべて、未だに睨みを止めないサクラの肩に手を載せようとしたところ、思いっきり打ち払われて、一瞬呆気に取られた後、ばつの悪そうな顔で広場を眺めた。
「ま、まあ、その、何だ、あー、おっと、これから演説が始まるみたいだな。事態が進行すればもう少し炙り出せるだろう」
広場のステージに立ったリーダー格らしき男が拡声器を手にしてハウリングを起こしている。ステージ脇の部下達が慌ただしくなり、やがてハウリングが消えると、リーダーは拡声器を使って、辺りに声を響かせた。
「魔術の破壊者たる日本魔術検定協会に告ぐ!」
再びハウリングが起こり、ステージ脇の部下達が慌ただしく動く。リーダーが拡声器を振り上げて、部下達を叱責する。
その瞬間、空から落ちてきた魔女の刀がリーダーの頭をぶっ叩いた。
リーダーは為す術も無く昏倒して、その脇に魔女が着地した。魔女はリーダーの手放した拡声器を空中で掴み上げ、辺りを睨み回す。
「な、あの馬鹿」
徳間が呆然と呟いたのを聞きながら、アイナは胸のすく思いで広場を見つめている。
リーダーを倒した法子が広場を睨み回すと、リーダーを倒された部下達は混乱から立ち直り、下がっていた銃を起こし始めた。そっちがやる気ならと、法子が刀を持つ手に力を込めた瞬間、勝負が決した。敵が引き金を引くよりも早く、突然人質に取られていた人々が敵達へ向かって思い思いの攻撃をぶつけた。あっという間に敵は昏倒し、呆気無く広場の占拠は解かれてしまう。
その手際の良さ。法子は人質の中に見知った顔を見付けた。
驚いて拡声器越しに問いかける。
「え? もしかしてみんなヒーロー?」
途端に広場の人々から怒鳴り声が上がり始めた。
法子はおどおどと一歩退がる。
「え? 作戦? そんなの知らないですよ。全然聞いてない」
人々の抗議の声が高まる。メールが来てたろという声に、魔女は慌てて携帯端末を取り出して、拡声器越しに呟いた。
「あ、ホントだ。メール入ってる」
凄まじい罵声の嵐がやってきて、法子はたじろぎながら反論する。
「でも、敵は倒せたんだし」
また抗議の声が上がって、法子は泣きそうになりながら一歩退いた。
「だって作戦て言われたって」
泣き出しそうな法子を見て段々と声が弱まっていき、最後に何処かから「分かったから、さっさと締めろ」という声が聞こえた。
「え? 締めるって?」
今度は励ます様な言葉が沢山聞こえてきて、やっぱり法子はたじろいだ。
「え? 宣言て? え? 何? 何か言えば良いの? カメラ? カメラって何処? 何で私が?」
再び抗議の声が混じり始めて、法子はまた涙目になりながら慌てて言った。
「分かった。言います! 言いますから! ちょっとカメラ! カメラ何処?」
全員が一斉に広場の後方に居るカメラを指差したので、法子は覚悟を決めて顔を引き締める。
「えっと! 皆さん! 悪い事をする人は私達ヒーローが捕まえます。なので皆さんは安心して下さい! 後、悪い事をしないで下さい!」
場が静まった。
法子が不安そうに広場に問いかける。
「あの、こんな感じ?」
一斉に大ブーイングが襲ってきて、それに留まらず、一人の魔法少女が壇上に上がってきた。
「ちょっとちょっとちょっと!」
高校生位でちょっと気の強そう、というのが法子の抱いた第一印象で、その第一印象に違わず、魔法少女は遠慮呵責無く寄ってきて、法子の鼻先に指を突き出してきた。そうして拡声器を奪い取って法子に向かって怒鳴る。
「何でまたあんたが目立つ訳? しかも何今の! 全然駄目じゃない!」
「え?」
「え、じゃない! 毎回毎回、大した実力も無さそうなのに、でしゃばって、いっつも人の活躍取って」
「あの」
「あんた、何歳?」
「え? えっと、あの、年は」
「もっとはきはき喋れ!」
「ひっ」
法子が驚いて身を竦ませると、魔法少女が頭を抱えながらステージを思いっきり踏みしめた。
「むかつく! ホントむかつく! 何、そのアピール!」
「え? アピールって?」
法子の疑問を黙殺して、魔法少女がカメラへ向いた。
「私は桐生来夢! ここに居る情けない女なんかよりも、私の方が絶対にヒーローに相応しい! 私はこの女なんかよりももっと有名になって、世界一のヒーローになります! こんな女よりももっと皆の役に立つ凄いヒーローになります! だから応援よろしくお願いします!」
宣言を終えた来夢は鼻息を荒くしながら拡声器を法子に突き出した。
「何か言う事あるでしょ?」
そう言われても特に言う事の思いつかない法子は、迷った末に笑いかけた。
「あの、来夢って可愛い名前だね」
その瞬間、来夢が凄まじい表情で睨んできたので法子は慌てて口を噤んだ。
もうどうしたら良いのか分からずに、ステージの下へ助けの視線を求めるが、何やら熱狂した様子で来夢コールをしていて、助けなど望めそうにない。
「あうう、助けて将刀君」
法子が何処かに居る彼氏に向けて力無く助けを求めると、来夢がまた怒鳴ってきた。
「ほら、それ! そのアピールを止めなさいって言ってんの!」
「だから、アピールって」
はっと法子は気が付いた。来夢が何を言っているのかまるで分からなかったが、もしかして来夢は将刀の事が好きなんじゃないか。彼氏の将刀はヒーローとして有名で人気者で、格好良く本当に素晴らしく、その上性格も良く運動も得意で辛い時は助けてくれるし何をしても喜んでくれていつも優しくこんな自分を一途に好きでいてくれてとにかくこの上無い、誰が見ても憧れる存在。だから相手が将刀の事を好きだとしてもおかしくない。むしろ全ての人間が将刀に好意を抱いていてもおかしくない。見つめてくる来夢の睨む様な視線。何だか「お前が将刀様の彼氏だなんて認めない!」と言っている様だった。
それに気がついて、法子は薄っすらと笑った。
ああ、そう。
だとすればこれは負けられない戦いだ。他の何を置いてでも。
すっと頭の冷えた法子は来夢から拡声器を奪い取る。
驚いた来夢としっかり目を合わせ、口を開いた。
「あなたの言いたい事は分かりました」
来夢が訝しんで黙り込んだ。会場が水を打った様に静まった。
「でも認められません」
来夢の目が見開かれる。
会場がどよめく。
「あなたがどんな思いを持っていても、将刀君は渡さない! 将刀君の彼女の座は絶対に譲らない!」
刹那の時間、会場から音が消え、その後、一気に歓声が上がった。
法子は沸き立つ会場の空気に後押されて、呆然と口を半開きにしている来夢を指さす。
「だから! あの、つまり、その、そういう事だから!」
そう言って満足して息を吐き、法子はふと自分が何を言っていたのかに気が付き、そうして会場に沢山のヒーローが居る事を発見し、その向こうに恐らく全国放送されているであろうカメラを見つけ、途端に肌が粟立つのを感じた。
来夢が抗議しようと手を伸ばした時には、既に法子は顔をこれ以上無い程赤くしながらその場を逃走していた。会場は依然沸き立ち、カメラはその様子を全国に流し、マンションの入口ではアイナが笑みを浮かべながら「やっちゃったねぇ」と呆れた様子で呟いて、その隣でサクラが感涙の涙を流しながら何度も頷き、その後ろで徳間が会場の様子を眺めながらじっと思案していた。
翌日、全国は三つの報道で持ちきりとなった。
一つは落成式を狙ったテロル。特にとあるサイトにアクセスが殺到した。女らしい端正な顔立ちの男の笑顔をどアップに掲載されている魔検への宣戦布告サイト。サイトには占いやゲームや漫画も載っている。
もう一つは後輩ヒーローが先輩ヒーローへ行ったライバル宣言。全国から魔検に対してその二人のヒーローについての問い合わせが殺到した。ちなみにそれぞれの人気はともかくとして、恋の鞘当ての勝者としては来夢の方がより望まれている。
最後に四人目のヒーロー殺害。同じ手口で同一犯である事はほぼ間違いがない。だがやはり手掛かりは依然見つかっていない。ヒーローが一人一人殺されていく重大事件の割に前二つの事件に比べると人々の関心は大分薄い。だが確かにその異常性は、人々の心に影を落とした。