学生side: 早弥/アンチタップ
魔検のオフィスが、町の上空に現れた戦艦と組織、それを撃退したヒーローの事で持ちきりになって職員達が仕事にならない中、早弥もまた気になって気になって仕事が手につかずに居た。
ただしそれは、大観衆の中で早弥の友達が敵を撃退した、という辺りで囁かれている話が気になっているのではなく、ある少女とヒーローが消息を断ったからであった。
昨日、研究所から逃げ出してきた少女を魔検が追跡していると知った後、早弥は急いで少女を保護しているアイナと連絡を取った。少女は本当に危険な状況にあるのかもしれないから、何とかしないといけないと。だがアイナからはしばらく泳がせておくという返答のみで、結局何の措置も取らず、それが今朝になってアイナからその少女と保護者であるヒーローの二人が居なくなったと聞かされた。窓ガラスが割られていて、明らかに異変があったとの事だった。
アイナは家の者を使って行方を探しているらしいが、未だに見つかったという連絡は来ない。きっと少女は魔検によって研究所に連れ戻されたのだろう。ヒーローはもしかしたら捕まって監禁されているのかもしれない。とにかく嫌な予感が湧き出てきて、それに心を苛まれて仕事にならなかった。
溜息を吐きながら無為にパソコンの前で座っていると、突然影が差した。顔を上げると、笑顔の女性が書類を持って立っていた。
「どーも。これ、良い?」
女性から差し出された書類に手を伸ばしたが、それ以上は体が動かない。驚きに硬直してしまって息すら吐き出せなくなった。
目の前に居る女性は柴田恵美という名前で、理事長付きの秘書である。そして同時に今朝消息を断ったヒーローの奥さんでもあった。
夫が失踪した事を知っているのか知らないのか、早弥が恐る恐る恵美の様子を伺っていると、恵美はいつも通りの笑顔で指示を出してくる。
「処理自体は終わってるから。後は入力して、保管しておいてくれない? 悪いけど」
「あの、良いですけど」
「けど?」
不思議そうに笑みが首を傾げたので、早弥は慌てて手を振って否定した。
「いえ、何でも無いです。すぐやります」
「うん、ごめんね。うちの理事長、人使い粗いから」
そう言って、恵美はからからと笑った。
何も知っている様子が無い。幾らなんでも夫が失踪したと知っていれば、こんなあっけらかんと笑っていられる訳が無い。
「それじゃあ、よろしくね」
恵美が手を上げて踵を返し、元の部屋へと戻って行く。
「あ、待って下さい」
早弥はそれを思わず引き止めた。
「何?」
振り返った恵美の笑顔を見て、早弥は口ごもる。
今、思わず言おうとした自分の言葉を振り返る。自分は何を言うつもりだった?
あなたの夫は行方知れずで命も危ないかもしれないんですと伝えるのか? 勿論、それはある面では正しい行為かもしれない。何も知らないで居た方が後々苦しい思いをするかもしれない。それでも早弥は言えなかった。何の屈託も無く笑っている恵美に向かって、夫が死亡しているかもしれないなんてとても言えない。
「どうしたの? 何か分からない事ある? そんなに難しい仕事じゃなかったと思うけど」
恵美が歩み寄って来て、早弥の持つ書類を覗きこんでくる。
早弥は恵美の顔を見上げ、何とか誤魔化す為に口を開いた。
「恵美さんは最近テロが沢山起こってる事をどう思います?」
「え? どう思うかって……何だか冗談みたいだなって思うけど。ほら、何だか本気でやってるのかなって思うテロが多いでしょ? パイ投げしたり、おはぎのあんこだけ盗むとか、そんなのばっかり。馬鹿らしいと思うけど、でもやっぱり犯罪は犯罪で、理事長だって対策を講じてて、きっと警察やヒーローが解決してくれる。だから安心してるっていうのが一番かな、私は」
「そうですか」
屈託なく笑いかけてくる恵美に、真実を語りそうになるのを必死で堪え、何だか涙が出そうなのも必死で止めて、早弥はただただぎこちない笑顔を浮かべる。
すると恵美がまるで見透かす様な表情を浮かべた。
「分かるよ」
早弥の心臓が止まりそうになる。表情に出ていたのかと口元を押さえると、恵美が続けて言った。
「昨日の事件は大きな事件だったから、心配になるのは。あの戦ってた法子さん、早弥ちゃんの友達何でしょ? 今回は勝ったけど、次は分からないって心配になるのは良く分かる」
恵美の言葉を聞いて、早弥は喉が詰まりそうになる。
次は分からないと心配しているのは、誰あろう、恵美に決まってる。今までずっとヒーローである夫の傍に居て、その帰りを心配し続けてきたに違いない。そうして今回、本当に失踪してしまった。それなのに自分の心配を余所に、励ましてきてくれる。
「大丈夫。魔検はちゃんと対策してるから。だから、私達はそれが上手く行く様に、ヒーロー達を支えられる様に、普段通りちゃんと仕事をしていれば良いの」
早弥は再び全てを洗い浚い話したくなって、思わず顔を上げた時には、恵美は既に背を向けて去っていくところだった。受け取った書類を見ると、研究所から送られてきた注文書で、大量の動物を発注するという内容だった。それを黙々と処理し終えると、また心は研究所に囚われた少女とヒーローを思う。何だか研究所に納入される動物と二人の姿が重なって見えた。居ても立っても居られないのに、どうする事も出来ないのがもどかしかった。
「あれ? 早弥ちゃん、今帰り?」
結局ほとんど仕事の手につかないまま終業時刻となって外に出ようとすると、丁度溝内と一緒になった。昨日ラブホテルに向かうと言って別れたので、どうにも気まずい思いが湧いてくる。
「何だか落ち込んでるけど、大丈夫? 相手が下手だった? それとも上手く行かなかった?」
「死ね」
背を向けて歩き出そうとすると、横に並ばれた。
「本気で悩んでるなら相談にのるけど?」
「要らない」
「そうは見えないけど」
「あんたの助けは要らないって言ってるの」
溝内が忍び笑いを漏らした。早弥が睨むと笑みを強くする。何だか嘲る様な笑いだった。
「何だ、その程度の悩みなんだ。安心したよ」
「は?」
その程度?
「だって、本気で悩んでるならどんな小さな可能性だって見逃せないでしょ? どんな悩みかは知らないけど、俺に相談すれば一パーセントでも可能性が上がるかもしれない。それなのにそうしないって事は、その程度の悩みだっていう事じゃん? 違う?」
ああ、そういう事。
溝内が敢えて挑発して悩みを引き出そうとしている事が分かって、早弥は考える。溝内の作戦に乗るのは癪だけれど、確かに一理あって、二人を救い出す為の可能性が少しでも上がるなら、打ち明けるべきかもしれない。
ただ問題は溝内が魔検に所属しているヒーローであるという事だ。今回の事件は魔検が関わっている。もしも溝内が相手側の人間ならここで打ち明けるのは非常にまずい。
けれど。
溝内を見上げると、一転して優しげな笑みを浮べている。
「ほら、話すだけでも楽になる事ってあるでしょ?」
確かに溝内は軽くて、不真面目で、嘘ばっかり言っているし、適当に告白して人の心を弄ぼうとするけれど、それはあくまで楽しみだけを追求しようとする軽さの所為であって、陰謀だとかそういうもっと血腥い悪意までは持っていない様に思う。少なくとも、ヒーローとして活動している溝内は本気で人を救おうとしている様に見えた。
何より自分一人では何も出来ない。誰かの手助けが必要で、それがヒーローであるなら心強い。
「あの」
「何何? 何でも相談してよ」
やっぱり言っていいものかどうか迷う。
言えば、もしかしたら溝内を巻き込む事になるかもしれない。
まあ、それは良いけれど、やっぱりそう簡単に他人に漏らして良い事では無い気がする。
けれど二人は研究室に捕まっているかも知れず、それを救い出すには自分だけの力では足りなくて。
見捨てておく事なんて出来ないし。
溝内の顔を見る。何だか頼もしそうな印象があった。いつもは軽薄に見える笑顔からも安心を感じる。
言っていいものか迷う。
けれど言わないという選択肢は無くて。
「ちょっと重い話なんだけど良い?」
「当たり前でしょ? 何でも言ってよ」
「うん、じゃあ」
早弥は一つ息を整え、昨日から心を苛んでくる事件について語りはじめた。
早弥は溜息を吐きながら、溝内と別れた後の一人帰りの夜道を歩いていた。
溝内が協力してくれるのかくれないのか今一つ分からない。
事情を話すと、手伝うとは言ってくれたが、何だかこちらの話を本気で信じていない様子だった。
もしかしたらふざけた事を言う馬鹿な奴と思われたかもしれない。
そう思われていたら辛い。
辛いけれど、でも言って良かった。
溝内の言っていた通り、打ち明けたおかげで心が軽くなったから。
さっきまでどうしようと悩んでいただけだったけれど、今は何とかしようと思える様になった。前向きになれた。
ほんのすこしかもしれないけれど前に進めたのだからそれで良い。
勿論、溝内が協力してくれればもっと良いけれど。
空を見上げると曇っていて星月は見え無い。けれど街灯の明かりが煌々と光っているのでとても明るい。道の先までずっと。
再び息を吐く。
その瞬間、嫌な事に気が付いた。
どうして自分は溝内に相談したのだろう。
こんな大事な事を。
他にも頼りになりそうな人は沢山居る。ヒーローであるなら法子に相談したって良かった。関わりのある人ならまずは妻である恵美に言うべきだ。誰彼構わず話そうとは思わない。ただ溝内だったから打ち明けた。
それが何故なのか考え、そうして答えが出そうになって首を振って思いを払う。
あり得ない。
あんな軽い奴に。
あり得ない。
今まで誰にもそんな感情抱いた事無かったのに。
あり得ない。
あり得ない。
首を振り続ける早弥の耳に、何処からか呻き声が聞こえてきた。
早弥の背を見送った溝内が帰ろうと踵を返すと、横合いから声を掛けられた。
「よう、溝内。何今の。彼女?」
「ああ、敦希。いや、彼女と違うよ」
「でもあの子、お前に惚れてない?」
「ああ、もうちょっとで落とせるかも」
「何、好きな訳?」
「まあ、面白い子だよね、見てて。からかうと真剣に怒るから。彼女にしたい訳じゃないけど」
「お前はほんと最低な奴だなぁ」
敦希が笑って買ったばかりのガムを差し出してきた。
溝内は一粒受取りつつ、今しがた早弥に打ち明けられた悩みについて尋ねる。
「そういや、魔検の研究所で怪しい実験やってるって話知ってる?」
「は? 何それ?」
「いや、知らんなら良いや。たださっきの子が、そういうのに関わっててやばいって言ってたから」
「マジで?」
「さあ? まあ、どっちでも良いんだけど。知らないなら良いや」
「てか、そんなの俺に言って良いの?」
「良いでしょ、別に」
溝内がガムの包を取り払った時、強化した聴覚が遠くの呻き声を捉えた。
「悪い。何かあったみたいだから行ってくる」
ガムとその包を敦希に手渡した溝内は、ライダージャケットにマフラーをした格好になって、呻き声の聞こえた方角へ走り出す。
現場にはすぐについて、道の奥を見つめながら立ち竦んでいる人影が見えた。それが早弥だと気が付いて、溝内は更に速度を上げる。
一瞬の内に、早弥の下へたどり着いた溝内は、庇う様にして早弥の前に立ち、道路の奥を見た。
そこで人が殺されていた。
まさに溝内が道路の奥を見た瞬間、ローブを着た何者かが、道路にへたり込んだ男の口内に銃口を突っ込み、引き金を引いていた。男の頭が吹き飛び、跳ねた液体が辺りに撒き散らされる。
ヒーローを殺して回る連続殺人犯。
早弥の悲鳴を聞きながら、溝内はローブへ向かって駈け出した。自身の身体能力を極限まで高め、瞬く間も無く接近し、音速の数倍の速度で蹴りを放つ。
衝撃波を起こしながらローブへ迫った蹴りは、しかしあっさりとローブの手によって止められる。更に驚きで硬直した溝内の胸にローブの拳が突き刺さった。
溝内は凄まじい勢いで背後にふっ飛ばされそうになり、何とか地面のコンクリートに指を突き立てて抉りながら、ブレーキを掛けて止まる。そうして反撃に出ようと顔を上げた時にはローブの姿が消えていた。辺りを探ってもローブの気配は無い。
溝内は胸の激痛に手を当てながら、それ以上の驚愕に震えていた。
ローブの下の顔、迷彩を施す魔術が掛かっていたが、どうしてかその魔術が一瞬乱れ、ローブの下の顔を見る事が出来た。
「何で、徳間さんが」
ローブの下の顔は間違いなく魔検の切り札と言われている徳間真治だった。
傍に転がる頭を吹き飛ばされた被害者を見る。
せめてそれが大悪党だったら分かるのだが。
万が一を思って、近づいて確認すると、間違いなく頭の無い男は魔検に所属するヒーローだった。そのヒーローが悪事を働いていたという噂も聞いた事が無い。
だがそれなら何故、このヒーローは殺されなければならなかった。
しかも殺したのは、他の誰でもない、魔検の切り札と呼ばれ、人々から英雄視されているヒーロー、徳間真治。
確証は無いが、町を騒がせているヒーローだけを狙った連続殺人の犯人である可能性が高い。だが徳間真治が関わっているという事は魔検の後ろ盾がある事が予想出来る。
溝内は困惑しながら、背後を見る。へたり込んだ早弥が居る。
早弥の語っていた研究所の闇を思い出す。女の子とヒーローが失踪したという事件。それにも魔検が関わっているという。
何が起こっているのか分からない。
ただ、現在町を騒がせているテロも含めて、この町が過去に無い程、複雑で危険な事態になっている事だけは良く分かった。
それを思う溝内は、知らずして、拳を握りこんでいた。




