犯罪者side: 法子/魔王
法子が痛みに耐えながら起き上がると、目の前に二人の後輩が立っていた。
「神様! お久しぶりです、神様!」
「エミリーちゃん、いっつも言ってるけどいきなり抱きつくのは止めて。痛いから」
法子がたしなめると、エミリーという名の大学の後輩は元気よく答える。
「はい! 今度からは気をつけます!」
「うん。でもどうせ抱きついてくるんでしょ?」
「はい!」
何の曇りも無く答えたエミリーに呆れつつ、法子はエミリーの隣に立つ四葉に目を向けた。
「四葉ちゃんも久しぶり」
「先輩、久しぶりです」
「今日はどうしたの?」
法子の問いに、隣に立っていたエミリーが寄ってきた。
「実はですね、実はですね」
そう、急く様に縋るエミリーを無視して、四葉が言った。
「実はこの町に魔王がやって来るので、辺りを警戒中なんですよ」
「え? 魔王が?」
「ああー、私が言いたかったのに!」
法子達の住む世界とは別に、魔物達の住むもう一つの世界がある。もう一つの世界にも沢山の文化があって、沢山の国がある。そうしてその国を治める者は魔王と呼ばれ、太古より人々に恐れられてきた。交流の増えた今では、外交としてこちらの世界にやってくる者も多い。
「でもこんなテロが起こってる町に」
「そうなんですよ。でもどうしても来たいからって向こうが強く言うから、仕方なく招いたみたいで。それもついさっき打診があったとかで、もう大変らしくて。それでテロリストを刺激しない様にお忍びでの訪問にして、警備も今強化中です」
「へえ。その警備に選ばれたんだ。二人共凄いね」
「いえ、ヒーローには全員声が掛かったはずですよ。ヒーロー殺しの法子先輩以外は」
「ぐ。知ってるんだ」
「摩子先輩は呼ばれたけど完全無視したみたいですけど」
「え? そうなの?」
法子が振り返って辺りを探す。ところが摩子の姿が何処にも無かった。
「そんな感じで、警備中だったんですけど、先輩がニュースになったから慌てて飛んできて」
「そうなんですよ! どうしたんですか、神様! 殺したい人が居るなら私に言ってくれれば良かったのに!」
「うん、ありがとう。でも別にそんな。あれは誤解というか、はめられたというか」
「嵌められた? 誰にですか? もしかして魔検にですか? だったらご安心下さい! 魔検と戦う事になったら、私が先陣を切って潰します、神様!」
「うん、ありがとう。でも出来れば穏便に済ませたいんだけど」
過激な事を言うエミリーに法子が辟易してそう言うと、エミリーは胸を張った。
「それなら大丈夫です! お父さんが会見を開くって言ってましたから!」
「会見? お父さんって徳間さん?」
「そうです! 神様が無実ですよっていう会見です! もうそろそろ始まっていると思います!」
そう言って、エミリーは法子の手を引いて店の中に入った。そうしてテレビをつけると丁度ニュースがやっていて、町の広場に立つ徳間が法子の無実を訴えている。
だがそれよりも徳間の隣に立つ人物に驚いた。
「摩子が何で? いつの間に?」
徳間の隣には摩子が居て、法子が殺したとされる男を引き連れて立っていた。
テレビを見ている法子の後ろにきんげんやが立って唸る様に言う。
「うーん、姿が見えないと思ったら、法子君の無実を晴らしに行ったみたいだね」
「摩子が」
「しかしいつあの男を捕まえたんだ? あれは君が殺したはずの男だろう? とっくに逃げていただろうし、幾ら何でもさっきの今で捕まえられないとは思うんだけど」
きんげんやの言葉に、法子は事の発端となった戦いを思い出す。あの時摩子は辺りの人間を全て闇に引きずり込んでいた。
「それは最初から捕まえてたから」
「成程。僕にも内緒にしてた訳か」
面白がる様なきんげんやの言葉を聞いて、法子は首を振る。
「多分、内緒にしたんじゃなくて忘れてただけだと思いますけど」
「いいや、摩子君の事だから、君以外の全員が信用出来ないと考えて隠していたんだろう」
「摩子がそんな隠し事なんてするとは思えないです」
するときんげんやが小さく吹き出した。
「まあ、とにかくこれで君の無実が知れ渡る。君の殺人が無かった事は確定したし、徳間真治の影響も大きい」
「そう、ですね。安心しました。みんなのお陰で」
法子が画面を食い入る様に見つめながらそう答えると、きんげんやは法子の肩を軽く叩く。
「本当に大変なのはこれからだけどね」
「え?」
振り返るときんげんやは真剣な表情をしていた。
「これから魔検がどう出るのか分からないけど、あんな大掛かりな事をしたんだ。冗談では決して無い。また何かしてくる可能性は十分考えられる。その上、あの男を最初から摩子君が捉えていたのなら、魔検だってすぐに露見して君が無実になる事は分かっていたはずだ。それなのに何の手段もとらなかったという事はやはり何か裏がある」
「そんな。じゃあ」
「謀略戦は始まった以上、相手を叩き潰すのが基本だよ。当然こちらにとってもね」
きんげんやの言葉に法子は俯く。
「そんな、叩き潰すって。そんなの。相手はあの魔検ですよ? 魔検を潰したりなんかしたら」
「どうなるっていうんだい?」
「だって、大変な事に。この町のテロはもっと酷くなるし、魔検が潰れたら魔術関連の」
「それは自分の命よりも大事なのかい?」
「それは、でも」
その時、突然店の外が騒がしくなった。二人が不思議に思って、入り口を見ると、ラクラとシンシと四葉に支えられた血だらけの将刀が連れられてきた。意識が無いようで引きずられる様にしている。将刀は本当にぼろぼろで、変身した衣装はあちこちが破れ、体は全身傷だらけ、その上片腕が無かった。生きているのかも分からない位だった。
「将刀君!」
法子が慌てて駆け寄ると、将刀は突然顔を上げ、笑みを浮かべた。顔の一部がえぐれている。法子が悲痛な叫びを上げると、将刀はまた意識を失って項垂れた。そのまま、誰かが持ってきた布団に寝かされる。その傍に座り込んだ法子は呆然と呟いた。
「将刀君、何で?」
叩き潰された顔を見つめて思わず涙が出そうになる。
座り込んで動けない法子に、傍に立つ四葉が答えた。
「魔検が危ないって。法子先輩を守らなくちゃいけないって。そう言ったきり気絶しちゃって」
魔検が?
これを魔検がやった?
「待て、法子君」
気がつくと、何故か自分は立ち上がっていて、目の前にきんげんやが立ちふさがっていた。目の前が真っ赤に染まった様に暗く陰っている。
「怒るのは分かるが、このまま魔検に乗り込んだって何の意味もない」
立ち塞がるきんげんやを法子は手で横に押しのける。
「どいて下さい」
きんげんやは通りすぎようとする法子の腕を掴んで止めた。
「駄目だ。冷静にならないと」
「冷静になんてなれる訳無い。将刀君がこんな事をされたなら、彼女の私が仇をとらないと」
「ただ乗り込んでどうするつもりだい? 今のままじゃ何にも」
「どいて下さい」
法子は思いっきり手を振り払うと、店の外へ出ようとした。
「みんな法子君を止めるんだ」
きんげんやの言葉に皆が戸惑いだす。皆法子の気持ちは痛い程良く分かったし、それを手伝いたいとする思っている。けれどきんげんやの言う事も正しく思えて、ここは法子を止めるべきだと理性が言っている。感情と理性の板挟みにあって、皆その場を動けない。そんな中、ラクラとシンシ、エミリー、四葉だけは真っ先に動いて法子の前に立ちふさがった。
「待って下さい、神様!」
四人は口々に法子を説得しようとしたが、法子は聞く耳を持たず、刀を腰に溜めて構えを取った。
「邪魔するんなら切るよ?」
四人が硬直する。法子の言葉が混じりけの無い本気だと分かって。
四人が硬直したのを見て構えを解いた法子は固まった四人の横を通り過ぎる。その肩をきんげんやが掴んだ。法子はゆっくりと振り返ってきんげんやを睨み上げる。
「きんげんやさん、もしも邪魔するなら」
「僕達と戦う気かい? それは最悪の一手だけれど」
「でも戦わないと行けないじゃないですか。だから戦いますよ。それが最悪の一手でも」
「今までに無い位、頭に血が上っているね」
「はい。今何するか分からないんでほっといてくれますか? 例えそれが最悪であっても何でも、私は仇をとらなくちゃいけないんで」
きんげんやは溜息を吐いた。
「じゃあ、端的に君が如何に見境を無くしていて、愚かな事を言っているか教えてあげよう」
訝しむ法子に見せつけるように、きんげんやは将刀を指さした。
傷だらけの痛々しい将刀を見て、法子は胸が締め付けられそうになる。
「君がもし仇をとろうと僕達と叩くのであれば」
きんげんやが将刀を指さしたまま薄っすらと笑う。
「あれを殺すよ?」
その瞬間、法子の頭の中が真っ白になる。そこへきんげんやの言葉がねじ込まれてくる。
「君はあれの仇をとろうとしているんだろう? でもまだ死んでいない。それを本当の仇討ちにするよ? 言っている意味は分かるかい? 君がもしも僕達と戦うのであれば、苦肉の策として、非常に残念ながら、本当に心苦しいけれど、将刀君を人質にとって、それでも君が戦いを挑むのなら彼を殺す。勿論君がこのまま魔検に乗り込もうとしても同じ事をする」
法子の喉がいつの間にか干上がって、言葉すら漏らす事が出来ず、ただ荒い息が何度も何度も吐き出される。
「こういう事だよ。君は周りが見えていない。君が一番大事にしている事を考えなくちゃいけない。君がこれから魔検に乗り込んだって何にもならないというのはそういう事さ。君はまず第一に、君の周りに居る人々の安全を考えなくちゃいけない」
法子は将刀を見つめる。見つめている内に涙が溢れてくる。ずたずたにされた体、消えた腕、潰れた顔。将刀がこんな酷い姿になって。それを考えるとまた胸の内に憎しみの炎が灯った。
「でもだったら私はどうすれば!」
「将刀君の傍に居てあげると良い」
「でも私が居たって何にも」
「なる。将刀君の傍に居てあげるんだ。少なくとも君が魔検に突っ込むよりは、よっぽど将刀君の為だよ」
法子は半ば放心状態になって、将刀の下へと歩み出した。一先ず自暴自棄に魔検へ行こうとするのは止めた様で、店中の皆が安堵の息を漏らす。
法子はふらふらと将刀へ向かって歩いて行く。そこには痛々しい姿の将刀がいる。将刀君は大丈夫だろうか。死にはしないと思う。死んでほしくない。死んだら自分も後を追う。全部私の所為なのか。一体私が何をした。どうして自分が狙われなくちゃならない。どうして将刀君が傷付けられなくちゃいけない。一体誰がやったのか。ただじゃ済まさない。将刀君が元気になったら必ずこの手で切り捨ててやる。
様々な事が一度に浮かんできて、整理が出来ず、ほとんど呆然とした状態で、将刀へ向かって歩いていると、突然背後に凄まじい気配を感じ取って振り返った。
振り返ると、店の入口に布を巻いて顔を隠し、揺らめく法衣を纏った何者かが立っていた。その身の内からは凄まじい力の気配が溢れている。
全員がその闖入者に顔を向ける。
怪しい出で立ちに警戒心が最大まで引き上げられ、覆面の傍に居る者は構えを取り、将刀の傍に居る者は将刀を守る様に立ちふさがる。そんな中、法子は一歩覆面に向けて歩みだし、刀を構えて覆面に向かって問いかけた。
「誰?」
覆面は答えない。友好的な気配は感じない。法子の警戒が高まっていく。
「もしかして、将刀君を追ってきた?」
覆面は答えない。
「もしかしてあんたが将刀君を傷つけた?」
覆面は答えない。
法子の心が苛立っていく。
「質問に答えろよ! 将刀君を傷つけたのはあんたなの?」
覆面は答えない。
次の瞬間、法子は激昂した。
「将刀君を殺そうとしたのはあんたかって聞いてんだよ!」
一瞬で覆面の目の前に迫ると、覆面の首に目掛けて刀を振るう。
だが覆面は屈みこむ様にして刃をかわし、法子の衣装を引っ張り足を払って宙に放る。法子は慌てて空中で体勢を整え着地した。覆面を睨みつつも内心では戦慄する。
強い。
覆面は一歩足りとも動かずにこちらの攻撃をいなした。宙に放られた時に追撃されていれば、やられていたかもしれない。けれど覆面はそれをしなかった。それはきっと覆面が、そんな事をしなくても勝てるという自信を持っていると言う事。そうして実際に今、あっさりと法子の攻撃を受け流してみせた。
強い。
法子は相手の力量に冷や汗を掻きながらも、隙を窺い続ける。幾ら強いからといって、退ける訳が無い。店の中には将刀が倒れている。
「みんな、将刀君を連れて早く逃げて!」
法子がそう叫ぶと、誰かが叫び返した。
「ても神様!」
どうして早く逃げないんだと法子は苛立って、もう一度叫んだ。
「あんた達が居たって変わらない! 邪魔だから早く行って!」
皆が沈黙する。
普段の優しい法子からは考えられない辛辣な言葉に全員何も言えなくなった。そうして戸惑った様子で、どうする事も出来ずに立ち尽くしている。
それを見て、まだ逃げないのかと法子は更に苛々とする。
「早く逃げろって言ってんの! 将刀君を連れて早く逃げて! お願いだから!」
だがやはりみんな逃げずにその場で立ち尽くしたまま。
法子は駄目だ任せていられないと諦め、だったら覆面が他に攻撃する前に仕留めなければならないと、ゆっくり長く息を吐き出した。
「タマちゃん。初めから本気で行くから」
「いや、法子ちょっと待てよ。あれは」
タマちゃんまで止めようとするのかと、頭に血が上った法子は、タマの言葉を無視して、戦闘に向けて魔術を行う。新世界を展開して世界の法則を塗り替え、強化の魔術を掛けて自身の肉体を限界まで強め、加速の魔術を使って一歩進んだ時間軸へ移り、店中に刀を生やして攻撃をする準備を整え、最後にもう一本刀を生み出して、二刀流になると、ゆっくり姿勢を低めた。
周囲に危害を与えずに勝つ為には、向こうが反応するよりも先に速攻を掛けなければならない。
法子は覆面を睨みながら、一瞬その背後に目をやった。後輩達に守られる様にして将刀が倒れている。その体は傷だらけで、いつもの元気な将刀では無くて。
再び法子の感情が沸騰して、次の瞬間床を蹴り、その姿が消えた。